日本語社会 のぞきキャラくり

第58回 奉行の「アッ」

筆者:
2009年9月27日

子供というのはいろいろなものを怖がるものである。

夏の昼下がり、大阪は東横堀でのこと。商家の一人娘が丁稚を連れて、寂しい通りを歩いていた。すると向うからやって来たのは、商家に家を借りている藤吉という男。暑さをしのぐため、下はふんどし一丁、上はハッピを頭の上へかざして、日差しよけにして歩いてくる。この姿が背のおそろしく高い人間に見えたか化け物に見えたか、娘は怖がって、丁稚と2人、用水桶の陰に隠れてやり過ごそうとする。

だが、それを察した藤吉は、ならば家主の娘をおどかしてやれとイタズラ心を出し、隠れている娘の頭の上でハッピをかざして、「アッ」と思い切り高い奇声を発した。

娘はその場で気絶。ようやく息を吹き返したが記憶喪失に。どうしてくれる、と商家は藤吉を訴える。落語『次の御用日』はこのような展開を経て、ついに裁判の場面に至る。

白州に控える関係者一同の前に、いかめしい奉行が登場し、丁稚から一部始終を聞くと藤吉を尋問する。モジモジためらったあげく、奉行は精一杯の威厳を取り繕って言う。

 「その方、『アッ』と申したであろう」

奉行の口から放たれた、思いがけない怪鳥のような声。だが藤吉も「『アッ』とは申しておりません」とかん高く奇声をあげてシラを切る。「『アッ』と申したなら正直に『アッ』と申したと申してしまえ」「いえ、『アッ』と申したなら『アッ』と申したと申しますが、『アッ』と申していないものは『アッ』と申していないとしか申し上げられません」と、2人で『アッ』の応酬。

結末は書かないが、この噺の中で客を最も笑わせるのは、重々しいキャラクタであったはずの奉行が「アッ」と奇声をあげるところと言ってよいだろう。「上品なキャラクタは下品な発言を直接引用できない」ということを前回述べたが、今回見たのは、品とよく似たことが格についても観察できるということである。

たとえば「アッ」とかん高く叫ぶ子供が特に下品ではないように、「アッ」という叫びは下品ではないが、軽々しく、格が低い。もともと『男』はかん高い声を出さないもので、特に奉行のような格の高い者には、重厚で貫禄ある声がふさわしいことになっている。直接引用とはいえ、奇声「アッ」を発する行為は、奉行のキャラクタの崩壊を招きかねない危険な行為である。初めて「アッ」と叫ぶ際の奉行のモジモジは、そのことを知った上での煩悶の現れだろう。

では、奉行よりもさらに格が高い『神』はどうか? ここで『神』と呼ぶのは、メロドラマを繰り広げるような人間くさい神々ではなく、たとえば天から声が聞こえるだけで肉体は無いといった、おごそかな神のキャラクタと考えられたい。

奉行なら、たとえば「その方、訴状には『殺してやる』と叫んだとあるが、それはまことか」のように、直接引用じたいは可能であって、ただ「アッ」や「殺しちゃうよ」のような格の低い発言が直接引用できないだけである。これに対して『神』はどのような発言も直接引用できない。「思い出してみるがよい。汝は『わかった』と答えたであろう」なんて、「わかった」の部分が直接引用だと、やっぱり変ですよね。

直接引用って、あまり格が高いとできない行為なんですね。チョクセツインヨウなんて言うと偉そうだけど、意外に「物まね」と近いんでしょうかね。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。