オバツダ
2011年 11月 28日 月曜日 筆者: 石井 正人クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(123)
パンに塗って食べるミートペーストと並んで、パンに塗って食べるいろいろな乳製品というのもドイツで味を覚えたものだった。クラフト Kraft 社のフィラデルフィア・クリームチーズさえまだ日本であまり見かけなかった頃の話である。 けれどもドイツでよく食べた塗るチーズ、日本で言うクリームチーズは、ドイツ製ではなかった。以前にドイツでさんざん世話になり、最近ようやく日本にも上陸して手に入るようになって喜んでいるキリ Kiri やブルサン Boursin といった、ハーブやガーリック入りの様々なクリームチーズを作っているベルBel社というのは、フランスの会社である。
こういう既製品もさることながら、ドイツでおいしさを知ったのは、家庭で手軽に作るチーズ・ディップだった。何日か世話になった一人暮らしの老婦人は、朝の食卓に必ず、タマネギとパセリのみじん切りとカッテージチーズを和えたもの出した。パンにのせて食べる。風味がきついのと辛みがあるので、お前には無理かも知れないが、これで私は目を覚ますので、朝食には欠かせないのだ、とその老婦人は言っていた。いや、そのおいしかったこと。日本で真似をして作ろうとするが、どうもうまくいかない。後で分かったのは、あれはカッテージチーズではなかったということだった。どうやらクヴァルク Quark というもので、味わいはサワークリームに近い。酸味となめらかさが、カッテージチーズとは比べものにならない。納豆や豆腐と同じで、やはり原材料のある本場に行かないと本物は手に入らない、というわけだ。
バイエルンで教わったのは、オバツダ Obatzda という料理だった。レストランで出していたり、既製品を売っていたりするが、もともとは家庭料理だそうだ。古くなったカマンベールにバターや柔らかいチーズを足し、タマネギやピーマンのみじん切りを加え、ハーブを入れて練り上げる。オバツダという奇妙な名前は、*angebatzte という今はもう使われなくなった動詞の過去分詞のバイエルン訛りで、押し潰し混ぜる、というような意味だそうである。ホームメード・チーズディップの極点と申すべきか。病みつきになるお味である。
昔は肉などほとんど口に入らなかった農民が、肉の代用に乳製品を使って工夫した田舎料理というものがあって、オバツダはその典型的な例なのだという話を聞かせてくれたドイツ人の友人がいた。大変興味深い話なのであちこち調べているのだが、残念ながらまだどうも調べきれないでいる。
【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員
【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。
2011年 11月 28日







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