漢字の現在

第270回 北京の食堂で

筆者:
2013年5月7日

中国の方から話を聞いてショックだったのは、規範化されていない字が使われていないか、1年に1度、スーパーにまで検査が入るという話だった。地方でもそうなのだろうか。「規範化された漢字と普通話」を推進するスローガンは、上海などでよく見かけた。前記のようないわゆる第2次簡体字など規範的でない字体を商店で用いてしまうと、罰金を取られてしまうそうなのだ。

現在、文字は、精神面だけでも人を解放するものであると信じたい。社会的な認知を伴えば文字も変化を受け入れられるはずだ。文字が仮に過去のように抑圧の働きに転じるならば、文字に託された生命力は減退していく恐れがあるだろう。

簡体字は、そもそも民間の使用例から選ばれたものであり、完成品ではなかったと思う。しかし、すでに変化を止める力が公的に作動している。いや、人々が変化を求めなくなっているという現状も、中国での簡体字への微修正案に対するパブリックコメントからうかがえた。南方では、学力の問題から正式ではない字体が多い、と囁く声も聞いた。が、やはり首都、お膝元だけに漢字政策の力は強かった。こうしたことも、漢字字体に地域差を生みだしているのだ。

さて、学士院に当たるものが社会科学院とのこと、社会科学と聞くと所属柄親しみを感じるが、少しニュアンスが異なるようだ。

中国には「終身教授」という身分もあるそうだ。韓国の方にいただいた名刺には「研究教授」という少し羨ましそうな肩書きもあった。

中国の「超高教授」のお部屋に案内された。ホテルの部屋が違う、広々としていて高級マンションのようだ。ご著書をいただいた。日本で読んでいたものだが、サインまでいただいてしまった。

「教育部 21世紀優秀人才」「優秀博士論文」などランク付けのようなものが数々あり、また「・・・奨」(賞)という表彰のようなものがたくさんあり、研究課題にも格付けがあるそうで、中国では研究者も苛烈な競争社会にあり大変そうだ。

北京市街地で、食堂を探す。北京といえば北京ダックだが、行ったところには意外と芳しい店がないそうだ。街中で、案内をしてくれる中国人と見かけて入った食堂は、看板に四川、湘風の料理とあった。湘はここでは「湖南」を指す。

トイレは外だった。公衆の建物に入ると、隣でウンウン声がするので、右下を見るとおじさんがしゃがんでいる。これがいわゆるニイハオトイレか。中文にいた学生時代に噂に聞いていたが、実見したのは初めてかもしれない。北京でも、とびっくりした。北京語言大学に入ったときも、図書館のそれはこれに近かった。日本で子供のころに、公園の塀を乗り越えて裏の敷地に忍び込んだときに、昔の縄付きの汲み取り式便所を見たときを思い出す。

店に戻ると、香ばしく焼けたパリパリした皮を食べる。肉がもったいないと思っていたが、蒸した肉もここではいただけた。とても食べきれない。鳥の姿焼きは、少し目に厳しい。

メニューには、

 豆腐脳

とある。これは脳のようではないが、脳にも見える。比喩だ。次のは、さらに凄い。

撒尿牛丸

 撒尿牛丸

尿を含まない食品にあえて「尿」を持ち込んでいる。日本では、化粧品売り場の「尿素」の「尿」という字さえも気になるという人がいる。大陸はストレート、というばかりではなく、 食べ物の比喩にまで意外なものを持ち込むのだ。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』 『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。