ときは大正、関東大震災の混乱のさなか、三省堂はベントン母型彫刻機をやっと入手した。この機械は、当時、国立印刷局と築地活版、そして三省堂と日本で3社しかもっていなかった。
その後、昭和初期には漢字の彫刻に着手。「辞典用の活字とは、国語の基本」という教育のもと、「見た目にも麗しく、安定感があり、読みやすい書体」の開発が進んだ。
……ここまでは三省堂の社史を読めばわかること。しかし、それはどんな時代であったか。そこにどんな人と人とのかかわり、会社と会社との関係があったか。その後の「文字」「印刷」「出版」にどのような影響があったか。
文字・印刷などのフィールドで活躍する雪朱里さんが、当時の資料を読み解き、関係者への取材を重ねて見えてきたことを書きつづってきた連載が、書籍になったのは2021年の夏のこと。
書籍化にあたっては新資料などからわかったことなども加え、再構成・加筆をし、書き下ろしを加えています。さらに、補遺というかたちで、書籍に盛り込めなかったことなどを4回に分けて掲載しました。
補遺 第1回 ベントンのない世界
補遺 第2回 歴史を書くということ――桑田福太郎・勝畑四郎の新資料
補遺 第3回 桑田福太郎の書体研究① 大正時代にかんがえる「印刷物に適した書体」
補遺 第4回 桑田福太郎の書体研究② 大正時代の「明朝体の研究」
前置きが長くなりましたが、さらに、その後また資料が出てきておりまして……こちらは編集部が連載をお借りする形でおこなっているものです。今回はその第1回。今後また何かあれば掲載するというようなかたちの不定期掲載です。
こちら、当時の作業場に掲示されていたのではないかと思われるものです。ポイント(文字サイズ)ごとの設定が記されているようです。