今回は,方言の拡張活用の最初の用例を考えます。この研究の初期の成果では,早い時期の用例が分かります。日高貢一郎さん「マスコミにおける方言の実態」(1986年『講座方言学1―方言概説―』国書刊行会)には,テレビやラジオの番組また新聞での方言活用が詳細に整理されています。同じく日高さん「方言の有効活用」(1996年『方言の現在』明治書院)では,拡張活用法のほぼ全種類について理解できます。
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私の考える方言の拡張活用『最初の』用例は,方言パフォーマンスです。落語や世話物歌舞伎は,方言だからこそ成立する芸能なので,はじまりは江戸時代となります。落語なら「時蕎麦」や「たらちね(言語自体が重要な要素)」が共通語では興のないことですね。歌舞伎も「魚屋宗五郎」や「髪結新三」は江戸弁,「封印切り」や「曽根崎心中」は大阪弁だから成立しています。なお,能や狂言は,謡やせりふが,特定の地域の方言を意図して構成されていないので,方言を語り聴かせる方言パフォーマンスとは,性格が異なります。
近代の最初は,この連載の第227回でも紹介された大阪弁の方言絵はがきのようです。絵〔初代通天閣―1912(明治45)年7月3日開業―〕と,記載内容〔ロープウェイからの景色に,より近い天王寺動物園―1915(大正4)年1月1日開業―でなく,「天王寺公園」とある〕から1912年~1914(大正3)年の間のものと推定されます。
方言メッセージも関西が最初のようです。1920(大正9)年7月の阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)大阪~神戸間直通運転開始のとき,関西地区の新聞広告に「綺麗で早うて。ガラアキで眺めの素敵によい涼しい電車」と出ました【写真1】。
他の種類,方言手拭いや方言のれんは50年以上前からあります。方言ネーミングは,テレビ番組名「番頭はんと丁稚どん」(1959~1961年)などでしょう。方言エールは,年代の特定は難しいものの,昭和30年代から,スポーツの応援や受験の激励(第231回で紹介)などで使われています。年代が特定できるものでは,1987(昭和62)年に鹿児島県選出国会議員に総理大臣の可能性が出たときの鹿児島で「チェスト行け!〇〇〇」(〇〇〇=人名)の幟を私自身が実物を確認しています。静岡県浜松市の地域振興「やらまいか浜松」【写真2】が2005(平成17)年(合併による新市誕生)から続いています。
《謝辞》
小林一三記念館(大阪府池田市)には,特別のご厚意により展示資料【写真1】の写真撮影をお許しいただきました。ここに記して感謝申し上げます。