歴史で謎解き!フランス語文法

第37回 なぜ発音しないのに「有音のh」なの?

2022年8月19日

フランス語では h を発音しないことは有名ですよね。h にも、le héros のように、エリズィオンやリエゾンをしない「有音の h」と、l’héroïne のように、エリズィオンやリエゾンをする「無音の h」があります。見た目は同じ h であり、どちらも発音しないのになんで違うのでしょうか? 今日はその謎について、先生に聞いてみましょう!

 

学生:先生、僕が高校生のとき、短期交換留学でクラスにフランス人が来て、彼が僕の家にホームステイしていたんですよ。

 

先生:そのフランス人とはフランス語で会話していたのかい?

 

学生:そのときはフランス語はまったく知らなかったので、彼とは英語と日本語で会話していました。

 

先生:仲良くなったんだね。

 

学生:日本のアニメやマンガに興味がある人だったので、そんな話をよくしていました。それで学校の行き帰りが彼と一緒だったのですが、ある日、バスの中で、彼が「アイム・アングリー」って僕に言ったんですよ。

 

先生:なにか嫌なことがあったのかな?

 

学生:何を怒っているのかなと思っていたんですが、« I’m angry » じゃなくて、« I’m hungry » って言っていたんですよ。腹が減っていたんですね(笑)。

 

先生:なるほど。フランス語では h を発音しないから、フランス人の彼は英語の « hungry » をフランス語風に発音していたんだね(笑)。

 

学生:そうなんです。でもフランス語では h の文字は発音されないのに、なぜあるんでしょうね? 「無音の h」と「有音の h」という区別も奇妙に思います。「有音」なんだけど、発音しないんですから。

 

先生:確かにそうだね。「有音の h」 と言っても実際には発音されることはないのだから、正確には「有音扱いとする h」 と呼ぶべきかもしれないね。「有音の h」のときにはどうなるんだっけ?

 

学生: エリズィオンやリエゾンをしてはいけないんですよね。例えば héros「英雄」に 定冠詞がつくときは、*l’héros ではなくて le héros と書いて、 [lə ero] と分けて発音する。複数形は les héros だけどリエゾンして [le zero] と発音してはダメで、[le ero] と発音する。

 

先生:そうだね。辞書では「有音の h」の見出しの前には、†(ダガー)がついていることが多いね。それでは「無音の h」のときはどうなるんだっけ?

 

学生:「無音の h」のときは、h の文字があっても、存在しないものとして扱いますから、エリズィオンやリエゾンをします。例えば homme「人」 は単数定冠詞が付くと l’homme [lɔm] になりますし、複数だと les hommes [le zɔm] とリエゾンします。ところで、いったいなぜ「無音の h」と「有音の h」の2種類がフランス語にはあるのでしょうか?

 

先生:端的に言うと、ラテン語が語源の語の h はたいてい無音で、ゲルマン語が語源の語の h は有音なんだ[注1]

 

学生:そうなんですか。でもどうしてラテン語系の語は無音、ゲルマン語系の語は有音という名称で区別したのでしょうか?

 

先生:フランス語は口語ラテン語が変化したものなのだけど、口語ラテン語では紀元後1世紀にはもう h は発音されなくなっていたんだよ[注2]

 

学生:ラテン語の段階で h が発音されていなかったのに、綴り字はフランス語にそのまま引き継がれたのですか?

 

先生:いや、古フランス語では、ラテン語系の語の h は綴りに現れないことが多かった。例えば現代フランス語の homme は、ラテン語 homo の対格形の hominem に由来するのだけど、古フランス語では語頭の h がない ome という綴りで書かれることが多かったし[注3]herba「草」は erbehora「時間」は ore ないし eure という綴りだったね。

 

学生:今、先生が挙げた homme、herbe、heure は、現代フランス語ではみんな語頭に h がついていますよね。

 

先生:うん、これらの h は後の時代に語源を理由にして現代フランス語の単語の綴りに復活したものなんだ。ただ、あらゆる語で語源にあった h が再導入されたわけではない。日常でよく使われる avoir (<habere) や oui (<*hoc-ille) などの語では、語源の h は復活しなかった[注4]

 

学生:なるほど、それで「無音の h」といわれるのですね。では、ゲルマン語系の語の h はなぜ「有音の」といわれるのでしょうか?

 

先生:ゲルマン語系の言語では h が発音されるから、ゲルマン語系の言語である現代ドイツ語や現代英語でも、h は発音されているよね。現代のフランスにあたるガリアは5世紀頃からゲルマン系のフランク人に支配されるようになるのだけど、現代フランス語の語彙にはこの頃にゲルマン語系の言語から入ってきた借用語がかなりあるんだよ。例えば harpe「ハープ」、haïr「憎む」、honte「恥」、hanches「腰」、hareng「ニシン」とか。こうしたゲルマン語系の語の語頭の h は、17世紀頃までは発音されていたんだ[注5]

 

学生:そうか、もともとラテン語系の語の h は発音されていなかったから「無音の」といわれるけど、17世紀までゲルマン語系の語の h は発音されていたから「有音の」といわれるようになったんですね。

 

先生:ベルギーの南東部、アルザス・ロレーヌ、ノルマンディ、ブルターニュ、ガスコーニュ、ケベックなど地域によっては、「有音の」h はまだ発音されているみたいだね[注6]。リエージュでは、haine「憎しみ」と aine「鼠蹊(そけい)部(股の付け根の部分)」は、はっきりと発音で区別されるそうだよ。

 

学生:この2語については文脈があれば、発音が同じでも誤解されることはあまりないかもしれませんけどね。

 

先生:間投詞の Hop !「それっ、さあ(急激な動作・激励を示す)」とか笑い声の Ha ! Ha ! Ha ! 「はっはっはっ」などでは、フランス人も気音の h を発音しているね[注7]

 

学生:フランス人も笑うときは「あっあっあっ」とはならないですね。

 

先生:現代英語でもフランス語の「無音の h 」と「有音の h 」に似た現象がみられるよ。heir「相続人」、honest「誠実な」、honour「名誉」、hour「時間」など、1066年のノルマン・コンクエストの頃に中英語に借用されたラテン語系の語では、語頭の h が現代英語でも発音されないけれど[注8]、holly「ひいらぎ」、holy「神聖な」、honey「蜂蜜」、horse「馬」といった古英語に由来する語では、h は発音されているよね[注9]

 

学生:でも先生、héros「英雄」の h は有音となっていますが、héros の語源はラテン語の heros で、ゲルマン語系の語ではありませんよ。なぜ héros の h は有音なのでしょうか?

 

先生:これには諸説あるみたいなんだけど、les héros をリエゾンして [le zero] と読むと、les zéros (16世紀にすでに zéro には「役立たずの人」という意味の用例があった)と同音になってしまうので、有音になったみたいだね[注10]。同族語の l’héroïne「女性の英雄」、l’héroïsme「英雄精神」、l’héroïque「英雄的な」では、無音の h だね。

 

学生:「英雄」が「役立たず」になってしまうと困りますからね。

 

先生:語源にはない h が、付加されている場合もあるね。フランス語の形容詞 haut「高い」の語源を調べてごらん?

 

学生:haut の語源は、ラテン語の altus ですね。ラテン語が語源で、そのラテン語には h がないのに、なぜ h がついているんだろう? しかも「有音の」h ですね。あ、語頭の h はゲルマン語系のフランク語の *hoh「高い」の影響でもたらされたと辞書に書いてありました[注11]

 

先生:それでは huit「8」と huile「油」の語源はどうなっているかな?

 

学生:huit の語源はラテン語の octo、huile は oleum でどちらも語源となる語には h はありませんね。これもフランク語の影響で h が付加されたのでしょうか?。

 

先生:いや、この h は語源とは関係ないんだ。16世紀頃まではアルファベの U は V の異字体で、U が母音字、V が子音字という使い分けはなかったんだ。だから uit という綴り字の語は、現代フランス語の huit「8」と vit(vivre の3人称現在あるいは voir の3人称単純過去)、uile という綴り字の語は、huile「油」と vile「卑しい(の女性形)」を示し得た。それを区別するために、語頭に h を加えたんだよ[注12]

 

学生:なるほど、発音されない h なんて無用の長物じゃないかと思っていましたが、歴史的にみると存在の理由がみえてきますね。語頭ではなく、語のなかに h が入る語がありますが、あの h にはどういう機能があるのでしょうか? 例えば cahier「ノート」とか trahir「裏切る」とかです。

 

先生:語中にある h は、母音の分離を示すためのものだね。2つの母音字のあいだに h を置いて、この2つの母音が別々に発音されることを示している。いずれもラテン語の語源の綴りにはない h だ。cahier の綴りで、もし h がないと、*caier になり、ai は [ɛ] と単母音で読まれてしまうよね。16世紀にトレマが導入される以前は、h を母音字のあいだに置くことで母音の分離を示したんだよ[注13]

 

学生:ゲルマン語系以外の借用語や固有名詞に h が含まれているとき、フランス語ではその h は「無音」になるのでしょうか? それとも「有音」になるのでしょうか? 例えば広島 Hiroshima の h とかはどうなのでしょうか?

 

先生:ギリシア語・ラテン語が語源の語の h は「無音」が原則、それ以外の場合は「有音」が原則だよ。だってもとの言語では、その h は実際に発音されているのだから。だから「広島市」はフランス語では、la ville de Hiroshima となるね。ただ海外の固有名についてはけっこう揺れがあって、d’Hiroshima と書いてもかならずしも間違いとは言えないかも。ドイツの都市ハンブルクについては、la ville d’Hambourg という記述をしている例も少なくないみたいだしね[注14]

 

[注]

  1. 朝倉季雄、木下光一校閲『新フランス文法事典』白水社、2002年、p. 243.
  2. LABORDERIE, Noëlle, Précis de phonétique historique (2e édition), Paris, Armand Colin, 2015, p. 88.
  3. 本コラムの「第36回 なぜ不定代名詞 on に続く動詞は3人称単数で活用するの?」(2022年6月17日)を参照のこと。(最終アクセス日:2022年8月19日)
  4. 三宅徳嘉、六鹿豊『白水社ラルース仏和辞典』白水社、2001、pp. 1213-1214.
  5. LABORDERIE, op.cit., p. 88.
  6. GREVISSE, Maurice et GOOSSE, André, Le Bon Usage, Louvain-la-Neuve, De Boeck, 2016 (16e éd.), § 31.
  7. Ibid.
  8. 本コラムの「第18回 なぜ英語とフランス語は似ているの?」(2020年9月18日)を参照のこと。(最終アクセス日:2022年8月19日)
  9. WALTER, Henriette, Le Français dans tous les sens, Paris, Laffont, 1988, pp. 64-65.
    現代英語では hospital「病院」、humble「つつましい」、humour「ユーモア」といった語(いずれもラテン語系の語)の語頭の h は発音されるが、18世紀末には無音だった。Cf. 堀田隆一 hellog 「#3937. hospital や humble の h も200年前には発音されていなかった?」http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/tmp/hellog_entry_set/index_1456_3937.html(最終アクセス:2022年8月19日)。
  10. GREVISSE et GOOSSE, op. cit., § 48. 「有音」の h については、森本英夫『フランス語の社会学』、駿河台出版社、1988年、pp. 53-55でもトピックとして取りあげられている。森本によるとヴォージュラ(1585-1650)は、「ゲルマン語 le héreault[伝令官]との音的ならびに意味的類似」ゆえに、héros の h が有音となったと考えた。Cf. Vaugelas, Remarques sur la langue françoise (1647).
  11. DAUZAT, Albert et als., Nouveau dictionnaire étymologique et historique, Paris, Larousse, 1971, art. « haut ».
  12. LABORDERIE, op. cit., p. 88. 本コラムの「第31回 どうして、mille, ville, tranquille の読み方は、「ミーユ」、「ヴィーユ」、「トランキーユ」じゃないの?」(2021年12月17日)も参照のこと。(最終アクセス日:2022年8月19日)
  13. GRÉVISSE et GOOSSE, op. cit., § 95.
  14. Ibid., § 48.

筆者プロフィール

フランス語教育 歴史文法派

有田豊、ヴェスィエール・ジョルジュ、片山幹生、高名康文(五十音順)の4名。中世関連の研究者である4人が、「歴史を知ればフランス語はもっと面白い」という共通の思いのもとに2017年に結成。語彙習得や文法理解を促すために、フランス語史や語源の知識を語学の授業に取り入れる方法について研究を進めている。

  • 有田豊(ありた・ゆたか)

大阪市立大学文学部、大阪市立大学大学院文学研究科(後期博士課程修了)を経て現在、立命館大学准教授。専門:ヴァルド派についての史的・文献学的研究

  • ヴェスィエール ジョルジュ

パリ第4大学を経て現在、獨協大学講師。NHKラジオ講座『まいにちフランス語』出演(2018年4月~9月)。編著書に『仏検準1級・2級対応 クラウン フランス語単語 上級』『仏検準2級・3級対応 クラウン フランス語単語 中級』『仏検4級・5級対応 クラウン フランス語単語 入門』(三省堂)がある。専門:フランス中世文学(抒情詩)

  • 片山幹生(かたやま・みきお)

早稲田大学第一文学部、早稲田大学大学院文学研究科(博士後期課程修了)、パリ第10大学(DEA取得)を経て現在、早稲田大学非常勤講師。専門:フランス中世文学、演劇研究

  • 高名康文(たかな・やすふみ)

東京大学文学部、東京大学人文社会系大学院(博士課程中退)、ポワチエ大学(DEA取得)を経て現在、成城大学文芸学部教授。専門:『狐物語』を中心としたフランス中世文学、文献学

編集部から

フランス語ってムズカシイ? 覚えることがいっぱいあって、文法は必要以上に煩雑……。

「歴史で謎解き! フランス語文法」では、はじめて勉強する人たちが感じる「なぜこうなった!?」という疑問に、フランス語がこれまでたどってきた歴史から答えます。「なぜ?」がわかると、フランス語の勉強がもっと楽しくなる!

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