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Be My Baby(1963/全米No.2,全英No.4)/ザ・ロネッツ(1959-1966)

2014年 4月 16日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第121回

ロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」

●歌詞はこちら
http://www.metrolyrics.com/be-my-baby-lyrics-the-ronettes.html

曲のエピソード

もともとプロのミュージシャンで、後にプロデューサーに転向した鬼才フィル・スペクターが生み出したサウンドを、俗に“The Wall of Sound”と言うが、この場合、直訳の「音の壁」よりも「(壁のように)分厚い音」と意訳した方がピッタリくるのでは、と筆者は勝手に考えている。とにかく彼が生み出した数々の曲はサウンドが幾層にも重なった色彩の絵巻物の如くゴージャス極まりないから。もちろん、もちろん、ロネッツにとっての初の大ヒット曲となったこの「ビー・マイ・ベイビー」(初めて日本でリリースされた際の邦題は「あたしのベビー」だったが、後にカタカナ起こしに変更)のサウンドもまた、その例に漏れない。

ロネッツはロニー・スペクターことヴェロニカ・ベネットが姉のエステル・ベネット・ヴァン(2009年に死去)、従姉妹のネドラ・タリー・ロスと結成した女性トリオ。1960年代はまさにガール・グループス全盛時代だったが、ロネッツの結成当初はグループ名を Ronnie and the Relatives といった。トリオを結成してから2年後にレコード・デビューを果たすも、全くヒットに結びつかず。しかしながら、スペクターとの出逢いが彼女たちの運命を大きく変えたのだった。彼女たちの快進撃はスペクターが経営するレコード・レーベルと契約した瞬間に約束されていたようなもので、瞬く間に人気者のガール・グループに。「ビー・マイ・ベイビー」は、彼女たちにとって代名詞的な大ヒット曲である。

私生活では、ロニーは1968年にスペクターと結婚するものの、1974年(1973年という説もあり)に離婚している。結婚生活に終止符を打った後、ロニーはソロ・シンガーに転向した。

スペクター自身は、目下、殺人容疑でカリフォルニア州立刑務所に収監されている。ややエキセントリックな人ではあったが、音作りの面においては妥協を許さないイメージがあったので、機会があれば、ぜひともミュージック・シーンに復活して欲しいものだ。

曲の要旨

初めてあなたに会った夜、すぐにあなたに惹かれたわ。あなたが私のことを愛してくれたら嬉しいんだけど、ダメかしら? あなたと私が恋人同士になったら、きっとみんなに注目されるカップルになれると思うの。だから私の恋人になってちょうだい。私だけのものになって欲しいの。あなたは私が求めていた男性像にピッタリよ。いつまでもあなたと一緒にいたいの。だからお願い、私だけのものになってちょうだい。

1963年の主な出来事

アメリカ: 公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング・Jr.が統率したワシントン大行進が行われ、有名な演説“I Have A Dream”が披露される。
第35代大統領ジョン・F・ケネディがダラスで暗殺される。
日本: 東京都内で、当時4歳だった男の子が誘拐され(世に言う“吉展ちゃん誘拐殺人事件”)、日本中を震撼させる。
世界: 南ヴェトナムでクーデターが勃発し、ゴ・ディン・ジェム大統領が暗殺される。

1963年の主なヒット曲

Walk Right In/ザ・ルーフトップ・シンガーズ
I Will Follow Him/リトル・ペギー・マーチ
Sukiyaki/キュー・サカモト(坂本 九)
My Boyfriend’s Back/エンジェルス
Finger Tips ― Pt. 2/リトル・スティーヴィー・ワンダー

Be My Babyのキーワード&フレーズ

(a) make someone turn his head
(b) be my baby
(c) just wait and see

子供の頃からモータウン・サウンドに親しんでいたせいか、ガール・グループス――マーヴェレッツ、マーサ&ザ・ヴァンデラス、シュープリームス、ザ・トイズ…etc.――が大好きで、今でも彼女たちのLPを愛聴している。もちろん、ロネッツもその例外ではなく、子供の頃、初めて「Be My Baby」をFEN(現AFN)で耳にした時には、そのサウンドのゴージャスさとロニー・スペクターのやや鼻にかかった甘い歌声に酔いしれたものだった。日本でこの曲が初めてリリースされた時の邦題が「あたしのベビー」だと知ったのはずっと後になってのことだが、筆者が持っている日本盤シングルでは邦題がカタカナ起こしの「ビー・マイ・ベイビー」になっている。「ベビー」が本来の発音に近い「ベイビー」に変えられた点に、時代の流れを感じずにはいられない。

一見、もとい、一聴すると、単純な歌詞である。理想の男性に巡り会った女性が彼に対して「私のベイビー(=恋人)になってちょうだい」と懇願する歌詞だからだ。それでも全米でNo.2,全英でNo.4,そしてR&BチャートでもNo.4を記録する大ヒットとなった。思い返してみると、ジャンルを問わず、1960年代のガール・グループスや女性シンガーの歌詞は、他愛のない恋愛の歌や、恋する少女のような歌が多かった。もちろんこの「Be My Baby」もその例外ではないが、こうしたタイプの曲が多く大ヒットした当時の世相を顧みるに、恋に恋する女性が多かったのでは、と漠然と考えたりする。例えばR&B/ソウル・ミュージックに関して言えば、女性が歌うドロドロとした男女関係のラヴ・ソングは1960年代からあったものの、そうしが歌詞が急激に増え始めたのは1970年代に入ってからだと記憶する。不倫ソングが増えたのも1970年代になってからである。

「みんなが注目するカップル」という表現は、ラヴ・ソングでたびたび耳にする。(a)は直訳するなら「~が振り返る」だが、この曲では、「私とあなたが恋人同士になったら、街行く人々が思わず振り返るほどステキなカップルになるわよ」と歌っているわけだ。(a)を含むフレーズを深読みすれば、「だから私とあなたはピッタリの恋人同士になれるわよ」といったところか。「どこへ行っても私とあなたは注目の的よ」と意訳してもいいだろう。ここのフレーズから、相手の男性(ロニーが後に結婚するスペクターのことか?)がハンサムであることが判る。もちろん、ロニーは文句なしに可愛らしくて美人だ。

そしてタイトルの(b)。洋楽のラヴ・ソングに出てくる“baby”がほとんどの場合「赤ちゃん」ではなく「愛しい人、愛する人」だということはみなさん先刻ご承知だろうが、これに匹敵する日本語がない。筆者は訳詞をする際に、呼びかけの“baby”をカタカナ起こしの「ベイビー」にしてしまうのだが(“愛しい人よ”だと堅苦しい日本語になってしまうため)、例えば(b)を日本語に訳すなら、「私のベイビーになってちょうだい」よりも「私の恋人になって欲しいの」、「私だけのものになってちょうだい」と訳すだろう。(b)のフレーズを他の英語に置き換えるなら、次のようになるだろうか。

♪Be mine.
♪Be my only one.

恋する女性(女の子)の気持ちは純粋で切ない。

(c)のフレーズの前には「あなたを幸せにしてあげるわ」という一節がある。ということは、(c)は通常通り「今に見てなさいよ」よりも「必ずそうしてあげるから」といった意訳の方がピッタリくるのではないだろうか。しかしながら、残念なことにロニーとスペクターの結婚生活は“幸せ”とは程遠かったようだ。そのことが気の毒でならない。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、2012年まで翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「泉山式 翻訳力×英文法講座」)の講師を務めた。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツを担当した。その他、ジャンルを問わずポップス、ロックの訳詞も手がける。

It Never Rains In Southern California(1972/全米No.5)/アルバート・ハモンド(1944-)

2014年 4月 9日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第120回

「カリフォルニアの青い空」日本盤シングル

●歌詞はこちら
http://www.metrolyrics.com/it-never-rains-in-southern-california-lyrics-albert-hammond.html

曲のエピソード

子供の頃、ラジオからよく流れていたこの曲を聴いていた頃、歌っているのはてっきりアメリカ人だと思っていた。後年、彼の出生を調べてみたところ、両親はジブラルタルの出身で、アルバートはロンドン生まれだということが判明。どうやら両親は第二次世界大戦の戦火を逃れるためにロンドンに移り住んだらしい。16歳の時に両親と共にジブラルタルに戻り、ロック・バンドを結成してヨーロッパ各地をツアーして回ったりバンドの解散後にメンバーのひとりとデュオを組んだりと、常に音楽活動を続けていた。

アルバートには曲作りの才能があり、ロンドンで作詞家のマイケル・ヘイゼルウッドと知り合ったことが彼に幸運をもたらした。そうして出来上がったのがこの「It Never Rains In Southern California(邦題:カリフォルニアの青い空)」である(ゴールド・ディスク認定)。また、1973年2月、日本のチャート誌『オリコン』で6週間にわたってNo.1の座に君臨したというのだから、この曲が如何に日本でも愛されたかが判ろうというもの。蛇足ながら、1990年代に活躍したR&Bバンドのトニ!トニ!トニ!(Tony! Toni! Tone!)のヒット曲「It Never Rains (In Southern California)」(1990/R&BチャートNo.1,全米No.34)は、(In Southern California)にカッコが付いているが、同名異曲である。もしかしたら、アルバートの曲との混同を避けるためにわざわざカッコを付けたのかも知れない。

これはアルバートが世に出るまでの自分史が部分的に投影された曲である。明るいメロディながら、歌詞はとても切ない。当時、“明日のスター”を目指していた人々の心を激しく揺さぶったのでは、と推察する。しかしながら、歌詞の内容を理解せずに聴いても、メロディがどこまでも耳に心地好い。

曲の要旨

目的もなく飛行機に飛び乗って西に飛んだ。もしかしたらTVや映画のスターになれるんじゃないか、って本気で自分に思い込ませながらね。南カリフォルニアでは決して雨が降らないとみんなが口々に言っているのを聞いたことがあるよ。そうは言っても、土砂降りになることだってあるんだよ。今の僕は失業中で、どうにかしちゃってるんだ。自尊心もお金もない。誰かに愛されたくてたまらないし、おまけに腹ペコなんだよ。故郷に帰りたいなあ。これでも(レコード会社からの)契約の誘いがいくつかあったんだけど、まだ契約先を選べないでいるんだ。故郷に帰ったら、今の僕の状態を黙っていてくれよ。僕のことをそっとしておいてくれないかな。

1972年の主な出来事

アメリカ: 6月17日にウォーターゲート事件が発覚。
日本: 浅間山荘事件が日本中を震撼させる。
田中角栄首相が訪中し、日本と中国の国交が回復。
世界: 東ドイツと西ドイツの国交が正常化。

1972年の主なヒット曲

Without You/ネルソン
A Horse With No Name/アメリカ
Oh Girl/シャイ・ライツ
Black & White/スリー・ドッグ・ナイト
I Can See Clearly Now/ジョニー・ナッシュ

It Never Rains In Southern Californiaのキーワード&フレーズ

(a) TV breaks and movies
(b) be out of bread
(c) gimme a break

初めて耳にするのに、昔どこかで聴いたような記憶がうっすらと脳裏に浮かぶ曲にたまに出くわす。筆者にとってこの曲は、そうした既視感ならぬ既聴感(←造語です)を感じさせずにはおかない。大ヒットしたのは1972年のことだから、当時の筆者は9歳。当然ながら、歌詞の内容などまるで理解できなかった。ただ漠然と“カリフォルニアに憧れてる曲なのかな”と思っていたのだが、長じて歌詞をじっくり読んでみて、その内容の悲哀に驚いたものだ。実際、アルバートはヨーロッパ各地でバンド活動を行っていた際、新婚旅行中の弟に金を無心したという。アルバートは「父には絶対に内緒にしてくれ」と弟に懇願したのだが、弟はそのことを父親に打ち明けてしまった。察するに、アルバートの父は彼が音楽活動にのめり込むことに反対していたのではないだろうか。

(a)は当時のアルバートの心境が反映されているフレーズだと思う。「いつか必ずTVや映画に出演するスターになってやる」という気持ち。続くフレーズの♪Rang true … は、彼の耳の奥でその決意がこだまのように何度も鳴り続けたことを表しているようにも思える。

(b)は解釈がふたつに分かれるフレーズ。“bread”はもちろん「パン(食べ物の比喩)」だが、先述の弟とのエピソードを考えると、ここはスラングでの“money”を意味するのではないかと筆者は考えた。ここのフレーズを言い換えるなら、次のようになるのではないか、と。

♪I’m broke.
♪I have no money.

また、(b)はイディオムで「仕事にあぶれて」という意味もある。もしかしたらこちらの意味かも知れないが、「仕事にあぶれて一文無しなんだよ」というダブル・ミーニングなのでは、という気もしてきた。

(c)は日常会話でも頻繁に使われる決まり文句のようなもので、“Give me a break.(ひと休みさせてくれ)”のくだけた言い方。曲の要旨では「僕のことをそっとしておいて」と意訳したのだが、それは、その前に♪Don’t tell ‘em how you found me … というフレーズがあるから。この曲での(c)は「僕のことは放っておいてくれ」、「僕のことには構わないでくれ」というニュアンスにも聞こえる。

拙宅にあるこの曲の日本盤シングルのジャケ写は見開きになっており、歌詞の下に次のような文言がある。曰く“尚この曲のタイトルは、ラジオ関東(JORF)の「ワイド電話リクエスト」で募集され、決定したものです。」この素敵な邦題を付けたのがリスナーの方だったとは……。ラジオと音楽とリスナーが密接な関係にあった時代。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、2012年まで翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「泉山式 翻訳力×英文法講座」)の講師を務めた。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツを担当した。その他、ジャンルを問わずポップス、ロックの訳詞も手がける。

Sexual Healing(1982/全米No.3,全英No.4)/マーヴィン・ゲイ(1961-1984)

2014年 4月 2日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第119回

「Sexual Healing」日本盤シングルのジャケ写

●歌詞はこちら
http://www.metrolyrics.com/sexual-healing-lyrics-marvin-gaye.html

曲のエピソード

1984年4月1日、マーヴィン・ゲイは実父によって銃殺され、45歳の誕生日を翌日に控えたその日に44年の短い生涯を閉じた。生前最後の大ヒット曲はこの「Sexual Healing」(R&BチャートNo.1)で、同曲を引っ提げての久々の全米ツアーも行われたのだが、マーヴィンはなくなるまで麻薬との縁が切れなかったという。そのことは、病床にあった彼の母親も証言している。人一倍繊細で内省的な性格だっがことが災いしたのか、彼は最期まで人生を謳歌できないまま生涯を閉じた。

様々な問題を抱えたまま、マーヴィンはベルギーの港町オステンドに居を移した。恐らくは、心身の浄化をその地で試みようとしたのだと思われる。そして出来上がったのが、久々の大ヒット曲「Sexual Healing」を含むアルバム『MIDNIGHT LOVE』だった。一説によると、ミュージシャンを雇う資金すらなかったがために、シンセサイザーを駆使したいわゆる“打ち込みサウンド”が大半を占める作品となったのだが、奇しくも、そのサウンドが後のR&B/ソウル・ミュージックのアーティストたちに多大な影響を及ぼしたことは、不幸中の幸いだったのかも知れない。何しろ、「Sexual Healing」以降、同曲の亜流ともいうべき曲が量産されたのだから。同曲は、次世代のR&Bサウンドの基本形を作ったと言っても過言ではない。

曲の要旨

ベイビー、今夜はぼくと愛し合おうよ。胸の奥がざわめいて、どうにもこうにも気分が優れないのさ。そんな時の特効薬は、君と生まれたままの姿でひとつになること。ぼくの身体はもうオーヴンみたいに火照っていて、今すぐ君と愛し合いたくてたまらないんだ。憂鬱な気分を晴らすためには、君と愛し合うしかないのさ。だから今夜、ぼくと愛し合おう。さぁ、起きて、ぼくと愛し合おうよ。

1982年の主な出来事

アメリカ: 第40代大統領のロナルド・レーガンによる経済政策(いわゆるReaganomics)が失敗に終わり、インフレが進み失業率が11パーセントに達する。
日本: 東京のホテルニュージャパンで火災が発生、死傷者が67人にのぼる大惨事に。
世界: 3月にフォークランド紛争が勃発(同年6月に終結)。

●1982年の主なヒット曲
I Can’t Go For That/ダリル・ホール&ジョン・オーツ
Even The Nights Are Better/エア・サプライ
Keep The Fire Burnin’/REOスピードワゴン
Hold Me/フリートウッド・マック
Get Down On It/クール&ザ・ギャング

●Sexual Healingのキーワード&フレーズ
(a) sexual healing
(b) make love
(c) do something right

これはマーヴィン・ゲイにとっての生前最後の大ヒット曲である。R&Bチャートでは10週間にもわたってNo.1の座を死守したものの、残念ながら全米チャートではNo.3止まり。それでも、彼にとっての生涯最初で最後のグラミー賞をもたらした。「これを受賞するのを20数年も待っていたんだ…」と、受賞スピーチで嬉しそうに語っていたマーヴィンの姿が今も脳裏から離れない。本連載第1回で採り上げた「What’s Going On」ですら、彼にグラミー賞をもたらすことはなかったのだから。

筆者の知人・友人の中には、この曲のタイトルを「Sexual FEELING」だと勘違いしていた人が少なくない。何故なら、1982年当時、“healing”という言葉が日本人の間ではまだ馴染みがなかったから。今なら「ヒーリング」というカタカナ語でも通じるのだが(しかし気味悪いカタカナ語である)、当時は“healing=癒し”という英語がそれほど浸透していなかった。(a)を日本語に訳すのは難しいが、例えばこんなのはどうだろう。「セックス治療」――ダメでしょうか。つまるところ、この曲は悶々とした気持ちを抑え切れない男性が愛する女性とのセックスによってその焦燥感が軽減される、と歌っているのである。筆者のある知人が「だからこの曲が嫌なんだよ」とハッキリと言い放ったものだ。

(b)は洋楽ナンバーに最も多く登場するイディオムのひとつであると同時に、非常に訳しにくい言い回しのひとつ。「セックスする」では即物的だし、「合体する」では野暮な感じが拭えない。筆者はこのイディオムに出くわすたびに「生まれたままの姿で愛し合う」、「身体を重ね合う」といった風に訳してきたのだが、そのたびに思うのは、“make love”に相当する日本語があればいいのになあ、ということである。ある知人が「“make love”を”抱く”としか訳せません」と言っていたが、何となくその気持ちが解らないでもない。

これまた日本語に訳しにくいのが(c)である。直訳すれば「~を正しくやる」だが、それだと無味乾燥な日本語になってしまう。この曲の場合、主人公の男性=マーヴィンが愛する女性に向かって言っているのだから、意訳するなら「君ならきっとぼくのイライラした気持ちを(セックスで)鎮めてくれるよ」といったところか。先述の「この曲が嫌いだ」と言い放った知人は、ここのフレーズが最も癇に障るそうである。それを聞いた時、つくづく男と女の“性”の違いを思い知らされた。筆者はそこのフレーズが最も好きだから。

今から32年前の秋にリリースされた曲が今なお新鮮に耳に響く。筆者にとって、今もこの曲はマーヴィンの“新曲”である。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、2012年まで翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「泉山式 翻訳力×英文法講座」)の講師を務めた。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツを担当した。その他、ジャンルを問わずポップス、ロックの訳詞も手がける。

Ain’t No Mountain High Enough(1967/全米No.19,全英No.80)/マーヴィン・ゲイ&タミー・テレル(1967-1969)

2014年 3月 26日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第118回

「Ain't No Mountain High Enough」収録アルバム

●歌詞はこちら
http://www.songlyrics.com/marvin-gaye-tammi-terrell/ain-t-no-mountain-high-enough-lyrics/

曲のエピソード

本連載第38回で採り上げたダイアナ・ロスの全米No.1ヒット「Ain’t No Mountain High Enough」のオリジナル・ヴァージョン。しかしながら、セリフ仕立てのカヴァーと男女のデュエット仕立てのこちらとはまるで別物に聞こえる。いずれも後に夫婦デュオとして成功したニコラス・アシュフォード(2011年に死去/享年70歳)&ヴァレリー・シンプソンの作/プロデュースによるものだが、いずれ劣らぬ素晴らしい出来映えである。

マーヴィン・ゲイは生前、4人の女性シンガー(メアリー・ウェルズ、キム・ウェストン、タミー・テレル、そしてダイアナ・ロス)とのデュエット・アルバムをリリースしているが、最も人気を博し、かつ長続きしたのがタミーとのそれだった。マーヴィン&タミー名義で最大のヒット曲は「Your Precious Love」(1967/R&BチャートNo.2,全米No.5)だが、両者にとっての記念すべき初ヒットはこの「Ain’t No Mountain High Enough」で、今でも人気が高い曲のひとつ。両者による初のアルバム『UNITED』(1967/R&Bアルバム・チャートNo.7,全米No.69)のオープニングを飾っており、筆者にとってはより印象深い1曲だ。

先述のアシュフォード&シンプソンもまた、自分たちのライヴでこの曲を持ち歌にしており、会場を沸かせていた。恐らく彼ら夫婦にとっても、思い出深い曲だったのだろう。

曲の要旨

どんなに山が高くても、どれほど谷底が深くても、たとえどんなに川幅が広くても、ふたりが会うための障害にはならない。私を必要とする時はどれほど遠くにいようとも私のことを呼んでね。そうしたら、すぐにあなたのもとに駆け付けるから。私が目指すゴールであるあなたのもとにたどり着くためには、どんなに厳しい自然災害もくぐり抜けてみせるわ。君が困難に見舞われてる時には急いでそばに駆け付けるよ。遠く離れていても、ふたりが互いを想う気持ちは薄れない。どんなに高い山も、どれほど深い谷底も、どんなに広い川も、ふたりの妨げにはならないから……。

1967年の主な出来事

アメリカ: デトロイトを始めとする数都市で大規模な黒人暴動が発生。
日本: 「オールナイトニッポン」の放送が開始され、ラジオの深夜放送の人気番組に。
世界: Association of Southeast Asian Nations(ASEAN/東南アジア諸国連合)成立。

1967年の主なヒット曲

Ruby Tuesday/ローリング・ストーンズ
Love Is Here And Now You’re Gone/シュープリームス
Happy Together/タートルズ
I Was Made To Love Her/スティーヴィー・ワンダー
All You Need Is Love/ビートルズ

Ain’t No Mountain High Enoughのキーワード&フレーズ

(a) make a vow
(b) a helping hand
(c) on the double

去る3月16日はタミー・テレルの命日だった。1970年に脳腫瘍のために死去。24歳という美しくも若い花を散らしてしまったのである。マーヴィンもこの世を去って今年で既に30年。歳月の流れの早さを実感せずにはいられない。筆者がタミーのことを知った時、彼女は既に鬼籍に入っており、ために、マーヴィンとのデュエットであれソロ・ナンバーであれ、彼女の歌声を耳にするたびにどうしてもセンチメンタルな気分になってしまう。ところがこの「Ain’t No Mountain High Enough」は、そんなおセンチな気分を吹き飛ばしてくれるような高揚感にあふれる曲なのだ。落ち込んだ時、あるいは人生に迷った時、どれほどこの曲に救われてきたことだろう。ラヴ・ソングではあるものの、歌詞のそこここに“困難には負けない”というメッセージが潜んでおり、それに励まされてきた。

マーヴィン&タミーは、R&B/ソウル・ミュージック界のみならず、アメリカのミュージック・シーンにおいて最も成功を収めた男女デュオのひとつだと言われている。ヒット曲の多さも然ることながら、阿吽の呼吸とも言えばいいのか、とにかく両者の歌声の混じり具合――実は中には別々にレコーディングされた“疑似デュエット”の曲もあるのだが――が絶妙なのだ。だから余計に、このコンビがわずか3年で終わってしまったことが返す返すも残念でならない。正直に言えば、筆者が初めて聴いたヴァージョンはダイアナ・ロスのセリフ仕立ての方だった。そちらも大好きで今も愛聴しているのだが、男女のデュエットによるこのオリジナル・ヴァージョンでは、互いの“掛け合い”が一番の聴きどころである。歌声が寄り添っていながら、歌詞にあるように、この男女が実は高くそびえる山や眼下に広がる谷底、目の前に流れる大河を挟んであたかも遠く離れているように聞こえるから。この臨場感が高揚感を呼ぶ一因になっていると思う。

この曲を初めて聴いたのは10代後半の時だが、筆者はこの歌詞から様々なイディオムや表現を教わった。特に印象深いものを3つ挙げてみたが、例えば(a)。これはみなさんの多くもご存じの通り「誓いを立てる」という意味のイディオムで、辞書の“vow”の項目に載っている。ところが、当時、手元にあったのはこの曲が収録されている『UNITED』の輸入盤LPだったため、歌詞カードが付いていなかった。そこで必死になって聞き取りを試みて、ようやく“make a vow”の過去形だということに気付いたのだった。

(b)もまた、この曲で初めて知った言葉のひとつ。若い頃は、何故に単数形なのかが不思議でならなかった。例えば、倒れそうな人を抱き起す際には、両手(両腕)を使うのではないか、と。しかしながら、これも必死になって聞き取りをしている最中に疑問が氷解した。辞書に“helping hand”が名詞として載っていたからである。曰く――

◆give [lend] a helping hand (手を貸す)

「どうして複数形じゃないんだろう?」と思案に暮れている最中は、辞書の“help”と“hand”のところを懸命に探していたような記憶があるが、言ってみればこれは決まり文句のひとつだろう。が、大勢の人々が力を合わせて誰かに「手を貸す」際の表現は、当然ながら複数形の“give [lend] helping hands”となる。やはりこれは、対象となる相手がひとり――この曲でいうなら愛する相手――ならではの単数形だと思う。

そして(c)。ここは意外とすんなりと聞き取ることができて、とっさに辞書の“double”の項目を引いたものだ。意味は「駆け足で、大急ぎで、今すぐに、直ちに」などなど。“at the double”でも同じ意味。そして(c)のイディオムを初めて教えてくれたのもまた、この曲だった。それ以前、筆者はこの表現を寡聞にして知らず、また、他の洋楽ナンバーでも耳にした記憶がなかった。では、何故にここでは(c)のイディオムが使われているのか……? それは、その前のフレーズにある“trouble”と押韻するために外ならない。恐らく、その押韻があったからこそ、(c)をすんなりと聞き取ることができたのではないだろうか。

この曲の歌詞を大仰だと捉える向きもあるかも知れない。が、ひとつ告白すると、筆者は今なお引きずっている3・11のトラウマに押しつぶされそうになる時、今でもこの曲を大音量で流す。そして自分を奮い立たせる。そしてあの日を境に、この曲の聴き方が一変した。音楽の力を改めて痛感させられる。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、2012年まで翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「泉山式 翻訳力×英文法講座」)の講師を務めた。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツを担当した。その他、ジャンルを問わずポップス、ロックの訳詞も手がける。

Eternal Flame(1988/全米、全英チャート共にNo.1)/バングルス(1981-)

2014年 3月 12日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第117回

「Eternal Flame」(USシングル盤)

●歌詞はこちら
http://www.songlyrics.com/the-bangles/eternal-flame-lyrics/

曲のエピソード

1980年にカリフォルニア州ロサンゼルスで結成された女性バンドのバングルスは、デビュー当初は鳴かず飛ばずだったものの、プリンス作の「Maniac Monday」(1986年に全米No.2を記録する大ヒット)でいきなりブレイクした。そして遂に「Walk Like An Egiptian」(1986)で全米チャートを制覇するのである(4週間にわたって全米首位の座に君臨)。しかしながら、当時の世間での受け止められ方を反芻してみると、同曲はいわゆるコミック・ソング(英語でいうところのnovelty song)の範疇に属していたように思う。彼女たちが再び全米チャートの上位に返り咲くのは、サイモン&ガーファンクルのカヴァー「Hazy Shade of Winter(邦題:冬の散歩道)」をリリースした時である。同カヴァーは全米チャートでNo.2まで登り詰めた。

以降、「In Your Room」(全米No.5)という大ヒットを放ち、遂にはこの「Eternal Flame」で2回目の全米No.1ヒットを手中に収めるのだ。アルバム『EVERYTHING』(1988)からシングル・カットされ、大ヒットしたのは翌1989年のことだった。筆者の音楽仲間――とりわけ男性――には、バングルスの曲の中でこれが最も好き、という御仁が少なくない。歌詞もメロディも切なくて、同性が聴いても胸が締め付けられる。なお、日本では時代を反映してか、当時、CDシングルのみがリリースされた。

バングルスは1989年にいったん解散するものの、1999年から活動を再開しており、約10年の歳月を経て復活。ガールズ・バンドがただでさえ少ないのだから、彼女たちにはいつまでも活躍して欲しいものである。当然ながら、ライヴではこの曲を今でも演奏し続けていることであろう。

曲の要旨

瞳を閉じて。私の鼓動を感じてくれているの? あなたも私と同じ気持ちでいてくれているのかしら? それともこれはただの夢なの? 私のあなたへの思いは永遠なのかしら? あなたが私の名前を口にしてくれれば、雨が降っていてもそこに一筋の光が射し込むわ。そうすれば、胸の中のもやもやとした気分も晴れるのよ。あなたを思うこの気持ちを失いたくないの。どうかあなたを愛する気持ちが永遠でありますように。

1988年の主な出来事

アメリカ: 共和党候補のジョージ・ブッシュ(George Herbert Walker Bush/1924-)が大統領選で当選。
日本: 青函トンネルが開業する。
世界: イラン・イラク戦争が停戦。

1988年の主なヒット曲

The Way You Make Me Feel/マイケル・ジャクソン
Seasons Change/エクスポゼ
Wishing Well/テレンス・トレント・ダービー
One More Try/ジョージ・マイケル
Roll With It/スティーヴ・ウィンウッド

Eternal Flameのキーワード&フレーズ

(a) Do you feel the same
(b) an eternal flame
(c) say one’s name

それにしてもガールズ・バンドが少ない。筆者が高校時代の時にバンドをやっていたクラスメイトがいたのだが、キーボード担当の彼女はバンドの“紅一点”であり、他の楽器は全て他校の男子生徒が担っていた。彼女に請われてライヴを観に行ったことがあるのだが、出演バンドのほとんどが男子生徒の構成によるもので、結局のところ、ステージに立った女性は筆者のクラスメイトだけだったのである。彼女はエレクトーン教室に通っており、後に音大に進んだのだが、バンドでの扱いは“マスコット(死語?)”のようなものだった。恐らく本人も不本意だっただろう。

そうした経験があるからか、ガールズ・バンドの活躍は無条件に嬉しい。バングルスが10年の歳月を経て復活したと知った時にわけもなく嬉しくなったのには、そうした体験があるからだ。また、ガールズ・バンドを無条件に応援したくなるのも、恐らく高校時代のクラスメイトがバンドの紅一点だったからだろう、と自分なりに分析している。

「Walk Like An Egiptian」が全米No.1の座を射止めた時、遂にバングルスもやったか、と思ったと同時に、同曲を最後に下降線の一途を辿らなければいいが……と危惧したことが今も忘れられない。が、彼女たちは実力派としてミュージック・シーンにこの曲と共に戻ってきてくれた。PVの幻想的な映像も未だに忘れ難い。

(a)は洋楽のラヴ・ソングに頻出する言い回しで、言い換えるなら次のようになるだろうか。

♪Do you love me like I do?

「あなたも私と同じ気持ちでいてくれる?」の「同じ気持ち」とは、相手を愛している気持ちに外ならないから。その後に「私は夢を見ているだけなの?=私の思い込みなの?」と続くことから、この曲の主人公の女性は相手が自分を愛しているかどうか、ということに自信を持てないでいる。何とも切ないフレーズだ。

タイトルにもなっている(b)は、「いつまでも消えない炎」すなわち「永遠の愛」であろう。筆者は常々この世に「永遠」など存在しないと思っているのだが、異性/同性に限らず、相手を想う気持ちが生涯ずっと続く、ということはあると思う。日本語でも「恋の炎」などという言い方をするが、メラメラと燃え上がる炎が恋愛に相通ずるのは洋の東西を問わず同じものらしい。英語と日本語には、こうした似通った言い回しが少なくなく、それを発見するたびに嬉しくなってしまう。

(c)もまた、洋楽ナンバーのラヴ・ソングに頻繁にみられるフレーズだが、直訳すると無粋な言い回しになってしまう。「私(僕)の名前を口にして」というのが何故に相手の気持ちを確認する術[すべ]になるのか、というのが、東洋人には今ひとつ解りにくい。これと似たような表現に、次のようなフレーズがある。

♪Call my name.

筆者なりに分析すると、愛する相手が自分の名前を口にしてくれるのは、自分を想ってくれている証左のひとつではないか、と。例えば別れや不倫の曲で、眠っている間に相手が自分以外の異性の名前を口にして浮気を察知する、という内容の歌詞がしばし見受けられるが、西洋では相手の名前を口にする=その相手を想っている、という概念があるのだと感じさせられる。(c)を愛する相手に求めるこの曲の主人公は、恐らくその行為によって相手の気持ちを確かめたいのではないだろうか。切ない女心の顕れである。

思うに、バングルスはこの曲によって大人の女性バンドへと変身を遂げた気がする。アダルト・コンテンポラリー・チャートでも2週間にわたってNo.1の座に就き、その人気の座を揺るぎないものにした。筆者にとっては、彼女たちの楽曲の中でもピカイチである。今なお色褪せない珠玉のラヴ・ソングだ。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、2012年まで翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「泉山式 翻訳力×英文法講座」)の講師を務めた。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツを担当した。その他、ジャンルを問わずポップス、ロックの訳詞も手がける。

Please Mr. Postman(1960/全米No.1)/マーヴェレッツ(1960-1970)

2014年 2月 19日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌詞物語~ 第116回

「Please Mr. Postman」収録LP

●歌詞はこちら
http://www.lyricsmode.com/lyrics/m/marvelettes/please_mr_postman.html

曲のエピソード

1960年代、ガール・グループスは熱かった。全米No.1ヒット曲数の記録を未だに他の女性グループに破られていないシュープリームスが人気の絶頂を迎えたのは1960年代半ばのことだが、その5年も前に全米チャートの頂点に立ったグループがいた。それが、シュープリームスより約5年前から大ヒットを飛ばし、共に所属するレーベルのモータウンにおいては“No.1ガール・グループ”の名をほしいままにしたマーヴェレッツである。売れるまでに時間が掛かったとは言え、シュープリームスの勢いは止まらなかった。一方、マーヴェレッツはデビュー曲の「Please Mr. Postman」でいきなり全米チャートを制覇するも、その後は人気が緩やかに下降していってしまい、1971年には約10年の活動期間に終止符を打つ。モータウンがお膝元のデトロイトからL.A.へと本格的に拠点を移すのは1971年だが、その前年にマーヴェレッツが解散してしまったことは、やはりひとつの時代が終わったのを象徴していたのだろう。後年、マーヴェレッツのメンバーのひとりは、「彼女たち(シュープリームス)がいなかったら、私たちがモータウンのナンバー・ワン女性グループでいられたのに」――が、その“礎”を作った彼女たちの功績もまた、シュープリームスのそれに引け目を感じる必要が全くないほど大きかったと筆者は思う。

他愛のない歌詞である。郵便配達の男性(その女性から見れば“郵便配達のおじさん”だろう)に向かって、「今日も彼から私宛の手紙は届いてないの?」と、毎日のように家の前で待ち構えて問い掛けているのだ。郵便配達人の表情は行間に描かれていないため、相手がどんな風に受け止めているのかは窺い知れないが、十中八九、うんざりしていることだろう。それでも彼女はやめない。何故なら、彼女の目には、目の前にいる郵便配達人の男性の姿は入っていないから。彼女がその両目で受け止めたい画像は、“愛しい人からの私への手紙”なのである。嗚呼、可愛らしい。

カーペンターズのカヴァー(1974/全米No.1)によってこの曲を知った、という世代が圧倒的に多いと予想されるが、今から40年前の1974年でも、まだしもこの曲の歌詞に共鳴する人々が少なくなかったのだろう。何しろパソコンも携帯電話も、FAXでさえもなかった時代なのだから。曲の主人公が恋する男性がどのぐらいの距離のところに離れていってしまったのか、どうして今、彼女の側にいないのか、など、謎の多い歌詞ではある。“謎”というのは大袈裟で、じつはその辺りがほとんど描写されていない。ために、相手の男性像が非常に描きづらく、筆者は今でもその姿がぼんやりとしか浮かんでこない。

毎日毎日、家の玄関の前で郵便配達人を待ちながら、愛しい人からの手紙の到着をひたすら待ち焦がれるひとりの少女。その切なる思いは報われるのだろうか?

曲の要旨

ちょっと待って、郵便配達さん! その配達物を入れたバッグの中に、私宛の手紙が入ってないかどうか、よーく見てみてちょうだい。私の愛しい恋人から最後に便りがあったのはもう随分と前のことなのよ。だからこうして日がな一日、ここでずっとあなたが来るのを待って、私宛の手紙、カードでもいいわ、そのどちらかが届いてないかどうか確かめてるのよ。

1960年の主な出来事

アメリカ: ジョン・F・ケネディがニクソンを破って第35代大統領に当選。
日本: 社会党委員長の浅沼稲次郎が暗殺中に壇上で暗殺される。
世界: アフリカで計17カ国が独立。

1960年の主なヒット曲

Stuck On You/エルヴィス・プレスリー
Everybody’s Somebody’s Fool/コニー・フランシス
I’m Sorry/ブレンダ・リー
Itsy Bitsy Teenie Weenie Yellow Polkadot Bikini/ブライアン・ハイランド
The Twist/チャビー・チェッカー

●Please Mr. Postmanのキーワード&フレーズ
(a) some word
(b) pass someone by
(c) you know it’s been so long

鍛え抜かれた心身を極限まで使い尽くし、世界の頂点を目指す冬季オリンピック・ソチ大会がそろそろお開きになろうとしている。よく見聞きするのは“~選手への応援メッセージを送りましょう”。“応援メッセージをお送り下さい”ではなく“送りましょう”。つまりこの番組を視聴しているあなた自身がお好きな手段でどうぞ、というわけである。例えば1970年代、好きになった海外のアーティストに自分の思いを伝えたい、と思ったなら、ファン・クラブか所属レーベルに手紙を送るのが一般的な手段だった。たった今ここで、“あなたの新譜が素晴らしい!”と相手に伝えるのは不可能な時代だったのである。だからこそ、手紙の一文字一文字にも思いを込めただろうし、英文を綴る際にも辞書と首っ引きになったであろう。筆者は時々、あの時代がたまらなく懐かしくなる。

一分一秒でも早く。その気持ちが急いて、彼女は家の中にじっとしていられない。郵便配達人とは毎日のように顔を合わせているから、自分の家の前をだいたい何時頃に通るのかを彼女はちゃんと知っていた。よしんば知らなかったとしても、彼女はずっと待ち続けたことだろう。昔から、“便りのないのは良い知らせ”などというが、それにしても来ない。何も言ってこない期間が余りにも長い。「今日は何か言ってきても良さそうなものなのに…」。その「何か」が(a)である。例えばそれが、以下のように勝手に想像してみた様々な一行でもいい。

♪I miss you.
♪I’ll be home soon.
♪I love you.

ところが彼女にはその(a)すらも届かないのである。焦る。

しまいには何の落ち度もない郵便配達人に向かって文句を言ってみたい衝動に駆られてしまう。(b)は「~の側を通り過ぎる」だが、筆者にはここのフレーズが「何回も“黙って”私の方を通り過ぎたわね」という恨み節に聞こえる(苦笑)。郵便配達人からすればいい迷惑だが、恐らくは、なるべく彼女と顔を合わさないようにしてそこを通り過ぎたのだろう。

そして両者はいつの間にか親しくなる。そりゃあなるわな、これだけ毎日のように顔を合わせてりゃ。(c)で肝心なのは“you know”。あってもなくてもいいのだが、ここはやはりあった方が彼女の気持ちを代弁している。「最後に便りがあってから随分と経つってこと、郵便配達人さんだって“知ってるでしょ”」。(c)のフレーズを歌う主人公には、最上級の苦笑いを浮かべてもらいたい。そして郵便配達人も終いには彼女に同情するようになる……か、どうかは判らないけれど。

歌われているのはたったひとつのこと。「彼からの便りが来ない」。ただこのことを言いたいがために、この1曲は完成をみた。仮に筆者が「恋人からの手紙の到着を今か今かと待ってる女性を主人公にして曲を作ってみてよ」と言われたら、とてもここまでの展開を思い浮かべることはできない。現代人とは時間軸が数時間どころか数週間もズレてしまっているからだ。恋人からの便りのありがたみ。それは、瞬時に届こうが数週間の船便で届こうが、相手を恋焦がれる気持ちがあれば同じ……と言いたいところだが、筆者はやはりそこに温度差を感じてしまう。相手の男性は、そんな彼女が懊悩する様子を知ってか知らずか、未だに手紙をくれない。心変わり? そもそも、この男性はどこに何をしに行っているのか? それさえもはっきりとしないぼんやりとした全体像。なのに曲をくり返して聴いているうちに、「いい加減に手紙を書いてあげなさいよ」と相手の男性に向かって言ってやりたい衝動に自分がいることに気付く。やきもきしつつ。

「速達でーす!」も年に一度あるかないかの今の時代。それでも“速達”という手段はまだ残っているじゃないか、ねえ、この曲に登場する“誰かさん(=主人公の恋人)”と、彼に言ってやりたい。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、2012年まで翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「泉山式 翻訳力×英文法講座」)の講師を務めた。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツを担当した。その他、ジャンルを問わずポップス、ロックの訳詞も手がける。

I’m Not In Love(1975/全米No.2,全英No.1)/10cc(1972-1983)

2014年 2月 12日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌詞物語~ 第115回

10cc「I'm Not In Love」日本盤シングル

●歌詞はこちら
http://www.metrolyrics.com/im-not-in-love-lyrics-10-cc.html

曲のエピソード

10ccはイギリスのマンチェスターで結成された4人組のロック・バンドで(英語圏では“Art-rock band”と呼ばれることもある)、その後、解散→再結成を経て今も活動中。10ccとして活躍し始めたのは1972年からだが、それ以前に別名で既にレコード・デビューを果たしていた。本国イギリスでは10ccとしてデビューした当初からヒット曲が続いたが、アメリカでの初ヒット曲はこの「I’m Not In Love(邦題はカタカナ起こし)」である。

ヴォーカル兼ギター担当のエリック・スチュワート(Eric Stewart)が自分の妻に対して「“愛してる”とくり返し言っても何の意味にもならない」と言ったことがこの曲のアイディアのもとになった、というのはつとに有名なエピソード。また、もうひとつ有名なエピソードとしては、この曲をレコーディング中にスタジオの秘書として働いていた女性のキャシー・レッドファーン(Kathy Redfern)が曲の途中で聞かれる、耳に残る女性の囁きの声を担当したという話がある。レコーディングには、時としてそうした偶然が走行することがあるが、この曲もその例に漏れないと思う。

曲の要旨

俺は恋なんかしちゃいない。そんな風に口にする今の俺がちょっといつもと違うってことを憶えておいてくれよ。俺が君に電話をしたからといって、俺が君の虜になったと勘違いしないでくれ。君に会いたいとは思うけれど、だからといって、君は俺にとってそれほど大切な存在じゃないんだ。とにかく俺は誰にも恋をしてないんだよ。それでも君はずっと俺のことを待っててくれるんだろうね。

1975年の主な出来事

アメリカ: ウォーターゲート事件の裁判で判決が下る。
日本: 沖縄県の本土復帰を記念する沖縄国際海洋博覧会が開幕。
世界: イギリス保守党がマーガレット・サッチャーを同党初の女性党首に選出。

1975年の主なヒット曲

Have You Never Been Mellow/オリヴィア・ニュートン=ジョン
(Hey Won’t You Play) Another Somebody Done Somebody Wrong Song/B・J・トーマス
Before The Next Teardrop Falls/フレディ・フェンダー
Thank God I’m A Country Boy/ジョン・デンヴァー
Island Girl/エルトン・ジョン

I’m Not In Loveのキーワード&フレーズ

(a) Don’t get me wrong.
(b) ~ mean(s) much to someone
(c) big boys don’t cry

中学時代、クラスメイトの男子がこの曲が収録されているLPを貸してくれた。そして思わせぶりに「グループ名の意味、知ってるか?」と筆者に訊ねたのである。これも有名なエピソードだが、その男子ニヤニヤしながら言うには「メンバー4人の精子の量を合わせると10ccだからさ」とのこと。筆者はギョッとしつつも、それをずっと信じていた。今ではそれが作られたエピソードであることが広く知れ渡っているが、筆者にとっては忘れられない出来事である。

また、当時、借りたLPは日本盤で歌詞カードが掲載されていたのだが、筆者には内容がちんぷんかんぷんだった。一体、この曲の主人公の男性は何を言おうとしているのか。例えば(a)のフレーズ。これは洋楽ナンバーの歌詞にも頻出するし、日常会話でもしょっちゅう用いられる言い回しで「誤解しないで」という意味だが、この男性は相手の女性に電話をかけておきながら、彼女の心を傷つけるようなことを平気で言ってのけるのである。中学生当時、ここのフレーズも不可解でならなかった。“だったら電話しなきゃいいのに”と思ったものである。後年、この曲が誕生するきっかけを知り、何となくこれは“夫婦の倦怠期の曲ではないか”と考えるようになった。中学時代には、「倦怠期」という日本語さえ知らなかったし。当時は洋楽ナンバーに関する情報が少なく、拙い英語力で歌詞カードとにらめっこしながら、何とかその意味を汲み取ろうとするしか他に術がなかった。

(b)も洋楽ナンバーにはそれこそ数え切れないほど登場する言い回しで、「~は~にとって大切だ、かけがえのない存在だ」という意味。(b)を含む箇所もこれまた不可解で、主人公の男性は相手の女性に「会いたい」と言いつつも、相手の女性がそれほど大切な存在じゃないという。だからと言って、このふたりは友人同士ではなく、歌詞から察するに、明らかに恋人同士なのだ。結局は男性の愛情が冷めた、ということなのだろうか……? それにしては、歌詞のそこここに未練も感じられるのだが……。じつを言うと、今に至っても筆者はこの曲の歌詞の真意を掴みかねている。当時、あれだけ大ヒットしたのだから、恐らく大勢の人々が歌詞に共感したのだろうが、そのほとんどが男性だったのではないか、と勝手に推測してみた。みなさんはいかがでしょう?

問題は曲のエピソードで触れた(c)である。仮に10ccがこの曲のレコーディング中に近くに例の秘書の女性が居合わせなかったなら、ここの箇所はどうなっていたのだろう? しかもこの女性の囁きは唐突でさえある。これとやや似た表現で洋楽ナンバーに決まり文句のようによく出てくるのが以下のフレーズ。

♪A man ain’t supposed to cry.(男は泣くもんじゃない)

(c)は女性が大人の男性=big boysに向かって「大人なんだから泣いちゃダメ」と言っているのだが、この曲の主人公に言っているとしたなら、何故に彼は泣いているのだろう? 彼女との関係がうまくいかなくなったから……? それとも、歌詞に関係なく、この“囁き”を挿入することで、リスナーたちの耳を惹きつけようとしたのかも知れない。しかも(c)は何度もくり返されているため、いやが上にも耳に残る。

中学時代、この曲を初めて聴いた時には、タイトルから勝手に“失恋の曲”だと思い込んでしまっていた。クラスメイトの男子から借りたLPに付随する歌詞カードをじっくり読みながら、辞書と首っ引きで自分なりに理解しようと努めても、それほど難しい単語が出てくるわけではないのに、結局は歌詞全体の意味を汲み取れないままに終わってしまったことが今もって口惜しい。今でもふとどこかでこの曲を耳にすると、中学時代の苦い思い出が蘇るのである。しかしながら、耳にはとても心地好い曲調だ。今にして思えば、そのメロディの流麗さと歌詞とのギャップが当時の人々の心を捉えたのかも知れない。やっぱり“倦怠期”がテーマなのかなあ……。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、2012年まで翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「泉山式 翻訳力×英文法講座」)の講師を務めた。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツを担当した。その他、ジャンルを問わずポップス、ロックの訳詞も手がける。

Hey Paula(1963/全米No.1,全英No.8)/ポールとポーラ(1962-1965)

2014年 2月 5日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第114回

Hey Paula(日本盤シングル)

●歌詞はこちら
http://www.oldielyrics.com/lyrics/paul_and_paula/hey_paula.html

曲のエピソード

実際には1962年の暮れにリリースされたシングルだが、ヒットしたのは翌1963年であるため、1963年のヒット曲という扱いにした。作詞作曲したのはポールことレイ・ヒルデブランド(Ray Hildebrand/1940-)で、ポーラことジル・ジャクソン(Jill Jackson/1942-)共に、当時まだ大学生だった。たまたま地元のラジオ局が“The American Cancer Society(全米ガン協会、もしくは学会、とでも訳せばいいだろうか)”のために歌ってくれるリスナーを募集し、レイとジルが「Hey Paula」を披露したところ、レコード契約を得るチャンスに恵まれたという。当初はRay & Jillというアーティスト名だったが、曲名に合わせてPaul & Paulaに変更した。

男女のデュエットは数多くあるが、これはポップス史上における忘れ難い1曲で、恐らく筆者が生まれて初めて聴いた洋楽ナンバーの男女デュエットだったと思う。また、日本でも、田辺靖雄&梓みちよの両氏による日本語ヴァージョンがリリースされており、そちらのヴァージョンも幼い頃に懐メロ番組か何かで耳にした記憶がある。歌い出しからして、一度聴いたら忘れられない印象深いデュエット・ナンバーだ。筆者のデュエット好きは、もしかしたらこの曲から始まったのかも知れない。ちなみにこの曲は、R&Bチャートでも2週間にわたってNo.1の座に就いている(全米チャートでは3週間/ゴールド・ディスク認定)。また、このデュオには、「Young Lovers」(1963/全米No.3)という大ヒットもある。活動期間が短かったのがいかにも残念だ。

曲の要旨

ポーラ、君と結婚したいんだ。他の女性じゃダメなんだよ。早く学校を卒業して君と結婚できる日を待ち望んでいるのさ。もうこれ以上は待てないよ。ポール、あなたのような男性が現われてくれるのを待っていたの。私もあなたと結婚したいのよ。私を本気で優しく愛してくれるのなら、私たちの愛は永遠に真実のものよね。真剣に愛し合えば、ふたりで未来図を描けるわ。ふたりの願いが叶いますように。

1963年の主な出来事

アメリカ: 公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング・Jr.が統率したワシントン大行進が行われ、有名な演説“I Have A Dream”が披露される。
第35代大統領ジョン・F・ケネディがダラスで暗殺される。
日本: 東京都内で、当時4歳だった男の子が誘拐され(世に言う“吉展ちゃん誘拐殺人事件”)、日本中を震撼させる。
世界: 南ヴェトナムでクーデターが勃発し、ゴ・ディン・ジェム大統領が暗殺される。

1963年の主なヒット曲

Walk Right In/ザ・ルーフトップ・シンガーズ
I Will Follow Him/リトル・ペギー・マーチ
Sukiyaki/キュー・サカモト(坂本 九)
My Boyfriend’s Back/エンジェルス
Finger tips ― Pt. 2/リトル・スティーヴィー・ワンダー

Hey Paulaのキーワード&フレーズ

(a) no one else will ever do
(b) can’t wait no more
(c) the whole day through

俗っぽい言い方をするなら“ラブラブのデュエット・ナンバー”である。いきなり「結婚したい」というフレーズが飛び出すし、ふたりの未来はどこまでも明るい。興味深いのは、曲の内容に合わせてアーティスト名を変更した点。もしこれが当初のアーティスト名のレイ&ジルだったなら、ここまで大ヒットしただろうか? 彼らの本名を知らなかった当時のリスナーたちは、このふたりの本名をPaul,Paulaだと思い込んでいたに違いない。実は幼少期の筆者もご多分に漏れずそうだったから。

単純な歌詞のようにみえて、じつはそここにハッとさせられる表現が潜んでいる。例えば(a)。直訳すれば「他の誰かじゃできない」だが、“do”の目的語がない。ここの“do”はいかようにも解釈ができて、例えば「君じゃなきゃ僕の理想の奥さんになれない」でもいいだろうし、「君以外の相手とは生涯、添い遂げられない」でもいいだろう。こうした想像力を掻き立てるフレーズは洋楽ナンバーには多く登場するが、それらを訳す際に、いくつか思い浮かべて最もしっくりくるような日本語を当てはめるようにしている。それにしても思わせぶりなフレーズではないか。

意外なことに、非R&Bナンバーでありながら、ここでも二重否定=否定の強調が使われている。(b)がそれで、ご存じのように、正式な英語では以下の通り。

♪can’t wait any more

子供の頃からR&B/ソウル・ミュージックを中心に聴いてきたので、それ以外のジャンルでもこうした二重否定=否定の強調が普通に用いられているのに出くわすとちょっとビックリさせられるが、近年ではもう当たり前のように使用されるまでになっている。リスナー側も、既に違和感を覚えないのだろう。そう言えば、本連載第16回で採り上げたローリング・ストーンズの「(I Can’t Get No)Satisfaction」(1965)もタイトルからして二重否定=否定の強調だったっけ。そう考えてみると、そうした表現は何もR&B/ソウル・ミュージック、ひいてはエボニクスの専売特許ではない気がしてくる。

筆者がこの曲で最も“ラブラブ感”を感じ取ったのは(c)のフレーズ。「(結婚したら)一日中君と(あなたと)一緒にいる」と歌っているのだが、それは物理的に言って無理な話としても、結婚を前提にした恋愛中の男女は、本気でそう願うものなのだろう。倦怠期など想像もつかない、人生で最も華やいだ時期の恋愛。男女のデュエットはラヴ・ソングもしくは別れの歌、或いは嫉妬の歌が多いのだが、ここまで愛し合う気持ちをストレートに前面に出した曲が当時の全米チャートでNo.1を獲得したということは、こういう恋愛をしてみたいと願う人々が大勢いたからに相違ない。

なお、拙宅にある日本盤シングルは、家人が中古レコード屋さんで見つけてきてくれたものである。「こんな甘ったるいラヴ・ソングは苦手なんだけどな…」と言いつつ、渡してくれた。そして筆者は生まれて初めてこの曲をドーナツ盤で聴いたのだった。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、2012年まで翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「泉山式 翻訳力×英文法講座」)の講師を務めた。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツを担当した。その他、ジャンルを問わずポップス、ロックの訳詞も手がける。

Last Train To London(1979/全米No.39,全英No.8)/エレクトリック・ライト・オーケストラ(1970-1983)

2014年 1月 22日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第113回

ELP「Last Train To London」(日本盤シングル)

●歌詞はこちら
http://www.metrolyrics.com/last-train-to-london-lyrics-electric-light-orchestra.html

曲のエピソード

エレクトリック・ライト・オーケストラ、略してELOは、イギリスはバーミンガムで結成されたロック・バンド。とは言え、ロックというジャンルに留まらない多面的な音楽を展開し、様々な音楽ジャンルのファンに愛された。いったん解散した後も不定期に再結成されているのもそのためであろう。オリヴィア・ニュートン=ジョンとの共演曲「Xanadu」(1980/全米No.8)で初めて彼らのことを知った、という向きも少なくないだろう。

筆者が最も熱心にFEN(現AFN)を聴いたのは10代後半から20代前半だが、ELOの最高傑作と言っても過言ではないアルバム『DISCOVERY』(1979)がリリースされたのは、高校時代だった。当時はR&B/ソウル・ミュージックに限らず、曲を聴いて「おっ!」と思ったものはジャンルを問わずに買って聴いていた。同アルバムからの1stシングル「Shine A Little Love」(全米No.8)をFENで初めて耳にした翌日、学校帰りに八戸市内の行きつけのレコード店で同曲が収録された輸入盤LPを購入したことを昨日のことのように思い出す。ところが、本連載で何度か述べているように、実家を出る際にR&B/ソウル・ミュージック以外のレコードはほとんど手放してしまったため、ELOのその傑作もその憂き目(?)に遭ってしまった。手放したことをあそこまで後悔したアルバムも珍しい。ところが、ひょんなことから『DISCOVERY』は筆者の手許に舞い戻ってきたのである。本連載に幾度となく登場している音楽仲間でもある主治医が、1979年当時に買ったという日本盤LPをプレゼントしてくれたのだった! マスターテープから直接落とした音源と思しきその音のカッティング・レヴェルは素晴らしく、輸入盤と較べても全く遜色がない。それどころか、筆者は同アルバムを聴きながら一気に高校時代にタイム・トリップしてしまった。

今回、採り上げた「Last Train To London(邦題:ロンドン行き最終列車)」は、もともとはELOの本国では『DISCOVERY』からの2ndシングル「Confusion」(全米No.37/AORファンの間での支持率高し)との両A面扱いシングルだったのだが、アメリカでは何故だか切り離されてリリースされた。同アルバムからの最大ヒット曲は「Don’t Bring Me Down」(全米No.4/ゴールド・ディスク認定)だが、筆者の耳を最も捉えたのは「ロンドン行き最終列車」であった。イントロからして胸が高鳴る高揚感といい、純粋な男性の恋心といい、聴きどころ満載だからである。そして何よりも、思わず辞書を引きたくなってしまうイディオムや単語が満載なところに心を惹かれてしまう。しかも――ロンドン行きの終電が午後10時前?!(冒頭で「時間は9時29分だった」と歌われている。そこにまずは驚かされた)そのフレーズから、曲の主人公の男性はロンドン市民(であり、目指す恋人が住む街がロンドン以外であることが判る。高校生の筆者にとっては様々な発見のあるラヴ・ソングであり、今なお忘れられない臨場感あふれるサウンド+歌詞を持つ洋楽ナンバーのひとつだ。

曲の要旨

都会の時間を指す時計は夜9時29分。街中に音楽が流れていてとってもいい気分だったよ。いつもと変わらない夜だったけれど、あの時ばかりは“時よ止まれ”って思ったね。本当はロンドン行きの最終列車に飛び乗って家に帰らなきゃいけないんだけど、音楽が溢れる夜の街にいる君を残して帰りたくはなかったよ。今宵がどうかいつまでも終わりませんように、って祈るような気持ちだったのさ。それほど僕は君と一緒にいたい。今夜は思いっ切り音楽を鳴り響かせよう。

1979年の主な出来事

アメリカ: スリーマイル島の原子力発電所で大量の放射能漏れ事故が発生。
日本: 携帯用小型カセットテープ・プレイヤーのWALKMANをソニーが発売。
世界: イギリスでマーガレット・サッチャーが同国初の女性首相に任命される。

1979年の主なヒット曲

I Will Survive/グロリア・ゲイナー
Tragedy/ビージーズ
Good Times/シック
Sad Eyes/ロバート・ジョン
Pop Muzik/M

Last Train To Londonのキーワード&フレーズ

(a) it feels so right
(b) last
(c) the fire

ELOは不思議なグループである。ある人は“UKロック・バンド”といい、ある人は――とりわけ『DISCOVERY』のみを聴いたことのある人――は“ディスコ・バンド”と呼ぶ。しかしながら、筆者に言わせれば彼らはノン・ジャンルである。初期の作品と『DISCOVERY』を聴き較べてみると、そのことがより判然とすると思う。もっと踏み込んで言えば、『DISCOVERY』はELOの作品群の中でも特異であり、彼らの熱狂的なファンならずとも、当時LPやカセット・テープを買って持っている人が少なくなかったと記憶している。かくいう筆者も思わずLPを購入してしまったひとりであり、その日から飽かず毎晩のように愛聴していた。何しろどの曲も驚くほど完成度が高く、また、ひとつひとつに物語性があるため(いわゆる“コンセプト・アルバム”の部類に入る)、1曲たりとも飛ばして聴く気にはなれない。そうしたアルバムには滅多にお目に掛かれないので、本来ならば手放すべきではなかったのだろうが、若気の至り(?)でうっかり『DISCOVERY』に別れを告げたことを後々まで後悔した。日本盤LPをプレゼントしてくれた主治医に、この場を借りて厚くお礼を言いたい(それにしても同い年、ってだけでこんなに音楽の話が合うなんて!)。

(a)は洋楽愛好家ならば必ずいずれかの曲でお目に掛かる言い回しのひとつで、以下も同じ意味。

♪It feels right
♪It feels alright
♪It feels good

…などなど。いずれも日本語にはなりにくい表現だが、つまるところ“気分が高揚している=最高の気分”という意味。時には主語の“It”が省略されて“Feels (Felt)(so) good”と表現されていることもある。

筆者がこの曲で憶えた単語のひとつに(b)がある。日本人は“ラスト=終わり”という感覚を覚えるが、(b)には動詞で“永遠に続く”という意味があり、例えば次のような使い方をする。

♪Our love will last forever
♪It’s gonna last forever

もちろん、これらは「永遠に終わる(だろう)」という意味ではなく、「いつまでも続く、いつまでも終わらない」という意味。(b)が用いられているフレーズでは、「今宵がいつまでも続けばいいのに」と歌われており、高校時代に筆者は思わず“last”を辞書で引いて調べた記憶がある。日本語でいうところの「これでラスト(=終わり)だからねー!」の“last”とは意味が真逆だということに気付かされて、それこそ目からウロコ状態だった。今でも(b)を含むフレーズを聴くと、その時のことがありありと脳裏に思い浮かぶ。たったひとつの動詞だが、洋楽ナンバーで「ん?」と不思議に思った言葉を改めて辞書で調べてみると様々な発見がある、ということを思い知らされた次第である。

英語と日本語には共通する表現が多々ある。諺は言うに及ばず、例えば比喩にしても酷似しているものが多い。(c)もそのうちのひとつで、ここでは敢えて意訳するなら「恋の炎、心の中に芽生えた熱い炎」といったところか。(c)を含むフレーズを直訳すると「君が炎が燃えていると感じる時」となるが、それでは火事場の野次馬になってしまう(苦笑)。ここはどう考えても「高揚する気分、熱い気持ち」であり、すなわちそれはある種の興奮状態を表す。日本語でも「(心が)燃えてるか?」みたいな言い方をするが、(c)の“fire”はまさにその「熱い気持ち」を指している。英語と日本語の比喩で似たようなものに出くわすと、思わずニマニマしてしまうのは筆者だけではないだろう。

それにしても、だ。ELOの演奏技術の高さも然ることながら、ヴォーカル・アレンジ、歌詞の緻密さには本当に唸らされる。子供の頃からR&B/ソウル・ミュージックを愛聴してきた筆者でさえ、たった一度FENで曲を耳にしただけで、思わずその場でアーティスト名と曲名をメモに取り、その翌日にLPを買ってしまったほどなのだから。当時、『DISCOVERY』からのシングル・カット曲はほぼ全て日本盤シングルとしてリリースされていたのだが、残念ながら、筆者はLPを買っただけで満足してしまい、行きつけのレコード店でそれらを目にすることがたびたびあっても、購買意欲をそそられなかった。シングル盤をコレクションしている今となっては、じつに惜しいことをしたと後悔しきり。そして中古レコード屋さんに行くたびに、ELOの日本盤シングルをせっせと探してしまうのである。特にこの「ロンドン行き最終列車」だけはいつか必ず入手してやる、と心に誓いつつ。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、2012年まで翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「泉山式 翻訳力×英文法講座」)の講師を務めた。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツを担当した。その他、ジャンルを問わずポップス、ロックの訳詞も手がける。

Lady Marmalade(1974/全米No.1,全英No.17) /ラベル(1959-1977)

2014年 1月 15日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第112回

レディ・マーマレード日本盤シングル

●歌詞はこちら
http://www.metrolyrics.com/lady-marmalade-lyrics-patti-labelle.html

曲のエピソード

“歌い上げる”タイプのソウル・シンガーは数あれど、筆者がすぐさま頭に思い浮かべるのはパティ・ラベル(Patti LaBelle/1944-)である。もうだいぶ昔のことだが、彼女の来日公演を観に行った際に、ステージ上に寝そべりながらも、天にも届かんばかりの歌声を発していたのには本当に驚かされた。

ラベルはその前身をブルー・ベルズ(The Blue Belles)という。もともとパティを中心とした女性カルテットだったが、トリオになったのを機にグループ名を“ラベル”と改めた。その際のメンバーは、パティ、そして後にあのシュープリームスのメンバーになったシンディ・バードソング、加えて、ソロ・シンガーに転向したノナ・ヘンドリックスという面々である。ラベルに改名したのは1977年のことだが、じつは同グループ名でのヒット曲は1曲しかない。それが、今回採り上げた大ヒット曲「Lady Marmalade(邦題:レディ・マーマレイド)」である。なお、R&BチャートでもNo.1を獲得。彼女たちにとって、最初で最後の大ヒット曲だった。

この曲をクリスティーナ・アギレラ、リル・キムらによるカヴァー(2001年に全米No.1)によって初めて知った、という人も少なくないだろう。筆者はだいぶ前にこの曲の日本盤シングルを買い求めていたのだが、今から約13年前に再びこの曲が脚光を浴びて大ヒットした際に、思わずシングル盤をごそごそと取り出して聴き直してしまったほどた。が、じつはこの曲の歌詞についてそれほど深く考えたことがなく、ただ単に“セクシーな女性が男性を誘っている歌”だとばかり思っていた。ところが、いろいろと調べてみると、曲のタイトルにもなっている“Lady Marmalade”は春をひさぐ女性である、ということが判明し、改めてこの曲の奥深さを思い知らされるに至ったのである。

曲の要旨

褐色のお姉さん、いいわよ、その調子でどんどん男を誘いなさいよ。彼はニューオーリンズで通称マーマレイドという女に出逢ったの。彼女は彼に誘い掛けたのよ。ちょっとライトスキンの彼女はレディ・マーマレイド。彼女はフランス語で話し掛けてきたわ。「ねぇ、今夜、アタシといいことしない?」。彼女の誘いに屈した彼は彼女の部屋でなすがまま。ほら、まるでカフェオレの色みたいな彼女の肌はすべすべで気持ちいいでしょ。普段の彼は何事もなかったように日常を送っているけれど、眠りに就く時に彼女の面影にうなされて身悶えするのよ。

1974年の主な出来事

アメリカ: ウォーターゲート事件絡みでニクソン大統領が辞任し、第38代大統領に同じ共和党のフォードが就任。
日本: 東京国立博物館でレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」(ルーヴル美術館蔵)が展示され、連日、大勢の観覧者が訪れて長蛇の列を作り、社会現象になる。
世界: ポルトガルでクーデターが勃発し(世にいう“カーネーション革命”)、サラザール独裁体制に終止符が打たれる。

1974年の主なヒット曲

The Way We Were/バーブラ・ストライザンド
Dark Lady/シェール
Bennie And The Jets/エルトン・ジョン
The Loco-Motion/グランド・ファンク
I Shot The Sheriff/エリック・クラプトン

Lady Marmaladeのキーワード&フレーズ

(a) soul sister
(b) give it a go
(c) Lady Marmalade

初めて聴いたのはいつのことだったのか記憶にないほど、この曲が耳にこびりついて離れないまま今に至っている。まだ英語の歌詞を理解できない子供の頃だったとは思うが、曲の雰囲気からして、何となく“いやらしい曲なんじゃないか”という雰囲気だけは感じ取った。何を言ってるのか解らないコーラス部分に加えて、曲全体に漂う妖しげな雰囲気に呑み込まれたような感覚だけは未だに忘れられない。

耳に残るのはコーラス部分だけではなく、本来 [mɑ́ːrməlèɪd] と発音するはずの“marmalade”が何故だかここでは“マーマライド”と発音されており、余計に耳に残るのだ。そしてそれこそが、この曲の狙い目だと気付くのは、ずっと後になってからのこと。英語の曲では、押韻のために本来の発音を無理やり変えることがままあるが、この曲に限って言えば、押韻のためにそうしているのではなく、リスナーの耳を惹きつけるために故意にそう発音しているのである。個人的には、タイトルにもなっているこの部分を従来の発音通りに歌っていたならば、ここまで耳朶を打つことはなかったのではないか、とさえ思う。

歌い出し部分にある(a)は、アフリカン・アメリカン女性のことである。この男性版は、ご存知のように“soul brother”である。(a)は、この曲の主人公である女性=春をひさぐ女性、即ちストリート・ガールがアフリカン・アメリカン女性であることを指しており、ある種の応援歌のような雰囲気を醸し出している。それほどメロディアスな曲ではないが、この歌い出し部分は聴く者の耳と心を鷲掴みにするのではないだろうか。もちろん、(a)はタイトルにもなっている“Lady Marmalade”を指している。そしてラベルの3人は、彼女に向かって「いいわよ、その調子! 頑張って!」とエールを送っているのだ。

自動詞でもあり他動詞でもある“go”は、じつは名詞でもある、ということを、改めて思い出させてくれるフレーズが(b)である。辞書で“go”の名詞的用法を引いてみると、「やってみること、試み」といった意味が載っており、そこから思い出されるのは、“give it a chance(=やってみる)”という言い回し。この曲では、レディ・マーマレイドから声を掛けられた男性の名前が“Joe”となっていることから、それと押韻するために“go”が用いられたものと推測される。ちょっと蓮っ葉な日本語に訳すなら、「アタシを試して(=アタシと遊んで)みない?」となるだろうか。

タイトルの(c)は曲の中で幾度となく歌われ、弥が上にも耳に残る。先にも述べたが、故意に“マーマライド”と発音しているせいで、その部分が耳から離れなくなってしまうのだ。その昔、英語では“マーマレイド”ではなく“マーマライド”と発音するのかと思い込んで辞書で発音記号を調べたことさえある。が、やはりここはこの曲特有の発音だと言うことを知るに至った。“marmalade”にはそもそも淫靡な意味はない。しかしながら、子供心にどこかしらそうした雰囲気を嗅ぎ取ったのは、その発音のせいかも知れない、と、今にして思う。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、2012年まで翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「泉山式 翻訳力×英文法講座」)の講師を務めた。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツを担当した。その他、ジャンルを問わずポップス、ロックの訳詞も手がける。

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