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Ben (1972, 全米No.1)/マイケル・ジャクソン (1958-2009)

2012年 5月 23日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第33回

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●歌詞はこちら
http://lyrics.wikia.com/Michael_Jackson:Ben

曲のエピソード

ネズミが人間を襲うパニック映画『WILLARD』(1971)の続編『BEN』(1972)のテーマ曲で、幼少期のマイケル・ジャクソンが歌っている。この曲が収録されている、マイケル名義のアルバムのオリジナルLPのジャケット写真に写っているのは、当時、彼が実際にペットとして飼っていたネズミ。ところが、後に同アルバムが再発された際には、何故だかジャケット写真からネズミが姿を消していた。

曲ができあがった当初は、ダニー・オズモンド(人気ファミリー・グループのオズモンズのメンバー)がこの曲をレコーディングするはずだったが、共作者のひとりであるドン・ブラックがマイケルにレコーディングさせることを主張した。マイケルにとって、ソロ・アーティストとして初の全米No.1ヒットとなった。なお、ダニーは、幼少期にマイケルが「親友」のひとりに挙げていた人物。この曲が全米チャートでNo.1の座に就いた時、マイケルは14歳の誕生日を迎えたばかりで、全米中のラジオが彼の誕生日を祝ってこの曲をへヴィ・ローテーションで流した、という逸話が残っている。邦題は「ベンのテーマ」。

曲の要旨

みんなは(ネズミの)君を嫌うけど、僕は大好きさ。だって、僕にとって友だちと呼べる相手は君しかいないんだもの。君と出逢う前の僕は独りぼっちで寂しかったよ。何をするにも、どこへ行くにも独りだった僕に、今、ベンという友だちができた。これからは何をするにも一緒だよね。周りのみんなには(ネズミを親友と呼ぶ)僕の気持ちなんて理解できないだろうな。でも、彼らにだって、ベンみたいな親友ができたら、今の僕の気持ちをきっと理解できると思うよ。

1972年の主な出来事

アメリカ: 6月17日にウォーターゲート事件が発覚。
日本: 浅間山荘事件が日本中を震撼させる。
田中角栄首相が訪中し、日本と中国の国交が回復。
世界: 東ドイツと西ドイツの国交が正常化。

1972年の主なヒット曲

American Pie/ドン・マクリーン
A Horse With No Name/アメリカ
The Candy Man/サミー・デイヴィス Jr.
Alone Again (Naturally)/ギルバート・オサリヴァン
Papa Was A Rollin’ Stone/テンプテーションズ

Benのキーワード&フレーズ

(a) to call one’s own
(b) a friend in someone
(c) a place to go
(d) I/me, us/we

寂しい曲である。何せ、孤独な少年の「たった一人の友だち」が嫌われもののネズミなのだから。この曲が大ヒットしていた頃、マイケル・ジャクソンは人種も世代も超えて大勢の人々に支持される、ナンバー・ワンのアイドルだった。ゆえに、彼は孤独だった。同世代の子供たちは学校が終わると仲間と一緒に遊びに興じ、家族と共に楽しく夕食をとる。そんな生活とは無縁だったマイケルは、ツアー先に向かう飛行機に搭乗するために赴いた空港で行方不明となり、スタッフを手こずらせたこともあったという。多忙であるため、普通の子供のように学校にも通えず(ツアーにも同行する家庭教師がいた)、同世代の子供たちと無邪気に遊ぶなんてのは夢のまた夢。夢を売る商売の子供は得てしてそうした犠牲を払わなければならないものだろうが、後年、マイケルが「自分には子供時代の普通の子供らしい思い出が全くと言っていいほどなかった」と語っているように、彼は幼いながらに孤独感に苛まれていたのだろう。

当時、マイケルが置かれていたそんな状況を知ってか知らずか、「Ben」はアメリカで瞬く間にチャートを駆け上り、遂に首位の座に就いた。あるいは、この曲の歌詞に共感した人々が大勢いたのかも知れない。(a)は、ラヴ・ソングにもよく出てくる言い回しで、次のような使われ方をする。

○I have someone to call my own.(私には自分だけのものと胸を張って言える恋人がいる)

○I’ve got a friend to call my own.(私には他の誰でもない、私だけの親友がいる)

この言い回しが出てくるフレーズには、「私(僕)にもようやくそう呼べる相手ができた」という安心感があり、ちょっぴり感傷的でもある。このフレーズを口にする曲の主人公が、それ以前には孤独だった、ということを知らず知らずのうちに吐露しているからだ。

(b)も然り。例えば、次のようなフレーズが登場する歌詞もある。

○You see a lover in me.
(直訳:あなたは私の中に恋人を見る/意訳:あなたには私という恋人がいる)

“see ~ in someone”に共通しているのは、その人と相手の人の間に、何かしら秘め事を感じさせる点。「第三者には判らなくても、互いに共有する思い」がそこには介在する。“in someone”は、言ってみれば「心の中」であるから、そこにあるのは、目には見えないけれど確かなもの、信じられるもの、心と心のつながり、を表す。

直訳するとちょっと誤訳になってしまうのが(c)。直訳の「行くべきところ」として用いられる場合もなくはないが、ここでは「心の拠り所、逃げ場所」という意味。この短い「君には心の拠り所があるんだよ」というフレーズの中に、主人公の少年から親友のネズミに向けられた憐憫の情が集約されている。そして主人公の少年もまた、“a place to go”を見つけられないまま、寂しく生きてきたことをも示唆。「Ben」の歌詞の中でも、ひときわ胸にグッとくるフレーズだ。当時のマイケルがどうしても埋められずにいた寂しさに思いを馳せる時、このフレーズが心を深くえぐるのだ。

またまた胸に迫るフレーズである。(d)が登場するフレーズは、とてもシンプルなのに奥が深い。ネズミのベンという親友を得る前までは、この少年が独りぼっちだった、という事実を如実に物語るからだ。一瞬、何を言っているのかを理解しにくいフレーズではあるけれど、解ってみると、これまた切ない。

「(話す時や何かをする時は)いつも『僕は』、『僕が』、『僕に』だったのに、今は『僕たち』、『僕たちは』、『僕たちに』って言える」(強調筆者)――非常に示唆的なこのフレーズの真意は、「以前は何をするにも独りだったのに、今ではふたり(僕&ベン=we, us)だからね」と、この少年は喜びいっぱいに言ってるのである。たとえ親友が嫌われもののネズミであろうと、ようやく少年が得た友だちであり、親友であった。少なくとも、マイケルに較べればそこまで孤独ではなかったであろうダニー・オズモンズがこの曲をレコーディングしていたなら、ここまで情感タップリに歌うことはできなかったのでは……と思う。なお、この曲は日本で2005年に放映されたTVドラマ『あいくるしい』のテーマ曲に起用され、マイケルのファンの間でも人気が高い。

マイケルにとって生前最後の全米No.1ヒット曲「You’re Not Alone」(人気R&BシンガーのR. ケリー作)は、個人的には、この「Ben」に対するセルフ・アンサー・ソング(ある曲を歌っていたシンガーが、後にその自分の曲に呼応するかのように歌った曲のこと)ではないか、とずっと思ってきた。同曲の歌詞は、

http://www.tsrocks.com/m/michael_jackson_texts/youre_not_alone.html

でご覧あれ。表向きは去って行った恋人に対する思いが綴られた失恋ソングだが、“love”を“friendship”に、“you”を“Ben”に置き換えてみると、不思議と双方の曲のメッセージが響き合う。いずれも寂しい曲であることには変わりないけれど。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。

Help Me(1974, 全米No.1)/ジョニ・ミッチェル(1943-)

2012年 5月 16日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第32回

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●歌詞はこちら
http://www.lyricsfreak.com/j/joni+mitchell/help+me_20075303.html

曲のエピソード

カナダ出身のシンガー/ソングライター/ギタリスト/ピアノ奏者で、絵画なども得意とする多才なアーティスト、ジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell, 本名Roberta Joan Anderson。後に活動拠点をニューヨークに移した)。彼女にとっての最大ヒット曲である「Help Me」(ビルボードのアダルト・コンテンポラリー・チャートでは堂々のNo.1)は、通算6枚目のアルバム『COURT AND SPARK』に先駆けてシングルとしてリリースされた。1973~74年頃、ジョニは、当時イーグルスのメンバーだったグレン・フライと恋仲にあり、「Help Me」同様、やはり『COURT AND SPARK』に収録されている非シングル曲「Car On A Hill(邦題:丘の上の車)」の2曲は、グレンについて書かれたものだと言われている。その2曲から透けて見えてくるのは、相手の男がモテモテで浮気癖があり、それにヤキモキしながら恋に身を焦がす女性の姿。結局、双方の恋愛関係には終止符が打たれ、結婚には至らず、後にそれぞれ別の人と結婚した。

曲の要旨

自分で自分の気持ちをコントロールできないほど、どんどん彼に惹かれていく私。モテ男の彼に惚れたところで、どうせ自分が辛い思いをするだけだと判ってるのに、どうしても熱い思いを抑えられない。ああ、どうしよう。私が惚れた男は、女との恋愛にうつつを抜かすよりも、男友だちとワイワイやってる方が好きみたい。つまり私は、女に縛られるのが嫌いなタイプの男に惚れちゃったってことね。彼とは恋人ごっこみたいな付き合いが続いているけれど、もしかしたら彼はそのうち私を捨ててしまうかも…。でも、彼への恋心が募っていくのを止められないの。私、どうしたらいいの?

1974年の主な出来事

アメリカ: ジェラルド・R・フォードが第38代大統領に就任。
日本: 残留兵の小野田寛郎がフィリピンのルバング島から帰還し、衆目を集める。
世界: ポルトガルでクーデターが起こり、サラザール独裁体制が崩壊(俗にいうカーネーション革命)

1974年の主なヒット曲

You’re Sixteen/リンゴ・スター
Love’s Theme/ラヴ・アンリミテッド・オーケストラ
Bennie And The Jets/エルトン・ジョン
Feel Like Makin’ Love/ロバータ・フラック
You Haven’t Done Nothin/スティーヴィー・ワンダー

Help Meのキーワード&フレーズ

(a) Help me
(b) ladies’ man
(c) love one’s freedom
(d) come down to smoke and ash

ジョニ・ミッチェルには、常々“強い女”――嫌いな言葉だが、今風に言うと“心の折れない女”といったところか――というイメージを抱いていただけに、この曲での女心の吐露は、正直、彼女らしくないな、と思ったこともあった。が、後になって、これが実際に彼女が恋に溺れそうになる自分をどうすることもできず、激しい衝動に駆られて綴った曲だと知り、人をイメージだけで判断するのは誤りだと改めて気付かされた。この曲でジョニは、身をよじらんばかりに相手の男(グレン・フライ)に惹かれていく様を包み隠さず歌っている。これは勝手な想像だが、恐らく当時の彼女は、寝ても覚めても彼のことで頭の中がいっぱいだったのだろう。グレンにとって彼女はどんな存在だったのだろうか。彼にも当時の胸の内を訊いてみたい気がする。

タイトルにもなっている(a)を「私を助けて」と訳すのは容易い。中学生でもできる。学校や塾で英語を習っている小学生だって、(a)を「私(僕)を助けて」とすぐさま訳すことができるだろう。が、ジョニの心の叫びとも言える“Help me.”には、もっと深い意味が込められているのだ。今一度、“help”を辞書で調べてみて欲しい。辞書によっては、例文の“Help me!”の意味に「助けて!」の他に「もうだめだ!」、「ああ、だめだ!」という意味も載っているはず。そう、この曲でジョニは「私を助けて!」と歌っているのではなく、「私、もうダメ!」、「私、もうこの気持ちを抑えられない!」という意味を込めて“Help me.”と歌っているのである。もっと意訳するなら、「誰か、今の私を止めて!」になるだろうか。恋に身を焦がしている主人公の女性は、決して窮地に立たされているわけではない。「このままどんどん彼に惹かれていって、終いにはポイと捨てられちゃったらどうしよう……。それを考えると怖いから、ずるずると自分の思いに引きずられるままに彼に溺れてしまう前に何とかこの気持ちを止められないかしら」ということを言いたいわけで、その複雑な気持ちが“Help me.”という短いセンテンスに凝縮されているのである。

(b)は、相手の男を指して言っているもの。「女にモテる男」、「女好きの男」といった意味だが、洋楽ナンバーの歌詞では、しばしば「女たらし」という意味でも用いられる。この曲がヒットしていた頃、イーグルスは最も人気の高いロック・バンドのひとつであったため、ツアー先には多くのグルーピーたちが押しかけたことだろう。もちろん、ジョニと恋愛関係だったグレンにも、多くの女が群がっていたに違いない。だからジョニは「女にモテモテの恋人」に対してヤキモキするのである。また、(b)は、男性自身が「オレは女にモテモテなんだぜぇ」と自慢する時に“I’m a ladies’ man.”という風に口にしたりもする(R&Bやラップ・ナンバーの歌詞でもたまに見聞きする)。イーグルスのメンバーの中でも優男だったグレンは、かなりの“a ladies’ man”だったのではないだろうか?

“freedom”は普通に訳せば“自由”だが、この曲では、「束縛されない状態」、「勝手気ままな行動」という意味で使われている。即ち(c)は、主人公の女性がモテ男の相手に向かって「あなたは(私にかまっているよりも)自由気ままに過ごしていたいんでしょ」と言ってるわけだ。(c)が登場するフレーズを聴くと、実際にジョニがグレンにそう言って詰め寄っている様子が目に浮かんでくるようだ。この曲に限らず、恋人をほったらかしにして、同性の仲間と夜な夜な街に繰り出す、という内容の歌詞を過去に何度も訳してきたが、大抵の場合、女性シンガーが“あなたは私と一緒に過ごすより、仲間たちと一緒に遊びに出かける方が楽しいのね”と厭味を言うものだった。恋人が夜の街で仲間たちとワイワイ楽しくやってる間―もしかしたら他の女たちも一緒かも知れないと思いつつ―彼の帰りを待ちわびる女。「今頃、彼はどこで誰と何をしてるのか判ったもんじゃない」という煩悩がジョニの頭の中を駆け巡る気持ちが、(c)に込められている。GPS対応の携帯電話が普及してからは、こうした“相手の行動が判らずヤキモキする”といった歌詞は洋楽ナンバーでとんとお目にかからなくなってしまった。

(d)は、正式なイディオムの“turn to dust and ashes(希望や期待が消え失せる)”からヒントを得て綴られたフレーズであることは明らか。何故だかこの曲では“ash”が複数形になっていないが…。このフレーズの前の行に“hot, hot blazes(燃え上がるような恋の炎)”とあることから、正式なイディオムにある“dust(ほこり)”を“smoke(煙)”に変えたのだろう。炎からは、ちりやほこりではなく煙が立つから。(d)がいわんとしているのは、その「恋の炎」が「消え失せてしまうのを過去に私は目にしてきた(=体験してきた)」ということ。だから余計に、相手の男性に強烈に惹かれながらも、この恋がいつの日か終わりを迎えるのでは、という恐怖心に苛まれてしまうのだ。

この曲がレコーディングされたのは、1973年。当時、ジョニは30歳前後、グレンは20代半ばだった。ジョニは1943年11月7日生まれ、一方のグレンは1948年11月6日生まれで、奇しくも誕生日が1日違い。そして彼女は彼より5歳上だった。そのことも頭に入れてこの曲を聴けば、年上の女性が年下のモテ男に魅了されていく気持ちにブレーキをかけられず、悶々としていた気持ちが痛いほど伝わってくる。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。

Alone Again (Naturally) (1972, 全米No.1)/ギルバート・オサリヴァン(1946-)

2012年 5月 9日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第31回

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●歌詞はこちら
http://www.stlyrics.com/lyrics/thevirginsuicides/aloneagainnaturally.htm

曲のエピソード

ギルバート・オサリヴァン(アイルランド生まれのシンガー/ソングライター)の名前を知らなくても、この曲を耳にしたことがある人は結構いるのではないだろうか。日本のCMやドラマでも起用されたことがあり、今でもラジオで耳にすることがある。

ほんわかとしたメロディと優しく語りかけるようなヴォーカルとは裏腹に、じつはこの曲は「自殺予告ソング」である。主人公は、結婚式の当日に花嫁に逃げられてしまう青年。歌詞の内容が多くの共感を呼んだのか、1972年当時、全米とアダルト・コンテンポラリーの両チャートで6週間もの間、No.1の座に君臨した。ヒットしていた当初から、曲の内容がギルバートの実体験に基づいたものではないか、とまことしやかに囁かれたが、彼自身はきっぱりとそれを否定。彼が11歳の時に父親を亡くしたことや、両親の仲が悪く、幸せな子供時代ではなかったことは歌詞の内容と呼応するものがあるが、この曲を彼が作った時、実際には母親は健在だった。

曲の要旨

教会で行われることになっている結婚式に参列した人々が、にわかにざわめく。花婿はとっくに到着しているのに、いつまで経っても花嫁が姿を現さない。時間だけが容赦なく過ぎていく。手持ちぶさたの参列者たちは、諦めて帰り支度を始めてしまう。残された花婿。その青年は、必ずしも幸せな幼少時代を過ごしたとは言えず、先に父が亡くなり、やがて母も亡くして孤独に苛まれて生きている。そして、ようやく「家族」と呼べる生涯の伴侶を得ることになった結婚式の当日、花嫁は遂に姿を現さず、彼は裏切られたことを知のだった。「(これまでもそうだったように)また独りぼっちになってしまった」ことに絶望した主人公の青年は、近所にある高い塔のてっぺんに登ってそこから投身自殺を図ろうと思い立つ……。

1972年の主な出来事

アメリカ: 6月17日にウォーターゲート事件が発覚。
日本: 浅間山荘事件が日本中を震撼させる。
田中角栄首相が訪中し、日本と中国の国交が回復。
世界: 東ドイツと西ドイツの国交が正常化。

1972年の主なヒット曲

American Pie/ドン・マクリーン
A Horse With No Name/アメリカ
The Candy Man/サミー・デイヴィス Jr.
I Can See Clearly Now/ジョニー・ナッシュ
Papa Was A Rollin’ Stone/テンプテーションズ

Alone Again (Naturally) のキーワード&フレーズ

(a) treat oneself
(b) throw someone off
(c) alone again naturally
(d) God rest one’s soul

もうだいぶ前の話だが、日本の某保険会社がこの曲をCMソングに起用したことがある。昔から「自殺予告ソング」であることを知っていたので、あの時は本当に肝を冷やした。今でこそ、歌詞の内容が理解されるようになり、ネット上でも「ブラックな選曲」(ブラック・ユーモアが利き過ぎている、ということだろう)と指摘する人もいて、ちょっぴりホッとする。耳に心地好くて優しいメロディにうっかりつられ、TPOを全く考えずに洋楽ナンバーを起用するとトンデモナイことになる、という好例(悪例?)になりやすい曲、それがこの「Alone Again (Naturally)」だ。まさか「弊社では、自殺をなさった方にも保険金が出ます」と言いたかったわけではないだろう。ちょっと意地悪な言い方だけど。

もうそろそろこの曲の真意が日本でも理解されてきただろう、と思っていた矢先、こんなことがあった。家人が教えてくれたのだが、何気なく聞いていたラジオから、パーソナリティーの明るい声と共に、この曲が流れてきたという。「では、東日本大震災で被災された方々への励ましとして、次の曲を贈ります。ギルバート・オサリヴァンの『アローン・アゲイン』」――家人曰く「あれじゃ逆効果だろう」――同感。もちろん、リスナー全員が洋楽ナンバーの歌詞を理解して聴いているわけではないだろうが、そこのところ、もう少し斟酌してくれてもいいのではないか、と思う。よりにもよって「(今までもそうだったように)また独りぼっち」と歌っているこの曲を被災者の方々に捧げるなんて……。

辞書の“treat”の項目にイディオムとして載っている(a)は、“treat oneself to ~(~を奮発して買う、~を思う存分に楽しむ)”というように使われる。それらの意味をひとまとめにするなら「思いっ切り贅沢をする」となるだろうか。この曲では、主人公が「自分を treat することを自分に誓う」という風に使っているが、一見してやや意味不明。何故なら、このフレーズの直後で例の「自殺予告」をしているから。となると、彼にとっての“treat”がどんなことを指しているのかを考えなければならない。どうやら、今まで孤独に耐えてきた彼は、実に忍耐強い人間のようだ。ところが、花嫁が結婚式の当日に教会に姿を現さなかったことで、彼の忍耐を支えていた何かが脆くも崩れ去ってしまったのではないか。そして彼は思うのだ。「もう自分の好きなようにさせてもらう(=こうなったら死んでやる)」と。彼にとっての“treat”は、高価なものを奮発して買うことでも、羽目を外して何かを存分に楽しむことでもない。「自分の意のままにさせてもらう」ことなのだ。こんなに哀しい“treat”が他にあるだろうか?

この曲が「自殺予告ソング」であることがハッキリするのが、(b)のフレーズ。“throw ~ off”には、「~を投げ落とす、振り落す」の他に、「(古くなった衣類や古い習慣などを)捨て去る、かなぐり捨てる」という意味もある。もちろんここでは、「自分自身を(高い場所から)投げ落とす」、つまり「投身自殺を図る」の意味で使われているが、「古い習慣をかなぐり捨てる」の意味をそこに付加すれば、「これまで孤独に耐えてきた自分自身とおさらばする」というダブル・ミーニングにも思えてくるから不思議だ。が、主人公が過去の自分と決別するための手段に選んだのが投身自殺では、余りに悲しい。

タイトルで肝心なのは、カッコで括ってある“(Naturally)”。「自然に、ありのままに」の他に、「生まれつき、生まれた時から、生来」といった意味があり、この曲では後者の意味として使われており、曲の主人公が生まれてこの方ずっと孤独だったことを暗喩している。わざわざカッコの中にその単語を入れてタイトルにしたことにも、何らかの意図を感じずにはいられない。単に「また独りぼっちになっちゃったよ」ではなく、「(今までもずっとそうだったように)また独りぼっちになった」ことの悲哀が、このカッコ括りの“(Naturally)”に如実に表れている。カッコなしの「Alone Again Naturally」よりも、主人公の青年が抱えてきた孤独感の度合いが深まるタイトルだ。

クリスマス・ソングの定番に、讃美歌の「God Rest You (or Ye) Merry, Gentlemen」(『讃美歌第二編』128 「世のひと忘るな」)というのがある。タイトルは“God bless you!(あなたに神の祝福がありますように!)”同様、仮定法現在形で、ある種の決まり文句を踏まえたもの。もしもこれが仮定法でないなら、“God rests …”となるはずだ。が、(d)は“God rests one’s soul”ではないので、やはりここも仮定法現在形。主人公の父親が亡くなった際に余りに嘆き悲しむ母親を目の当たりにして、彼は“God rest her soul!(「神様、母の魂をお救い下さい!」)”と懇願する。意訳するなら、「神様、母の悲しみを鎮めて下さい!」。そして、その母もやがてこの世を去り、主人公の青年は天涯孤独となってしまう。その彼に、やっと心の安らぎをもたらしてくれるであろう伴侶が見つかったというのに――。彼の絶望感は、推して知るべし、である。

この世の悲しみを一身に背負ったかのような主人公は、この先、本当に高い塔から飛び降りたのだろうか……? 曲のストーリーは、そこまで描かれていない。なので、「自殺予告ソング」なのである。ギルバート本人は、1980年に晴れて結婚し、二人の娘を設けている。人並みに幸せな結婚生活を送ったようだ。それ以前に、彼が実際に花嫁に逃げられた悲惨な体験があったかどうか、彼は黙して語らずのままだ。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。

The Way We Were(1973, 全米No.1, 全英No.31)/バーブラ・ストライサンド(1942-)

2012年 5月 2日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌詞物語~ 第30回

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●歌詞はこちら
http://www.metrolyrics.com/the-way-we-were-lyrics-barbra-streisand.html

曲のエピソード

シドニー・ポラック監督、バーブラ・ストライサンドとロバート・レッドフォードが主演した大ヒット映画『THE WAY WE WERE(追憶)』のテーマ曲。歌詞の内容は物語の行方を暗示している。相反する政治思想を持ちながらも、どこか惹かれ合っていた男女が第二次世界大戦が今まさに終わろうとしていた頃、ニューヨークで偶然、再会し、愛し合うようになって結婚する。が、皮肉なことに、妻が第一子をみごもった時、男と女は互いの考え方や価値観の相違に今さらながらに気付き、別れることを選択するのだった…。

バーブラ(余談ながら、本名はBarbara。本人の意向で、本名のスペルから真ん中の“a”を取り除いてBarbraをステージ・ネームとした)が万感の思いを込めて歌ったこの曲は、アカデミー賞のオリジナル作曲賞と主題歌賞を受賞。映画の公開とほぼ同時期にリリースされたシングル盤は、全米チャートで3週間にわたってNo.1の座をキープし、アダルト・コンテンポラリー・チャートでは2週間にわたってNo.1の座に就いた。彼女にとって、初の全米チャート制覇を成し遂げた曲である。過去に存在した無数の男女の別れの曲と大きく異なるのは、相手が心変わりしたり浮気したりしたことを別離の理由に挙げたり、別れた相手を責めるような言葉がひと言も歌詞に登場しない点。互いに愛情を残しつつも別れざるを得なかった男女の切ない思いが行間に見え隠れして、聴くたびに切ない気持ちになってしまう。

曲の要旨

愛し合っていたあの頃の私とあなた。共に過ごした様々な思い出が、私の心の中でくっきりと浮かび上がる。屈託がなくて、無邪気だったあの頃に、ふたりはもう戻れないのかしら? 思い出は美しいものであると同時に、記憶に留めておくには辛いものもある。だから私たちは、お互いに過ごした日々――the way we were――での辛かった出来事を忘れることにしたの。幸せに満ちて、笑って過ごした日々のことだけをいつまでも憶えていましょうね。

1973年の主な出来事

アメリカ: アメリカ軍が南ヴェトナムから完全に撤退。
日本: 韓国の政治家、金大中が都内のホテルで拉致される。世に言う「金大中事件」。
世界: 第4次中東戦争に端を発する石油危機。

1973年の主なヒット曲

You’re So Vain/カーリー・サイモン
Love Train/オージェイズ
You Are The Sunshine Of My Life/スティーヴィー・ワンダー
We’re An American Band/シェール
Angie/ザ・ローリング・ストーンズ
Photograph/リンゴ・スター

The Way Wereのキーワード&フレーズ

(a) corner(s) of one’s mind
(b) the way we were
(c) simple

最近、映画『追憶』(それにしても邦題が素晴らしい!)のDVDを折に触れては何度か観てみた。と言うのも、若い頃、TVで放映された時に初めて観た際に、何故に主役の男女――バーブラ演じるケイティ、ロバート演じるハベル――が互いに惹かれ合ったのか、その理由が全く解せなかったから。共産主義に傾倒し、政治活動に夢中になるケイティ(そのことが、後に脚本家になる夫の仕事にも影響を及ぼすようになる)と、彼女の精力的な活動に気圧されつつも彼女に惹かれていくハベルが、第二次世界大戦終結後に結婚に至ったのは何故なのか。筆者自身が年齢を重ね、数十年ぶりに同映画を何回も観直していくうちに、この男女は“自分にはないもの”を相手が持っていることで惹かれ合ったのだと、今さらながらに気付いた。そしてもうひとつ。ラスト・シーンで、離婚後に久々にふたりはニューヨークで再会するのだが(その際、ハベルは新しい妻を伴い、売れっ子の脚本家に出世していた)、路上で原爆反対運動を繰り広げていたケイティに「結婚は?」と訊ねた際に、彼女が「ええ、してるわ」と答えたのは、じつはとっさについた嘘なのではないかと。若い頃に観た時には、“互いに新しい伴侶を得て良かった”と素直にそのセリフを受け止めたのだが、今、そのラスト・シーンを観てみると、バーブラのやや戸惑ったような表情から、「じつはまだ独りなのよ」という真逆のセリフが読み取れる。恐らくは、かつての夫を安心させるためについた優しい嘘だったのだろう。

歌い出しの♪Memories… をご記憶の方も多いことだろう。ここで注目したいのは、頭に定冠詞の“the”がついていないことである。つまり、曲(そして映画の)主人公の女性は、別れた夫との思い出を限定していない。共に過ごした日々の様々な出来事――いいことも悪いこともひっくるめて――が、(a)を「照らす」と歌っているのである。

(a)は、複数の洋楽ナンバーに、単数形で“a (または the)corner of one’s mind”として登場するが、正式なイディオムではない。直訳すると「~の心の隅っこ」となるが、この曲では“the corners of my mind”と複数形で歌われているので、“私の心の隅々に至るまで”と解釈できるだろう。英語圏では、これを「心の中でいつまでも消えない思い出が留まる大切な場所」と解釈する人々が多い。それに倣って言うなら、ここで歌われている女心は、「あなたと過ごした悲喜こもごもの思い出の数々が、私の心に色濃く残っている」となるだろうか。動詞の“light”は、他動詞では「~に火をつける、~を明るくする、~に活力を与える」といった意味だが、この曲では、「私の心の中でそれらの思い出がくっきりと浮かび上がる」と解釈したい。

映画のテーマ曲は、映画の邦題と同じになる場合が多く、この「追憶」もその例に漏れない。その他には、「~のテーマ」といった邦題が目立つ。仮にこの曲が映画の主題曲ではなく、バーブラの新曲としてリリースされたとしたなら、「追憶」という素晴らしい邦題が付けられただろうか。あるいは、この曲がリリースされたのがカタカナ起こしの邦題がそれほど多くなかった1970年代ではなく、いま現代であったなら、恐らくは「ザ・ウェイ・ウィ・ワー」と、単なるカタカナ起こしの邦題になっていたかも知れない。この曲が映画のテーマ曲であったことに今さらながらに感謝したい思いだ。

(b)は、直訳するなら「過去の私たちの様子、暮らしぶり」となるが、それだと単なる懐古趣味的な感じになってしまう。少し詩的に訳して「ふたりで過ごした日々」ではどうだろうか。言葉を加えてややセンチメンタルな雰囲気を持たせるなら、「決して戻ってはこないふたりで過ごした日々」でもいいだろう。(b)を映画の内容に沿って以下のように言葉を加えて英文を作ってみた。

(1) The way we loved each other.
(2) The way we fought.
(3) The way we laughed and cried.

この他にもまだまだ主役の男女が共に抱いた感情や、愛し合っていた時の行動や仕種など、いくつもの場面や出来事を当てはめて“the way we ~”の英文が作れる。映画を観ながら、頭の中にいろんな“the way we ~”が浮かんでしまい、観ている途中で止まらなくなってしまった(苦笑)。

歌詞に登場する簡単な英単語ほど訳しにくいものはない。(c)もそのうちのひとつで、“あの頃は何もかもがシンプルだったわね”と、カタカナにしてしまってはつまらないし、シンプルだったのが暮らしぶりだったのか、あるいは互いの関係がそうだったのか、ちょっと理解に苦しむことにもなってしまう。“simple”には「無邪気、天真爛漫」という意味もあり、この曲ではそうした意味で使われている。それが男女(夫婦)のかつての関係を回顧する場合の形容詞として用いられているのだから、(c)が登場するフレーズを意訳するなら「あの頃の私たちは、周りのことなど気にせずに、お互いの気持ちに素直でいられたわね」、または「当時のふたりはお互いの感情のおもむくままに自由奔放に振る舞っていられたわね」となるだろうか。

映画『追憶』を何度も観ているうちに、主役の男女の関係が愛し合っていた頃でさえ決して“simple”ではなかった、ということに気付かされる。そしてまた、この曲のタイトルを“The Way The Times Were”であったとしても、違和感を覚えないだろう、と思い至ったのも最近、この映画を観直してからのこと。恋愛、結婚、離婚をテーマにした映画は数多くあるが、時代背景を色濃く反映し、そしてその時代に翻弄されながらも愛し合った男女が別れを選択するまでの過程を克明に描いたこの『追憶』は、そのテーマ曲と共に、筆者にとっては生涯、忘れ得ぬ作品のひとつとなった。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。

Me And Mrs. Jones(1972, 全米No.1, 全英No.12)/ビリー・ポール(1934-)

2012年 4月 25日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌詞物語~ 第29回

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●歌詞はこちら
http://www.lyrics.com/me-and-mrs-jones-lyrics-billy-paul.html

曲のエピソード

1970年代、ディスコ・ミュージックのブームに乗って、フィラデルフィア産のR&B/ソウル・ミュージックが大旋風を巻き起こした。名付けて“フィラデルフィア(もしくはフィリー)・ソウル”。その急先鋒を担っていたのが、スリー・ディグリーズ、オージェイズ、ハロルド・メルヴィン&ブルー・ノーツを始めとして、多くの人気アーティストを輩出したレーベル、Philadelphia International。仕掛け人は、ソングライター/プロデューサー・コンビのケネス・ギャンブル(Kenneth Gamble, 1943-)とリオン・ハフ(Leon Huff, 1942-)。同コンビは“ギャンブル&ハフ”の通り名で日本のR&B/ソウル・ミュージック愛好家の間でも浸透している。

不倫ソングの金字塔ともいうべきこの曲が誕生した背景には、ギャンブル&ハフの実体験が色濃く反映されている。1970年代初頭、彼らが所有するレーベルのオフィスがあった雑居ビルの階下に、両者がしょっちゅう利用するカフェがあった。見るからに不倫関係と思われる男女が、それぞれ店内に入るタイミングをずらしながらも、それぞれきっかり同じ時間に現れて逢瀬を重ねていたという。「これを曲にしない手はない」と思い立った両名は、その男女が不倫関係にある、との確信を得て、すぐさま曲作りに取りかかった。彼らが所有するレーベルの所属シンガー、ビリー・ポールがレコーディングし、大ヒットに結びついた。当時、この曲の歌詞に共鳴した不倫関係の男女が多く存在したものと思われる。

曲の要旨

道ならぬ恋愛関係に身を焦がす僕とジョーンズ夫人。いつもの時間にいつものカフェで、人目をはばかってこっそり会うふたり。彼女と僕が好きな曲を店内のジューク・ボックスから流し、その間だけ、ふたりの将来について語り合う。けれど、決して高望みをしてはいけない。お互いに家庭を持つ身なのだから。それでも明日、また同じ時間にこの場所で会う約束をするふたり。店を出る時には他人を装うのが暗黙のルール。けれど、別れ際にはどうしても心の奥がしくしくと痛む。そう、ふたりは不倫関係――。

1972年の主な出来事

アメリカ: 6月17日にウォーターゲート事件が発覚。
日本: 浅間山荘事件が日本中を震撼させる。
田中角栄首相が訪中し、日本と中国の国交が回復。
世界: 東ドイツと西ドイツの国交が正常化。

1972年の主なヒット曲

American Pie/ドン・マクリーン
Without You/ニール・ヤング
The First Time Ever I Saw Your Face/ロバータ・フラック
Alone Again (Naturally)/ギルバート・オサリヴァン
Papa Was A Rollin’ Stone/テンプテーションズ

Me And Mrs. Jonesのキーワード&フレーズ

(a) Me and Mrs. Jones
(b) got a thing going on
(c) got one’s own obligations

時は移ろえども、不倫ソングはなくならない。特にR&B/ソウル・ミュージック界では、歴史にその名を刻む不倫ソングが数多くある。以下、特に印象深い楽曲を挙げてみる。

(1) (If Loving You Is Wrong) I Don’t Want To Be Right/ルーサー・イングラム(1972, 全米No.3)
(2) Secret Lovers/アトランティック・スター(1986, 全米No.3)
(3) As We Lay/シャーリー・マードック(1987, 全米No.23)
(4) Saving All My Love/ホイットニー・ヒューストン(1985, 全米No.1)
(5) Layla/デレク&ドミノズ(1972, 全米No.10/1992年にエリック・クラプトンがソロ名義でレコーディングしたヴァージョンは全米No.12)

(1)~(4)は全てR&B/ソウル・ミュージック。その昔、家庭のある男性に惚れてしまった筆者の旧友が、毎晩のように(1)を聴きながら自らを慰めた、という話を聞かされたことがある。(1)のタイトルを意訳するなら、「君を愛するのが罪だというなら、人の道に外れても構わない」。(2)~(4)は、R&B/ソウル・ミュージック界で不倫ソングが流行した1980年代半ばのヒット曲。当時、筆者はアフリカン・アメリカン女性の友人に「どうして今、不倫ソングが流行するの?」と訊ねたことがある。返ってきた答えは“Because everyone can relate to.(そりゃ、誰にだって思い当たるフシがあるからよ)”であった。(5)は、クラプトンのファンならずとも一度は耳にしたことがあるのでは……? その昔、レイラという女性に捧げたラヴ・ソングだと思っていたが、じつはこれも不倫絡み。クラプトンが横恋慕していたジョージ・ハリスンの妻パティのことを歌った曲なのである。そして遂にクラプトンは略奪婚に成功するのだった!(のちに離婚。)後年、パティはこの曲について余りいい感情を抱いてなかった、と告白している。女心は複雑だ。

先述の(1)もそうだが、この曲もタイトルからして不倫ソングと判る。何しろ「Me And Mrs. Jones」である。タイトルはくだけた言い方で、正しくは「Mrs. Jones & I」。洋楽ナンバーでは、「○△と僕(私)」を表す際に“Me”が先にくるものが目に付く。ジャニス・ジョプリンの「Me And Bobby Mcgee」(1971, 全米No.1)、ウォーの「Me And Baby Brother」(1974, 全米No.15)、ポール・サイモンの「Me And Julio Down By The Schoolyard」(1972, 全米No.22)などはその一例。

ソングライターのギャンブル&ハフが実在するカフェで目にした女性のラスト・ネームが“Jones”だっとは限らない。恐らく、歌詞に綴る際に、最も語感のいいラスト・ネームだったのだろう。さらには、タイトル部分が歌われている最初のセンテンスに続くフレーズとの押韻も考えたはずだ。ラスト・ネームがどうあれ、その頭に既婚者であることを示す“Mrs.”があることから、“Me”とこの女性はただならぬ関係であることが判る。

洋楽ナンバーの歌詞に頻出する言い回しの(b)は、直訳すれば「(ふたりには)進行中の物事がある」だが、それだと味もそっけもない。「進行中」なのは、双方の不倫関係であることは火を見るより明らか。ここを思い切って意訳してみると、「ふたりは人に知られてはならない秘密の関係を築いている」となるだろうか。ハッキリ言えば不倫関係である。仮にこの曲が不倫ソングでないとしたら、(b)は「ふたりは愛を育んでいる」ぐらいの意味になる。前後のフレーズによっては、(b)の言い回しの意味が変わってくるので要注意。

洋楽ナンバーの歌詞に滅多に登場しないのが(c)にある“obligation(s)”。辞書には「義務、責務、恩義、義理」といった意味が載っているが、ここでは「責任」がしっくりくるだろう。筆者はこの曲でその単語を知った。言葉を補足するなら、「お互いの家族に対する責任」である。続くフレーズで「僕もその責任を負っている」と歌われていることから、主人公であるこの男性にも養うべき妻や子供があることが判る。つまりこの男女は、お互いに家庭を持っていながら秘密の逢瀬を重ねているわけだ。タイトルだけを見れば、“Me”が独身男性にも思えるが、歌詞の中で、既婚者であることをほのめかしている。家庭持ちの男と女が毎日のように時間と場所を示し合わせてこっそり会う――両者の関係は、不倫以外の何物でもない。ただ、この曲には、主人公の男女が痴話喧嘩を繰り広げたり痴情に流されたりするドギツイ歌詞が登場しない。なので、何となくサラッとしていて、粋な感じがするのである。その点もまた、当時、この曲が大ヒットした要因のひとつではないだろうか。

通信記録が残る携帯電話や、相手の行動を探るGPS機能などの文明の利器を想像することさえできなかった時代の不倫ソングの数々。それでも不倫の恋愛に身を焦がす男と女は、細心の注意を払って互いの思いを育んでいた。何でもかんでも簡単に探り出せる現代とは違い、不倫関係にはじつに涙ぐましい努力が払われていたのだった。その分、愛も余計に深まったことだろう。ちょっぴり羨ましい(?)気もする。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。

The House of The Rising Sun (1964, 全米, 全英No.1)/アニマルズ (1962-69, その後数回にわたって再結成)

2012年 4月 18日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌詞物語~ 第28回

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●歌詞はこちら
http://www.lyricsbox.com/animals-lyrics-the-house-of-the-rising-sun-xk5r54w.html

曲のエピソード

イギリスのアーティストがアメリカのミュージック・シーンを席巻することを俗に“British Invasion”と呼ぶ。これまでにこの現象が何度かくり返し起きているが、ビートルズを始めとして、複数のイギリスのアーティストたちがアメリカのチャートを席巻した1960年代半ばのそれは、怒涛の勢いとも言うべき凄まじいものだった。

アニマルズは、そうしたBritish Invasionの一翼を担ったバンド。2枚目のシングル「The House of The Rising Sun(邦題:朝日のあたる家)」がいきなり本国イギリスのナショナル・チャートと全米チャートで首位に立ち、人気グループの仲間入りを果たした。作者不詳のアメリカ民謡ではあるが、後にアフリカン・アメリカンの人々によって歌い継がれ、 “Afro-American Folklore(アフリカン・アメリカン民謡)”のひとつにも数えられている。少なくとも、1940年代から複数のアーティストによってレコーディングされてきた有名曲のひとつ。アニマルズがこの曲をレコーディングした理由は、デビュー当初、ロックン・ロールの草分け的ミュージシャン、チャック・ベリー(Chuck Berry, 1926-)と共にツアーをしていた頃、ステージでこの曲を演奏したところ、観客の反応が良かったため。

民謡や伝承音楽の多くがそうであるように、この曲の背景にも諸説ある。ひとつは、1860年代~1870年代初期に(歌詞にも登場する)ニューオーリンズに実在した売春宿(店名はフランス語で「朝日」を意味するとか)がモデルである、とする説。今ひとつは、やはりニューオーリンズに実在した女性刑務所(入口の門には「朝日」の絵が描かれているという)をモデルとする説。が、歌い継がれてきた古くからの歌詞は、どう聴いても売春宿が舞台である。日本では、ちあきなおみのカヴァーが有名(歌詞はこちら:http://www.kasi-time.com/item-31354.html)。

その昔、ニューオーリンズでは、父親が大人の入り口に差し掛かった息子に初体験をさせるために「朝日」という名の売春宿に連れて行った、という逸話も残っている。が、もし仮にアニマルズがその逸話をもとにこれを歌ったとするなら、そうした過去が罪に問われるはずもなく、歌詞に登場する「囚人用の足かせ」をはめる必要もない。よって、彼らによるヴァージョンは、タイトルの「朝日と呼ばれる家」を刑務所に見立て、女性刑務所を男性刑務所に置き換えてカヴァーした、と考えるのが妥当だろう。

曲の要旨

ニューオーリンズにある、「朝日」と呼ばれる刑務所。そこは、貧しい家庭に生まれ、やむなく罪を犯した少年たちの吹き溜まり。主人公の少年もまた、いずれその刑務所で自身が犯した罪を償うことになるだろう。裁縫で生計を立てる母と呑んだくれでギャンブラーの父親、兄弟姉妹たちに囲まれての貧しい暮らしにいたたまれず、故郷ニューオーリンズを飛び出した主人公は、何かしらの罪を犯して、今、まさに刑務所送りになろうとしている。兄弟姉妹たちには、決して自分のようにはなって欲しくない。刑務所で罪悪感と絶望感に苛まれて過ごすような羽目に陥らないように、とのメッセージを母親に託す主人公は、いずれ訪れるであろう「朝日」という名の刑務所での悲惨な暮らしを思い浮かべては、悲痛な思いにとらわれるのだった――。

1964年の主な出来事

アメリカ: 雇用上の人種差別などを撤廃する公民権法(Civil Rights Act)が成立。
公民権運動指導者のマーティン・ルーサー・キング Jr. 牧師がノーベル平和賞を受賞。
日本: 東京オリンピックが開催される。
世界: ソヴィエト連邦でブレジネフが第一書記に就任。

1964年の主なヒット曲

I Want to Hold Your Hand/ビートルズ
Hello, Dolly!/ルイ・アームストロング
I Get Around/ビーチ・ボーイズ
Everybody Loves Somebody/ディーン・マーティン
Where Did Our Love Go/シュープリームス

The House of The Rising Sunのキーワード&フレーズ

(a) down in ~
(b) be on a drunk
(c) spend one’s life in sin and misery

ある時、筆者は教えている翻訳学校の生徒さんから、実に興味深い質問を受けた。曰く「英語圏でも、例えば日本の演歌のように、男性が女性の心情を歌った曲というのがあるんですか?」――答えは「ありません」。仮に、女性が歌った曲を男性がカヴァーしようとするなら、性別が判る単語を書き換えれば済む話であって、わざわざ男性が女性言葉で、また、逆に女性が男性言葉で歌うことは皆無に等しい。“he”→“she”、“boy”→“girl”のように書き換えれば、性別に関係なく同一の曲を誰が歌っても意味が通るわけだ。

曲のエピソードでも触れたように、この曲はもともと売春宿で春をひさぐことになってしまった女性の悲哀が歌われたものだ。もしアニマルズが“the house of the rising sun”を売春宿としてこの曲をカヴァーした場合、その家は江戸時代でいうところの陰間茶屋(少年が男性を相手に身体を売るところ)になってしまう。さすがにそこまでの冒険はしなかったとみえて(苦笑)、彼らはその「家」を刑務所に見立ててカヴァーしている。

(a)は、“down”なしの“in ~”だけでも意味が通じるが、わざわざ“down”をもってきたのには、それなりの理由がある。“down”には「地方へ、田舎へ」という意味もあり、アメリカでいうなら、特に南部の地名の前に(a)がつく場合が多い。“down in Alabama”、“down in Mississippi”という風に。まあ、南部に住む人々にとっては、この“down”は余計なのかも知れないけれど…。

“He is drunk.(彼は酔っている)”の“drunk”は、ご存知のように“drink”の過去分詞形であり、「酔って、酔っ払って」という意味の形容詞でもある。ところがこの曲では名詞として使われている。これは、口語的な使われ方で、主人公の父親のような呑兵衛、もしくは大酒を飲む行為を指す言葉。「へべれけになっている人、うわばみ、泥酔」といったところか。なので、(b)は「大酒を飲んで」となる。主人公の父親は、べろんべろんに酔っ払った時だけ満足感を得る、と歌われていることから、家族から迷惑がられていることが判る。主人公の男性がどんな罪を犯したのかは、歌詞の中で具体的に述べられていない。が、そうした家庭環境が彼を追い詰めたことがここのフレーズから浮かび上がってくる。

この曲がアフリカン・アメリカンの人々の間で伝承民謡として定着した、ということにうなずけるフレーズが(c)。いかにもゴスペル・ナンバーに出てきそうな歌詞だから。(c)は、主人公が「自分のように、刑務所の中で罪の意識と悲壮感に襲われながら人生を送る」ようなことになってはならない、と、兄弟姉妹に伝えてくれ、と母親にメッセージを送る箇所。特に“sin”はゴスペル・ナンバーに多く登場する単語で、神様に向かって「これまでの罪を洗い流して下さい」のような歌詞の中に散見される。私見ながら、ここのフレーズがアフリカン・アメリカンの人々の心の琴線に最も触れたのではないか、と思う。

「朝日」という希望をうかがわせるような名前を持つ家(建物)は、じつは売春宿であり、刑務所でもあった。どちらの説が正しいのかは未だに判らないが、悲惨な歌詞の内容と、マイナー調のメロディから醸し出されるのは、その建物が決して楽しい空間ではない、ということだ。モデルとなったと言われている、フランス語で「朝日」を意味する売春宿、あるいは「朝日」の絵が門に描かれた女性刑務所は、一日の始まりを晴れやかに告げる「朝日」のあたる家ではないのだった。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。

(Sittin’ On The) Dock of The Bay (1968, 全米No.1, 全英No.3)/オーティス・レディング (1941-67)

2012年 4月 11日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌詞物語~ 第27回

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●歌詞はこちら
http://www.lyrics.com/sittin-on-the-dock-of-the-bay-lyrics-otis-redding.html

曲のエピソード

1967年12月10日、バック・バンドのメンバーたちとツアー先に向かうべく乗り込んだ自家用飛行機の墜落事故により、26歳の若さで還らぬ人となったオーティス・レディング。死後、彼にとって初の全米No.1ヒットとなったこの曲は、亡くなるわずか18日前にレコーディングされた。彼の死から6週間後にシングルとしてリリース。作者はオーティス自身と、彼の盟友でギタリストのスティーヴ・クロッパー(Steve Cropper/今も現役)。喉のポリープ切除手術を受けた後にレコーディングされたものであるため、彼の代名詞とも言える熱いシャウトは聞かれない。邦題は原題のカッコ内と定冠詞“the”を削除した「ドック・オブ・ベイ」。その昔、「ドッグ・オブ・ベイ」の誤表記が度々あり、「犬のことを歌った曲」と本気で思い込んでいた人もいたほど。

ツアー先のサンフランシスコでバンドと共にボートハウスに滞在中、サンフランシスコ湾をぼーっと眺めている時にオーティスの頭の中にこの曲がひらめいたという。テーマはこれまでの人生を振り返りつつの「望郷」。「ジョージアの故郷」とあるが、彼は実際にジョージア州ドーソンの生まれ。曲の終盤に流れるやや調子っぱずれの口笛はオーティス本人によるもので、そこの部分の歌詞が出来上がっていなかったため、即興的に吹いたらしい。何とも言えない哀愁が漂っていて、曲の雰囲気に合う。日本でも人気が高く、某証券会社のCMでは、世界各地のミュージシャンにリレー的に歌わせたカヴァー・ヴァージョンが効果的に流れている。

曲の要旨

故郷をあとにし、募る望郷の思いをどうすることもできなくて波止場にたたずむ一人の男。何をするでもなく、港に出入りする船の様子や打ち返す波をジッと見つめているだけ。心の中に去来するのは、故郷のこと、これまで自分が歩んできた人生の道のり、そして不器用な自分はこれからも今までと同じように生きていくんだろうな、という漠たる思い。朝日が昇った瞬間から夕焼けが沈むまで、長い時間、男は波止場に腰を下ろして遠くを見つめている。全身に哀愁をまとうようにして――。

1968年の主な出来事

アメリカ: ロバート・ケネディ上院議員が暗殺される。
公民権運動指導者のマーティン・ルーサー・キング Jr.牧師が暗殺される。
日本: 静岡県の旅館で殺人犯の立てこもり事件が発生。世に言う「金嬉老事件」。
世界: 南ヴェトナム民族解放戦線軍がサイゴンに進撃し、アメリカ大使館を占領。

1968年の主なヒット曲

Mrs. Robinson/サイモン&ガーファンクル
Hello, I Love You/ドアーズ
People Got To Be Free/ラスカルズ
Hey Jude/ビートルズ
I Heard It Through The Grapevine/マーヴィン・ゲイ

(Sittin’ On The) Dock of The Bayのキーワード&フレーズ

(a) the Frisco Bay
(b) have nothing to ~
(c) come one’s way
(d) rest one’s bones

長年、R&B/ソウル・ミュージックを聴き続けてきた中で、あるひとつの不思議な現象に気付いた。それは、オーティス信奉者には圧倒的に男性が多い、ということ。しかも、そのほとんどは、オーティスの衝撃的な訃報にオン・タイムで接している。筆者が物心ついた時には、彼はもうこの世の人ではなかったため、その衝撃の度合いがピンと来なかった。長じて様々な書物でオーティスの人生を知るにつれ、彼がそれこそ「命を削って」歌っていたのだと思い知った。何しろ、喉のポリープ切除の手術を受ける前までのシャウトが凄まじい。男性陣が「惚れる」ことに納得した。そしてオーティス信奉者の多くは、汗を飛び散らしながら喉を極限まで酷使しつつ歌っていた頃の彼に心酔する。よって、最大ヒット曲であるにもかかわらず、オーティス信奉者はこれを世間一般の人々が「代表曲」と捉えるのを好まない。「オーティスこそ“The Last Soul Man”だった」が口癖だった筆者の旧友は、この曲を聴くと条件反射的にオーティスの死を想起させられるから好きではない、とハッキリ言ったものだ。

そんなオーティス信奉者の思いをよそに、そして誤解を恐れずに言えば、これは彼の死を代償に大ヒットした代表曲である。そのこともまた、オーティス信奉者がこの曲を敬遠する理由のひとつではないかと思う。亡くなった後に全米チャートで首位に立っても…というわけだ。オーティスが生きていたら何と言っただろう?

(a)は、曲のエピソードでも触れたように、オーティスの実体験がそのまま歌詞になったもの。“Frisco”は“San Francisco”の俗称だが、辞書によれば「サンフランシスコ市民はこの呼び方を好まない」とある。筆者がこの俗称に接したのはだいぶ前のことで、マイケル・ジャクソンが兄弟と共に結成したジャクソンズ(The Jacksons/The Jackson 5を改名して1976年からこのグループ名で活動した)のヒット曲「Blame It On The Boogie(邦題:今夜はブギー・ナイト)」(1978/R&BチャートNo.3、全米No.54)の歌詞で初めて知った。ただ、サンフランシスコ出身のアメリカ人の知人や友人が過去に一人もいなかったため、本当にその俗称が地元民に嫌われているかどうか、確かめようがなかった。

ひょんなことから、“Frisco”が地元民に快く思われていないことが判明した。アメリカの刑事ドラマを見ていた時のこと。サンフランシスコ市警察の刑事が、関わった事件の真相を解明するために遥々ニューヨークへと赴く。ニューヨーク市警察の人間に「Friscoから来たんだって?」と藪から棒に訊ねられたサンフランシスコ市警察の刑事が、露骨にムッとして「Friscoじゃない、San Franciscoだ!」と言い返したのである。吹き替えではなく副音声の英語で見ていたので、そこの日本語訳がどうなってたかは判らない。そうか、やっぱり“Frisco”の俗称は地元民にとっては不快なんだな、と、ようやく長年の疑問が解けた。だからと言って、オーティスやジャクソンズが故意にその言葉を歌詞に盛り込んだとは思えない。単純に考えたら、“San Francisco”という地名が長過ぎるので、短い俗称を使ったのではないだろうか。“Frisco”は、スペルからも判る通り、“Francisco”を縮めた言い方だ。(a)は、“the San Francisco Bay”を俗称を用いて言い換えただけのこと。

(b)の“to”以下は英文法でいうところの「不定詞」の形容詞的用法。“to”以下が直前の名詞を修飾している。(b)が登場するフレーズでは、「生きるためのものが何もなかった」、意訳するなら「自分には生き甲斐が何ひとつなかった」と歌っている。歌に人生を賭けたオーティスに思いを馳せれば、「プロのシンガーとしてデビューする前の自分は、生き甲斐なんてひとつも見いだせなかった」と歌っているようにも聞こえる。ここのフレーズを、様々な英文に書き換えてみた。

I have nothing to lose.(失うものは何もありません)

I have (or I’ve got) something to do.(やらなければならないことがあります)

It’s time to go to school.(そろそろ学校へ行く時間です)

「to不定詞」、懐かしいですねえ…。

(c)は、辞書の“way”の項目にイディオムとして載っており、「~の手中に収まる、~の身に降りかかる」とある。口語では「(物事が)~の思い通りに運ぶ」という意味だと。筆者がこれまで訳してきた洋楽ナンバーにも、何度か(c)の言い回しが出てきた。たいていの場合は「~の思い通りになる」という意味で使われていた。この曲でも「この先、何ひとつ自分の思い通りに物事が運ばないような気がする」と言っている。諦めの境地、と言えばいいだろうか。そこのフレーズに、術後に思うように声が出ないオーティスの焦燥感みたいなものを感じるのは、深読みのし過ぎ?

日本語にも「骨休めをする」という言い回しがある。実際には体内に埋もれている骨を休めるわけではないけれど、「ちょっとひと休み」ぐらいのニュアンスだ。「骨が折れる」なんていうのも、比喩的な表現として使われる。“bone”は可算名詞だから、日本語の言い回しに倣って言えば、(d)も「骨休めをする」だととっさに思ってしまう。でも、ちょっと待って! ここで、“bone”を辞書で調べてみる。すると――

“bone”には「(物事の)本質、核となるもの」という意味もあり、それが複数形である場合、「心の深層部」を意味するとあるではないか…!!! (d)はイディオムとして辞書には載っていないものの、“bones”という複数形であることから、(d)は「骨休め」ではなく「(疲れた)心を癒す」という意味であることが判る。もっと突っ込んだ意訳を試みて、「人知れず抱えてきた心の重荷を軽くする」なんていうのはどうだろう? 一瞬、「英語にも『骨休め』と同じ表現があった!」と思ったが、それは糠喜びだった。「休息」を意味する「骨休め」とは、ニュアンスがやや異なる。このように、可算名詞には、単数形と複数形で意味が違ってくるものもあるので、知っている単語でも一度は辞書で調べてみることが肝要。

効果音として使われている、寄せては返す波の音。そして終盤の寂しげな口笛。20代半ばとは思えないほど老成した言葉を連ね、感慨にふける男性。この曲がオーティスの死を想起させる理由は、そんなところにもあるのだろう。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。

Open Arms (1982, 全米No.2)/ジャーニー (1973-1987、1995-)

2012年 4月 4日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第26回

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●歌詞はこちら
http://www.seeklyrics.com/lyrics/Journey/Open-Arms.html

曲のエピソード

1980年代におけるアメリカ西海岸のロック・シーンを語る上ではずせないバンドのひとつ、ジャーニーの代表曲。全米チャートでは6週間にわたってNo.2の座にあった。その間、この曲のNo.1獲得を阻止したのは、オリヴィア・ニュートン=ジョン(Olivia Newton-John/1948-)の「Physical」(全米チャートで10週間にわたってNo.1)だった。この曲さえなかったなら、間違いなく「Open Arms」は全米チャートを制覇していたと思う。ジャーニー自身はもちろんのこと、彼らのファンもさぞかし口惜しかったことだろう。

これはもともと、ジャーニーに1981年に新加入したキーボード奏者のジョナサン・ケイン(Jonathan Cain)が所属していたロック・バンドのThe Babysのために書き下ろされた曲だったが、彼らが却下したため、ジャーニーがレコーディングして大ヒットするに至った。ここ日本でも、某自動車メイカーのCMソングに起用されるなど、今なお人気が高い。なお、バンドは1995年に再結成を果たし、メンバー・チェンジをくり返しながらも現在も活動中。もちろん、今でもライヴにこの曲は欠かせない。

曲の要旨

かつては愛し合っていた男と女。理由は判らないけれど、女は男のもとを去って行った。以来、男は独りぼっちになった家で傷心の日々を過ごす。が、今はこうして再び二人の愛の巣に戻った彼女。彼は、彼女の過去をあれれと問い質すこともせずに、無条件で彼女を迎え入れた。ありったけの歓待(=with open arms)の気持ちを込めて――。

1982年の主な出来事

アメリカ: 失業率が11%超の2ケタに達し、失業者が300万人を超える。
日本: 世界初のCDプレイヤーをソニーが発売。
世界: フォークランド紛争が勃発し、勝利したイギリスが同島の領有を維持。

1982年の主なヒット曲

Centerfold/J. ガイルズ・バンド
I Love Rock ‘N Roll/ジョーン・ジェット&ブラックハーツ
Ebony And Ivory/ポール・マッカートニー&スティーヴィー・ワンダー
Hard To Say I’m Sorry/シカゴ
Up Where We Belong/ジョー・コッカー&ジェニファー・ウォーンズ

Open Armsのキーワード&フレーズ

(a) sail on
(b) with open arms
(c) want someone home
(d) turn night into day

てっきり全米No.1ヒットだと思っていたら、実はNo.2の座に6週間も甘んじていた。そのことについては曲のエピソードで詳しく述べたが、1982年当時、とにかくこの曲をよく耳にしたものだ。FEN(現AFN)をたまたまつけたらこの曲が流れてきた、なんていう偶然は、一度や二度じゃなかった。自然と歌詞が耳に残る。ライヴ仕立てのプロモーション・ヴィデオ(PV)の印象も鮮烈で、この曲を耳にする度に、リード・ヴォーカルのスティーヴ・ペリーが長髪を風になびかせて歌っている姿が脳裏に思い浮かぶ。

愛する女性が去って行き、独り取り残された男性。愛し合っていた日々を思い出しては、主人公の男性は感傷的になってしまう。(a)が用いられたフレーズでは、「以前は一緒にsail onしたのに」と嘆く。直訳すれば「以前は共に航海に出たのに」となるが、もちろんそれは比喩で、「生活を共にした」、「人生を共に歩んだ」ことを遠回しに言っているのだ。主人公の男性は船乗りではない。洋楽ナンバーの歌詞には、こうした詩的な比喩が結構あって、直訳するとヘンテコになってしまうので要注意。

タイトルのもとにもなった(b)は、字面から判断すると「両腕を広げて」だが、じつはこれ、れっきとしたイディオム。英和辞典の“arm”の項目に載っており、そこにある説明では、「両手を(両腕を)広げて」と真っ先にあり、続いて「歓迎の気持ちを込めて」とある。ところが、このイディオムを英英辞典で調べてみると、「両腕を広げて」の意味は載っていない。以下、数冊の英英辞典で(b)を調べてみた。

with open arms in a warm and friendly way
Webster’s New World Basic Dictionary of American English

with open arms, you are very pleased about it. If you welcome a person with open arms, you are very pleased about their arrival.
Collins COBUILD Advanced Learner’s English Dictionary New Edition

with open arms cordially
The Oxford American Desk Dictionary Major New Edition

上記の意味を日本語に訳してまとめてみると、「心から歓迎する気持で、真心を込めて」となる。「両腕を広げて」というポーズではなく、相手を歓待する気持ちを表現している点にご注目。筆者もこの曲がヒットしていた当時は、ここのフレーズを単純に「両腕を広げて」だととっさに思った。が、ひとつ引っかかるのは、可算名詞の“arm(s)”の頭に定冠詞の“the”や所有格の“my”が付いていないこと。ある時、ふとそのことを不思議に思い、辞書で“arm”の項目を引いてみたところ、(a)がイディオムであることを発見したというわけ。例えば、“hand in hand(手に手を取って、協力して)”や“step by step(一歩一歩、着実に)”、“day in and day out(明けても暮れても)”など、可算名詞に本来あるべき不定冠詞や定冠詞が付いていない場合は、それがイディオムであることが往々にしてある。なので、知ってるつもりの単語でも、不定冠詞や定冠詞、所有格がその前に付いていないのが不自然だと思ったら、一度は辞書で調べてみることをお薦めしたい。(b)にしても、その不自然さに気付かなかったら、筆者は今でも「両腕を広げて」だと思い込んでいたはずだから。イディオムであることを知り、ひとつ解ったことがある。主人公の男性に、離れて行った彼女をいつでも歓待する気持ちがあるのはもちろん、別れて以降の彼女がどんな暮らしをし、誰と付き合っていたか、などということを全く意に介さずに無条件で受け入れる心の準備があった、ということ。主人公は、じつに寛容な心の持ち主なのだった。それだけ、彼女に対する愛情が深いのだろうし、別れてからもずっと彼女を忘れられずにいたのだろう。

日本語の「ただいま」を英語では“I’m home.”ということは、みなさん、ご存じでしょう。(c)の“home”もそのセンテンス同様、名詞ではなく副詞。「自宅に戻って、母国に帰って」、といった意味。なので、(c)は「~に家に戻って欲しい」という意味になる。歌詞のストーリーから、ここに登場する男女は一緒に暮らしていたことが明らかで、彼女が出て行った後、男性はその愛の巣に独りで暮らしていたことが判る。そう考えると、(c)は「二人で暮らした家に戻ってきて欲しい」となるが、もっと突っ込んで意訳すると、「僕のもとへ戻ってきて欲しい」、さらに踏み込めば「君とヨリを戻したい」という解釈にたどり着く。

“home”で思い出したのが、愛する人が去ってしまった悲しみを綴った歌詞で見聞きする“This house is not a home.”なるセンテンス。カタカナ語では「ハウス」も「ホーム」も同じようなものだが、英語では微妙に異なる。“house=建物”、“home=家庭”というニュアンスがあるためで、そのセンテンスを意訳すると「この家には家庭の温もりがない」となる。(c)を「君とヨリを戻したい」と解釈できるのは、「以前のように君と家庭的で楽しい暮らしがしたい」とも読み取れるから。“house”と“home”の違い、お解りいただけたでしょうか?

(e)にも本来あるべき不定冠詞や定冠詞がない。“night and day(日夜、不眠不休で)”というイディオムは辞書にも載っているが、(e)はナシ。そこで、ここを正しく解釈するためには、想像力を働かせる必要がある。曲の主人公は、彼女が戻ったことで「夜が朝になった」と言っているが、それはあくまでも比喩。仮にここを「夜が明けて朝になった」と解釈してしまったのでは、原意とはかけ離れた誤訳になってしまう。英語では、“night”が闇であることから、「深い悲しみ、絶望感」にたとえられることがあり、逆に“day(日中)”は「明るさ、楽しさ」にたとえられる。ここで歌われる「夜が朝になった」は「悲しみに沈んでいた毎日が幸せいっぱいになった」を比喩的に表現しているわけだ。彼女が戻ってきてくれたことで、歓喜にうちふるえる主人公の様子が手に取るように判るフレーズである。

考えてみれば、日本語にも実際の行動とは異なる比喩的言い回し――「へそで茶を沸かす」、「清水の舞台から飛び降りる」、「眼の中に入れても痛くない」……etc.――がたくさんある。“with open arms”もまた、実際の仕種とは違う比喩的表現のイディオムなのだった。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。

Killing Me Softly With His Song (1973, 全米No.1, 全英No.6)/ロバータ・フラック (1939-)

2012年 3月 28日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌詞物語~ 第25回

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●歌詞はこちら
http://www.lyrics.com/killing-me-softly-with-his-song-lyrics-roberta-flack.html

曲のエピソード

この曲が誕生した1972年から約40年を経た今に至るまで、毎年のように様々なアーティストによってカヴァーされている。最も有名なロバータ・フラックのヴァージョンは、じつはオリジナルではない。もともとはローリー・リーバーマン(Lori Lieberman, 1951-)のために書き下ろされた曲で、1972年にレコーディングされた彼女のヴァージョンはヒットしなかった。翌1973年には、ロバータも含め、20人近くものアーティストがこの曲をレコーディングしている。彼女自身がこの曲を気に入ってカヴァーして大ヒットした。日本では、ネスカフェのCMソングに起用され、洋楽愛好家の間でも非常に馴染み深い曲。邦題を「やさしく歌って」という。人気ヒップ・ホップ・グループだったフージーズ(Fugees)のカヴァー(1996, 全米No.2)も有名。彼らとロバータはステージ上でこの曲を共演したこともある。

オリジナルを歌ったリーバーマンが、シンガー/ギタリストのドン・マクリーン(Don McLean, 1945-/1971年の全米No.1ヒット曲「American Pie」で知られる)のコンサートを観に行き、それに感銘を受けたことをソングライターに伝えて曲が出来上がった、というエピソードが長らく流布していた。が、先に曲が出来上がっていて、そのデモを聴いたリーバーマンが「ドン・マクリーンのコンサートを思い出すわ」と感想を述べた、というのが真相。ロバータのヴァージョンが大ヒットした1973年当時、情報が少なかったため、この曲のモデルが誰なのかを知る人はほとんどいなかった。

曲の要旨

巷で評判になっている、若い男性シンガーのコンサートに何気なく出かけた女性。名前も知らなかったそのシンガーは、あたかも彼女のことを以前から知っていたかのように、彼女の心情を映し出した歌詞を歌い、その指から繰り出されるギターの演奏は彼女の内なる苦しみを表現しているかのようだった。悲しみと絶望感の中で生きてきた彼女の人生を透かし見るような、彼の歌と演奏。不思議な感覚に包まれながら、彼女は彼の抗い難いに魅力に引き込まれていくのだった……。

1973年の主な出来事

アメリカ: アメリカ軍が南ヴェトナムから完全に撤退。
日本: 韓国の政治家、金大中が都内のホテルで拉致される。世に言う「金大中事件」。
世界: 第4次中東戦争に端を発する石油危機。

1973年の主なヒット曲

Superstition/スティーヴィー・ワンダー
Crocodile Rock/エルトン・ジョン
Touch Me In The Morning/ダイアナ・ロス
We’re An American Band/グランド・ファンク
Top of The World/カーペンターズ

Killing Me Softly With His Songのキーワード&フレーズ

(a) strum one’s pain with ~
(b) killing me softly with his song
(c) look (right) through ~

いきなり進行形で始まる歌詞は意外に多い。そうした歌詞を正しく理解するためには、その前に何が省略されているかを考える必要がある。まずは、歌詞全体をじっくりと読み、その曲の背景や状況に思いを巡らせることが肝要。この曲では、進行形以外の動詞はすべて過去形になっている点にご注目。歌い出しのフレーズは“… with his fingers”となっているので、ここでは頭の“He was …”の部分が省略されていることが判る。当然のことながら、タイトルにもなっている(b)も、正しくは“He was killing me softly with his song”。その他、この曲に登場する進行形で始まるフレーズは、すべて文頭の“He was …”が省略されている。

(a)は、曲の背景を知らなければうっかり誤解してしまうフレーズ。“strum”は「弦楽器を弾く、弦楽器を不器用にかき鳴らす」という意味の動詞だが、ここを「彼は指で私の苦しみをかき鳴らしていた」と直訳すると、意味が通じにくくなってしまう。あるいは、「彼のギター演奏が私の苦しみをかき乱した」と誤解してしまう恐れもあり。この「苦しみをかき鳴らす」を「苦しみをギター演奏で表現する」と解釈すれば、ここのフレーズの真意が見えてくる。“fingers”はギターの弦を弾く指を表しており、そこから紡ぎ出される演奏が、主人公の女性が抱える心の苦しみを代弁していた、というわけ。どこにも“guitar”が出てこないが、“strum”がここを正しく解釈するヒントになる。のっけから難しいフレーズだ。1973年当時、筆者はこのフレーズの意味がチンプンカンプンだった。

タイトルもまた、直訳するとギョッとする日本語になってしまう。「(彼は)彼の歌で私をそっと殺していた」。日本語としてもかなりヘン。“kill”には「殺す、命を奪う、やっつける、(病気などを)撃退する」などなど、様々な意味があるが、辞書で調べてみると、他動詞としての意味の最後の方に「~を陶酔させる、~を魅了する」というのがある。もうお判りですね? この曲のタイトルを意訳すると、「彼の歌声を聴きながら、私はジワジワと陶酔感に引きずり込まれた」といったところ。ここの“song”を「曲」と解釈してもいいのだが、この場合、「歌声」の方がしっくりくる。“song”には「歌うこと、唱歌」という意味もあり、その場合は“singing”と同意。その昔、デビー・ブーン(Debby Boone, 1956-/アメリカの有名なシンガー、パット・ブーンの娘)の一発ヒット「You Light Up My Life(邦題:恋するデビー)」(1977, 全米No.1/映画のテーマ曲)に“… with song …”というフレーズがあり、可算名詞の“song”がどうして冠詞ナシで用いられているのが不思議でならなかった。知ってるはずの単語なのに、これはおかしいぞ、と思い、辞書で調べてみたところ、“singing”の意味もある、と知ってビックリした次第。それ以降、(b)の“song”も“singing”なのでは、と思うようになった。

(c)は、辞書の“look”の項目にイディオムとして載っており、「~を通して見る、~を探るようにジロジロ見る、~を見抜く」といった意味。“right”はそれを強調している。この曲では、ステージ上のシンガーが主人公の女性が心に抱えている苦しみを「あたかも知っているかのように」歌い、客席にいる彼女が「まるでそこにいないかのように」ステージ上から彼女をジッと見た、と歌っている。初めて会った(観た)はずのシンガーが、あたかも彼女のことを以前からよく知っていたかのような演奏や歌を披露しているのだから、「まるでそこにいないかのように」凝視する、というのは何だか矛盾しているような……。むしろ彼女が「観客席にいる」ことを最初から知っているかのように振る舞う、とした方が曲全体の意味に合うのでは……? が、じっくり考えてみると、ここは「彼の強い視線が私を貫くようだった」、つまり「彼に何もかも見透かされているような視線を感じた」という解釈も成り立つのではないか、と思い至った。そしてそのことも、彼女をうっとりとさせた要因のひとつだったのではないかと。

今でも使われている「やさしく歌って」という邦題はなかなかいいと思う。でも、原題が命令形ではない、ということもお忘れなく。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。

Hotel California (1977, 全米No.1)/イーグルス (1971-80, 1994-)

2012年 3月 21日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第24回

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●歌詞はこちら
http://lyrics.wikia.com/Eagles:Hotel_California

曲のエピソード

ヴェトナム戦争での敗戦の後、アメリカ社会には空虚感と疲弊感が蔓延する。ヴェトナム帰還兵の多くは、戦場で目の当たりにした凄惨な光景のフラッシュバックに苦しみ、中にはドラッグやアルコールに溺れてしまう者も……。そんな社会の行き場のない閉塞感を、“ホテル・カリフォルニア”という架空の建物(あるいは場所)に、抗い難い力に導かれて足を踏み込んでしまったひとりの男性を代弁者に仕立てて語らせたのがこの名曲。メロディやギターのリフは一度耳にしたら忘れられないが、英語圏の人ですら一聴してすぐには意味を汲み取れない歌詞はかなり難解。また、この曲が大ヒットしていた当時、イーグルス(Eagles)がロック・ミュージック界における“麻薬の最大消費バンド”だった、という事実も忘れてはならない。イーグルスのファンの間で、この曲は閉塞感が漂うアメリカ社会を揶揄したものである、という説と、搾取と麻薬乱用が公然とまかり通っているロック・ミュージック界への痛烈な批判である、という説が昔からある。

曲の要旨

夜のハイウェイを車(あるいはバイク)で飛ばしていると、そこには人っ子ひとり、いや、車一台通らない荒涼とした光景が広がっていた。今夜はどこでどう過ごそうかと考えあぐねていた矢先、遠くに灯りを発見し、とりあえず俺はそこを目指す。するとそこは、どこやら謎めいたカリフォルニアという名のホテルだった。ここは天国、ひょっとすると地獄の入り口かも知れないと思いつつ、今夜の宿が見つかった安堵感が先立って、うかうかとチェックインを済ませてしまう。ある宿泊客はしたり顔で言った。「私たちは自らの意思でここに幽閉されている」と。この場所は一体……? 足を踏み入れてはいけない場所へ来てしまったことに気付いた俺は、逃げるしかないと思った。が、そこは一度チェックインしたら二度とはチェックアウトできない恐怖の館だった……。

1977年の主な出来事

アメリカ: 第39代大統領に民主党のジミー・カーターが就任。
カーター大統領がヴェトナム戦争の徴兵忌避者を特赦する。
日本: 正月早々に青酸カリ入りコーラ無差別殺人事件が発生。
世界: イギリスが生んだ喜劇王チャールズ・チャップリン死去。

1977年の主なヒット曲

Dancing Queen/ABBA
Evergreen (Love Theme From “A Star Is Born”)/バーブラ・ストライザンド
Rich Girl/ダリル・ホール&ジョン・オーツ
You Light Up My Life/デビー・ブーン
How Deep Is Your Love/ビージーズ

Hotel Californiaのキーワード

(a) desert
(b) colitas
(c) face
(d) spirit/1969
(e) beast

この曲の歌詞については、たとえ英語に精通している日本人といえども誤解しやすい。内容が難解であることを考えれば、それもむべなるかな。筆者の知人で翻訳家の某氏は、「“1969年製のワインも冷えてますよ”ってホテルのボーイが言うんですよね」と嬉しそうに筆者に向かって言った。あちゃー。全然、違いますって。確かに、この曲の歌詞には1969年という年が象徴的に登場するのだが。それについては後述する。

筆者は中学生時代、たまたまTVでこの曲のPVらしきものを目にした。今では様々な動画サイトで見ることができるライヴの映像である。当時は洋楽アーティストが動くところを見られる機会なんて滅多になかったものだから、その際の印象は今なお強烈だ。何よりも驚かされたのは、ドラマー(ドン・ヘンリー)がリード・ヴォーカルだったこと! ロック・バンドに対する漠たるイメージは、楽器を演奏しないリード・ヴォーカルがいて、その後ろに各楽器の演奏者が控えている、というものだったから。ドラムを叩きながらリード・ヴォーカルをも担うアーティストは、カーペンターズのカレンが有名。子供の頃、やはり彼らの映像を初めて見て驚愕した憶えがある。

それはさておき。今ここで1977年にタイムスリップして当時の自分を思い返してみると、家にいる時はとにかく四六時中FEN(現AFN)を聴いていたことが真っ先に思い出される。そしてこれまた四六時中、FENから「Hotel California」が流れていた。もともとR&B/ソウル・ミュージックの愛好家だったが、あの時ばかりは町の小さなレコード屋に行って思わず小遣いでこのシングル盤を買ってしまったほどである。が、付随する歌詞カードを読んでみても、その意味はチンプンカンプンだった。英語圏の人とってすら難解な歌詞が、日本の片田舎に暮らす中学生に解るはずもない。

曲の主人公は夜のハイウェイを車もしくはバイクで疾走している。が、この曲が収録されている日本盤CDに付随する「対訳」(音楽業界では洋楽ナンバーの訳詞をこう呼ぶ)では、“砂漠のハイウェイ”という誤訳のままだ。1977年当時の対訳を流用しているのだろうが、これはいただけない。ここでの(a)“desert”は“highway”を修飾する形容詞だが、辞書で調べると、“砂漠の(ような)、砂漠に生育する”といった意味の他に“不毛の、淋しい、住む人もいない”といった意味も載っている。曲全体に漂う妖しげなムードを考えてみた場合、この“desert”がこれから足を踏み入れる異空間=ホテル・カリフォルニアを想起させる布石となっていることは明らか。となると、後者の意味の“淋しい”が真の意味であり、意訳するなら“荒涼とした、寒々とした”となるのは必定。そこからすでにホテル・カリフォルニアへの後戻りできない道が始まっているのだ。

イーグルスがロック・ミュージック界における麻薬の最大消費バンドだった、ということは先述した。そのことを象徴するかのような摩訶不思議な単語が歌詞に滑り込ませてあることにお気付きだろうか?
(b)“colitas”。英和辞典にも英英辞典にも載っていない、何語とも知れぬ言葉。じつはこれは、1970年代当時、イーグルスのツアー・マネージャーを務めていたメキシコ系アメリカ人の男性がバンドのメンバーに教えた言葉である、というのが定説になっている。意味は“マリワナ”。ある種の薬草である、とする説もあるが、それだけではドラッグと結びつかない。ツアー・マネージャーが「colitasはlittle buds(budはスラングでmarihuanaの意)のことだ」とメンバーたちに教えたことから、この単語が歌詞に登場することになった。恐らく当時のアメリカ人もその他の英語圏の人々も、“colitas”が何を指すのかハッキリとは判らなかっただろうが、イーグルス=麻薬の最大消費バンドという言わば公然の事実を知っている人々は、すぐさまその言葉から何かしらの麻薬を想起したことだろう。“どこからともなく漂ってくるcolitasの香りに鼻をくすぐられ”た瞬間から、曲の主人公は自分が向かう先が怪しげな場所であることを察知していたのかも知れない。

私事ながら、講師を務めている翻訳学校では、受講生さんたちに口を酸っぱくしてこうくり返している。「どんなに簡単で単純な単語でも、必ず一度は辞書で調べるように」と。知ったつもりになっていた単語であっても、意外な意味が潜んでいる場合が少なくないから。この曲に登場する(c)“face”もまた、そんな単語のひとつ。歌詞ではホテル・カリフォルニアの従業員が、そこを訪れた主人公に向かって「(ここは)a lovely faceでしょう」と語りかける。ここを「可愛い顔でしょう」、「美しい表情です」と解釈してしまったのでは、原意からかなりかけ離れた誤訳になってしまう。
そこで辞書を引いてみる。“face”には、“顔、顔つき、表情”以外に“物の表面(surfaceと同義)、外面、外観”という意味もあるのだ。この言葉が後者の意味で使われているフレーズを以下のように書き換えてみる。

♪The Hotel California has such a lovely face, doesn’t it?

もとの歌詞には主語がないため、“a lovely face”の主語はホテルの宿泊客のひとりだと勘違いする向きもあるだろう。が、それは絶対にあり得ない。何故なら、この曲には主人公以外にも様々な人物――入り口に立って主人公を建物の中へと誘う女性、ルームサービスの電話を受けるホテルの従業員、このホテルに宿泊している大勢の人々――が登場するからだ。“lovely face”が単数形であることを確認した時点でそのことに思い至れば、誤った解釈をせずに済む。

そして例の(d)“1969”である。激動の時代だった1960年の最後を飾るこの年、アメリカでは音楽の一大イベントが行われた。今なお語り継がれているウッドストック(同年8月にニューヨーク州南東部に位置するウッドストック村で行われた大々的な野外コンサート)である。約50万人の聴衆を集めたというのだから、その規模の大きさが判ろうというもの。ウッドストックの模様はDVDなどで今でも見られるが、観客に注目すれば、夏だったせいもあってか、上半身裸の男性、ほとんど下着姿のような女性が聴衆の中で目立つ。さらに言えば、明らかにマリワナを吸ってハイになってる人々もいる。「Hotel California」でいうところの“1969年”は、ウッドストックに象徴される、当時のそうした雰囲気を多分に意識していると考えて間違いない。主人公がルームサービスで好みのワインを頼もうとすると、従業員は素っ気なくこう言うのだ。「1969年以来、当ホテルではそのようなspirit(酒と精神のダブル・ミーニング)は扱っておりません」と。ここを深読みするなら、「もう1969年当時のような精神(燃え盛るヴェトナム戦争への反戦運動、ヒッピー文化の勃興)はこの国には残っておりません」。
1969年製のワインが冷えていたのではない。1969年という時代にアメリカの多くの若者たちが抱いていた熱い思いや、ヒッピー文化を築き上げんとして唱えた“Love & Peace”の精神がすっかり冷え切ってしまっていたのだ。この曲のフレーズの中でも、1977年のアメリカ社会に蔓延する空気を最も象徴する箇所である。

 この曲の主人公は、たまたまホテル・カリフォルニアに足を踏み入れて後戻りできなくなった男性だが、では、曲の途中に登場する“she”は誰を指すのか? じつは、唐突に登場する“彼女”は、アメリカ社会を暗喩しているのだった。英語には男性名詞、女性名詞の区別がない、と思われがちだが、“国”、“船”、“城”などは女性名詞であり、代名詞として“she”が用いられることもある。かのキング牧師が有名なスピーチ“I Have A Dream.”の中で、“It is obvious today that America has defaulted on this promissory note in so far as her citizens of color are concerned.”と語っていることからもそのことが判る。ここの“she”を漠然と“彼女”と解釈してしまうと、歌詞がいわんとしていることが全く判らなくなってしまう。そこを“アメリカ社会”に置き換えると、1977年当時のアメリカに蔓延していた享楽主義への痛烈な批判がそこのフレーズから浮かび上がってくる。

比喩やダブル・ミーニングがあちらこちらに散見される歌詞の終盤にも、これまたギョッとするような単語(e)が登場する。曰く「誰もbeastを殺すことはできない」。“the beast”となっているから、そこには相互理解が介在する。「ほら、君たち(=この曲を聴いてる人々)も知ってる例のbeastを殺すことはできないんだ」と。
ここでまた辞書を引いてみる。“獣、家畜、野獣”といった多くの人々が知っている意味の他に、そこには仰天するような意味が潜んでいたのだった! スラングとして、“ヘロイン、LSD(精神分裂症を引き起こす危険性が極めて高い幻覚剤)”を意味すると。手持ちのありとあらゆるスラング辞典でもっと詳しく調べてみたところ、次のように二分されることを突き止めるに至った。

○beast その1:1950年代にヘロインもしくはヘロイン中毒者を指す言葉として使われた。
○beastその2:1980年代以降、現在に至るまでLSDを指す言葉として使われている。

「Hotel California」が発表された1977年は、その1とその2の間に位置する年だが、その2の意味がまだ発生していなかったとするなら、やはりここは“ヘロイン”と解釈するのが妥当だろう。「ヘロインを殺すことはできない」は、すなわち「ヘロインをやめることはできない」を比喩的に言っているフレーズだったのだ。
この曲が大ヒットしてから約3年後の1980年、共和党のロナルド・レーガンが大統領選で勝利。悪名高きReaganomics(レーガン大統領による経済政策で、1982年にはアメリカ国内の失業率がとうとう11パーセントの2ケタに達するという事態を招いた)の序章であった。そしてアメリカ社会は、「Hotel California」の終盤で歌われているように、閉塞感から“決してチェックアウトできない”状況の深みへとますますはまることになる。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。

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