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3年間を振り返って

2014年 5月 28日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 最終回

約3年間にわたって連載してきた本コラム。第1回目に採り上げた曲は、忘れもしない、敬愛するマーヴィン・ゲイのヴェトナム戦争への反戦歌「What’s Going On」(1971/全米No.2)であった。日本でリリースされた当初の邦題を「愛のゆくえ」といった。今はカタカナ起こしのそれに変わっている。第1回目に同曲を採り上げた動機はふたつある。ひとつは、2011年3月11日に東日本大震災が起きたこと。今ひとつは、2011年がアルバム『WHAT’S GOING ON』のリリースからちょうど40周年を迎えた年だったからだ。同アルバムは全曲がメッセージ・ソングである。マーヴィンお得意のラヴ・ソングが1曲たりとも収録されていない。ここで告白してしまえば、若い頃はアルバム『WHAT’S GOING ON』の意図するところをほんのわずかしか理解できていなかった。そのことの悔恨を少しでも払拭したいと思い、第1回目に「What’s Going On」を採り上げた。

本連載を続けていくうちに気付いたのは、自分の記憶にある洋楽ナンバーが決してR&B/ソウル・ミュージック、ラップ・ミュージックだけではなかった、ということ。中学時代には数人ではあるが同級生にロック好きの友人もいたし、高校時代にはバンドを組んでいた洋楽愛好家の友人もいた。大学時代は主にロック・ファンの友人が多く、スティングやデイヴィッド・ボウイ、スコーピオンズといったアーティストのいわゆる“追っかけ”の友人もいたと記憶する。そうした友人と交流する遥か以前から――幼稚園児の時から――FEN(現AFN)を聴いていた筆者は、R&B専門番組はもちろんのこと、全米TOP40が殊の外、楽しみであった。最近、同番組のDJを務めていたCasey Kasem氏が行方不明、との報道が流れたが、そのニュースに接した時、彼の臨機応変な声音――楽しい曲をかける際の溌剌とした張りのある声、リスナーからのセンチメンタルな内容の手紙を読んだ後にリクエスト曲をかける際の悲しげな声など――が一瞬にして脳裏に浮かんだものである。全米TOP40があったからこそ、筆者の記憶には様々なジャンルの洋楽ナンバーが刻まれてきた。本コラムで採り上げた曲の大半は、FENで初めて耳にしたものである。今はただ、Kasem氏の無事をひたすら祈りたい。

今から思えば、あの曲も採り上げれば良かった、これも採り上げるはずだったのに忘れていた、など、様々な思いが胸の内を交錯する。読者の方々の中には、「どうしてこのアーティストの曲がこれなんだろう?」と不思議に思われる回もあったに違いないが、そこはひとつ、筆者の思い出も少々加味された曲としてどうかご容赦願いたい。もちろん、直球勝負(苦笑)の曲もいくつか取り上げたが、時には変化球も投げたつもりである。個人的な感想を述べるなら、ブームタウン・ラッツの「I Don’t Like Mondays(邦題:哀愁のマンデイ)」はその最たるものだったと思う。今でも同曲をどこかで耳にするとゾッとする内容だ。洋楽を聴き始めてから、様々なメッセージ・ソング(その多くは反戦歌やラップ・ナンバーに多い人種差別に反対する内容のもの)を耳にしてきたが、「I Don’t Like Mondays」は実際に起きた事件を題材としており、それだけに余計に印象に残った曲だった。

近年、音楽の聴き方が激変した。筆者は今でもアナログ盤とCD(アナログ盤でリリースされていないもの)で音楽鑑賞を楽しんでいる旧弊型人間だが、昔は廃盤になったレコードを血眼になって探し、また、たとえそれが見つかったとしても、高額で手が出なかった、という経験を何度もしている筆者からみれば、今はとても恵まれている時代だと思う。何しろ、動画サイトなどには、「えっ、こんなマイナーな曲まで?!」と仰天するような曲までアップされているのだから。ご丁寧に歌詞がテロップで流れる動画まである。昔なら考えられないことだった。どうかみなさん、この恩恵に浴して頂きたい。そして更に洋楽に親しんで欲しいと切に願う。

今さらながらだが、この連載をやらせて頂いて気付いたのは、洋楽ナンバーの歌詞は英文法の宝庫である、ということだ。もちろん、くだけた表現やスラングなどが多い曲もあるが、学校の英語の授業では習わなかった単語やイディオムなどの多くは、洋楽ナンバーの歌詞が筆者に教えてくれた。辞書を引く癖がついたのも、洋楽ナンバーの歌詞のお蔭だと思っている。連載では採り上げなかったが、大好きなR&B女性シンガーのイヴリン“シャンペーン”キング(Evelyn “Champagne” King/1960年ニューヨーク生まれ)のヒット曲「Love Come Down」(1982/R&Bチャートで5週間にわたってNo.1,全米No.17)のタイトルを初めて目にした時、「ん?」と思った。何故なら、正しくは「Love COMES Down」でなければならないからだ。ところが、実際に同曲が収録されているLPを買って聴いてみて、タイトルがサビの部分の♪You make my love come down … からの抜粋だったのだと納得したのである。使役の動詞=makeがもたらしたタイトルの謎だった。

みなさんの中にはお気付きの方も多いだろうが、例えばTVのCMのBGMなどで使用される洋楽ナンバーは、圧倒的に1960~1980年代のものが多い。もちろん、最近の洋楽ナンバーのヒット曲も使用されるケースもあるが、その30年間は、恐らく洋楽の黄金期だったのではないだろうか。近年、昔のアルバムが高音質CDや高音質LP、未発表曲入りのボックス・セットなどで数多くリリースされているのは、その30年間に“忘れられない洋楽ナンバー”が凝縮されているからだと思う。当然ながら、その当時に青春時代を送った人々がそれらの再発もののターゲットだろうが、例えば、若い世代でも追体験で1960~1970年代の洋楽ナンバーに親しんでいる様子を見ると(実際、筆者の知人・友人にもそういう人が何人かいる)、昔の音楽にすぐ手が届く今の時代を享受しているように思えて微笑ましい。どういったかたちであれ、音楽が日々の糧になっているのなら嬉しく思う。

最後に、読者のみなさんにひと言お礼を申し上げたい。長い間、ご愛読下さり、ありがとうございました。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、2012年まで翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「泉山式 翻訳力×英文法講座」)の講師を務めた。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツを担当した。その他、ジャンルを問わずポップス、ロックの訳詞も手がける。

My Guy(1964/全米No.1,全英No.5)/メアリー・ウェルズ(1943-1992)

2014年 5月 14日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌詞物語~ 第125回

Mary Wells『MY GUY』LP

●歌詞はこちら
http://www.oldielyrics.com/lyrics/mary_wells/my_guy.html

曲のエピソード

毎年、5月になると条件反射のように思い出す曲がある。本連載第66回で採り上げたテンプテーションズ(以下テンプス)の「My Girl」だ。同曲では、愛する彼女のことを“the sunshine of May(5月の陽光)”にたとえているため、梅雨前のカラッとした晴れの日が多い5月の光を浴びる度に、どうしてもそこのフレーズが頭の中に浮かんでしまう。

今では多くの知るところだろうが、筆者が子供の頃は、よもや「My Girl」がメアリー・ウェルズがモータウンに残した最後の大ヒット曲「My Guy」へのアンサー・ソングだとは夢にも思わなかった。考えていれば、タイトルの“Girl”と“Guy”が異なるだけなのだが、それぞれ異なる曲であるし、メアリーのそれはれっきとしたオリジナル・ソングでカヴァーでもないので、単にソングライターが同一人物(モータウンの副社長兼所属アーティストでもあったスモーキー・ロビンソン)、という認識に留まっていたのだった。初めてそのことを知った時、改めて双方の曲を聴き較べてみたものである。

メアリーはモータウン創設後、初めて絶大な人気を博したシンガーだった。デビュー直後からスターの階段を駆け上り、「The One Who Really Loves You」(1962/R&BチャートNo.2,全米No.8),「You Beat Me The Punch(邦題:恋のパンチ)」(1962/R&BチャートNo.1,全米No.9),「Two Lovers」(1962/R&BチャートNo.1,全米No.7)など、ヒット曲を連発。しかしながら、人気の絶頂の最中にモータウンと金銭面で揉め、他のレーベルに半ば強引に移籍してしまう。移籍先でもそこそこのヒット曲を放ったのだが、モータウン時代の栄光は残念ながら取り戻すことは叶わなかった。なお、「My Guy」がリリースされた当時、『ビルボード』からはR&Bチャートが消えていた時期なのだが、それでも堂々の全米No.1を獲得したことは、メアリーの人気がいかに凄まじかったかを物語っている。また、1963年頃にニューヨークはハーレムにあるブラック・ミュージックの殿堂アポロ劇場でモータウン・レヴューが行われた際、彼女のバックグラウンド・ヴォーカルを務めていたのは何とテンプス(!)。そして客席から男性がステージに飛び乗ってメアリーに抱きつかんとしているところを警備員に引き離されているシーンを遥か昔に友人の秘蔵映像で観せてもらったことがある。メアリーは紛うかたなきアイドル・シンガーだったのだ。

曲の要旨

誰に何と言われようと私は彼にぴったりくっついて離れないわ。最初からそう言ってるじゃないの。誰に何をされても彼への私の誠実な気持ちは変わらないの。どんなプレゼントを贈られても、私は彼に嘘をつくことなんてできないのよ。私は決して彼を裏切らない、そのことは信じてちょうだい。私にとって彼は最高の男性、理想の男性そのものなの。筋骨隆々の男性じゃなくても、映画スターじゃなくても、私にとっては彼が一番。他の男性じゃダメなのよ。誰も私を彼から引き離すことはできないわ。

1964年の主な出来事

アメリカ: 雇用上の人種差別などを撤廃する公民権法(Civil Rights Act)が成立。
公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング Jr. 牧師がノーベル平和賞を受賞。
日本: 東京オリンピックが開催される。
世界: ソヴィエト連邦でブレジネフが共産党第一書記に就任。

1964年の主なヒット曲

Can’t Buy Me Love/ビートルズ
Chapel of Love/ディキシー・カップス
Baby Love/シュープリームス
Leader of The Pack/シャングリラス
Mr. Lonely/ボビー・ヴィントン

My Guyのキーワード&フレーズ

(a) best be believing ~
(b) the cream of crop ~
(c) take the place of ~

10代の頃、モータウンのレコードをせっせと集めていた頃、この曲がタイトルになっているLP(残念ながら再発盤だったが…)は、比較的、早い時期に買った。その後、旧譜を遡って買った記憶がある。それ以前からメアリー・ウェルズの顔は知っていたが、そのイメージから、筆者は勝手に“ソウルフルに歌い上げるタイプのシンガー”を想像していた。ところが、いざ聴いてみると、そのふんわりと包み込むようなハスキー・ヴォイスにいっぺんに惚れ込んでしまった。とりわけ、初めて買ったメアリーのアルバム『MY GUY』には思い入れが強い。R&Bアルバム・チャートが『ビルボード』誌で設けられたのは1965年のことだから、もしもあと1年早く同チャートが誌面を飾っていたなら、間違いなくR&Bアルバム・チャートで上位に食い込んでいただろう。惜しい。

ひと言で言えば他愛のないラヴ・ソングに聞こえるが、そこはやはり“アメリカが生んだ最高の詩人”(©ボブ・ディラン)だけあって、細かな描写が面白い。例えば、1stヴァースの冒頭にある「私は彼に糊みたいにベッタリくっついているの」とか、「手紙に貼った切手みたいに彼から離れない」とか、およそ凡人には思いつかないような洒落の効いたフレーズである。筆者は子供の頃、この曲で初めて“glue”という英単語を知った。

察するに、この曲の主人公はボーイフレンドがいながらにして、大勢の男性から言い寄られているのだろう。かれらを「袖にする」(☜死語?)ためなのか、それとも自分のボーイフレンドが如何に素敵なのかを自慢するためなのか、とにかく最初から最後まで「私の彼ってこんなに素敵なのよ!」と歌っているわけである。なのに聴いていてちっとも鼻に付かないのは、メアリーのハスキーで(セクシー、と形容する彼女のファンも多し)ふわりふわりとしたどこか浮遊感が漂う歌声で気負わずに歌われているからだろう。特に後半に溜め息交じりのヴォーカルと共にフェイド・アウトしていく箇所が何とも言えない。

「~した方がいい」という言い回しを学校では“You had (or You’d) better ~”と習うが、(a)では次のようになっている。しかも進行形。

♪You best be believing ~

これは、以下のセンテンスの口語的なもの。

♪You had best believe ~

意味はもちろん「?した方がいい」だが、“You had better ?”よりも意味合いが強い。

(b)の“crop”には「農作物、米や果物の収穫物」という意味があるが、(b)はイディオムで、「最高のもの」と言う意味。大抵の場合、辞書の“cream”の項目に載っている。“cream”には「話の聴きどころ、最上級のもの」という意味もあり、それらを踏まえて(b)を意訳するなら、「これ以上ないほどに理想通りの男性」ということになるだろうか。(b)はごくたまに洋楽ナンバーで見聞きするのだが、確かメアリーとレーベルメイトのシュープリームスの曲にも登場していたような気がする。もちろん、“crop”の意味もこの曲で知った。

これまた洋楽ナンバーに頻出するイディオムの(c)。意味は「~の代わりになる」。ラヴ・ソングの多くでは、「誰も君の(あなたの)代わりになれない」というフレーズで多用される。この主人公の女性がぞっこんなのは、「筋骨隆々」でもなければ「飛び切りのハンサム」でもない男性。

それでも一緒にいるだけで幸せ、とメアリーは歌う。そうした歌詞が、一般の女性、そして男性にも幅広く受け入れらたのだろう。何十年も聴き続けているのに、今、初めて気付いたこと。この曲には“love”も“need”も一度も出てこない! なのに優れたラヴ・ソングに仕上がっている。改めてスモーキーに感謝。そして、ミュージック・シーンに復活することを切望しつつ、1992年に病に倒れて失意のうちに48歳でこの世を去ったメアリーに、この場で哀悼の念を捧げたい。R.I.P.――You’ll be missed.

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、2012年まで翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「泉山式 翻訳力×英文法講座」)の講師を務めた。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツを担当した。その他、ジャンルを問わずポップス、ロックの訳詞も手がける。

Groovin’(1967/全米No.1,全英No.8)/ザ・ヤング・ラスカルズ(1965-1967)

2014年 5月 7日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第124回

「Groovin'」(日本盤シングル)

●歌詞はこちら
http://www.metrolyrics.com/groovin-lyrics-young-rascals.html

曲のエピソード

本連載第69回で採り上げた「People Got To Be Free(邦題:自由への讃歌)」(1968/全米No.1)の際にはグループ名が単にザ・ラスカルズ(The Rascals)だったが、このザ・ヤング・ラスカルズと同一グループであることは言うまでもないだろう。1968年からグループ名から“Young”が削除された。

複数のアーティストにカヴァーされている「Groovin’」は、彼らにとって「Good Lovin’」(1966)に続く2曲目の全米No.1ヒットである。もうだいぶ前のことだが、この曲についてちょっと調べる機会があり、手元のチャート本のページを繰っていたところ、R&Bチャートでも堂々のNo.3を記録していることが判明(ゴールド・ディスク認定)。更に音楽関係の洋書などで調べてみたところ、当時、NYのラジオDJが先ずこの曲を気に入り、“大ヒット間違いなし!”と太鼓判を押した、というエピソードと、R&B/ソウル・ミュージック専門のラジオ局のDJたちが積極的にこの曲を流した、というエピソードを知って納得した。まだ“Blue-eyed soul(非アフリカン・アメリカンのアーティストによるソウル・ミュージック)”なる言葉が一般的ではない時代であり、更に言えば、モータウンやスタックスといったR&B/ソウル・ミュージック専門レーベル所属のアーティストたちがチャートの上位を賑わせていた頃でもある。にもかかわらず、ヤング・ラスカルズの「Groovin’」(及び他の数曲のシングル曲も)はアフリカン・アメリカンの人々の耳と心を捉えたのだった。所属レーベルの戦略ももちろん奏功したのだろうが、純粋に曲の良さが受け入れられたのだと筆者は思う。

今で言うなら“超”が付くほどのアイドル・グループであり、多忙を極めていた彼らは、“恋人とゆっくり過ごせるのは日曜日ぐらいしかない”ことにハタと気付き、この曲を作ったという。もちろん、“日曜日”は広範囲に捉えて“オフの日”という意味だろう。人気者であるがゆえの悩みからヒントを得て生まれたこの曲によって、彼らの人気は一段と高まり、それこそ恋人とデートどころではなかっただろう。当時の彼らの恋人たちには気の毒かつ皮肉な話だが、それでもこの曲がザ・ヤング・ラスカルズの代表曲のひとつになったことを考えれば、何が幸いするか判らない。

曲の要旨

日曜日の午後にふたりでこうしてゆっくり過ごしていると、ずっとこうしていたくなるよ。ふたりで一緒にいる時が一番幸せなんだ。デートに出掛けたら、ふたりでやりたいことを思いっ切り楽しめるよ。今日みたいに太陽が降り注ぐ日を、これからもこうして一緒に過ごそう。ふたりでずっと話したり笑ったりして時を過ごすんだ。ふたり一緒なら、人生はバラ色だもの。

1967年の主な出来事

アメリカ: デトロイトを始めとする数都市で大規模な黒人暴動が発生。
日本: 「オールナイトニッポン」の放送が開始され、ラジオの深夜放送の人気番組に。
世界: Association of Southeast Asian Nations(ASEAN/東南アジア諸国連合)成立。

1967年の主なヒット曲

Ruby Tuesday/ローリング・ストーンズ
Love Is Here And Now You’re Gone/シュープリームス
Happy Together/タートルズ
I Was Made To Love Her/スティーヴィー・ワンダー
All You Need Is Love/ビートルズ

Groovin’のキーワード&フレーズ

(a) groovin’
(b) the world is ours
(c) laugh one’s time away

ゴールデン・ウィーク明けで今日からいつも通りの日常生活に戻った、という方々も多いことだろう。各メディアでは、毎年この時期に図ったように行楽地の賑わいの様子や日本脱出=海外旅行へ出掛ける人々の姿、そして公共交通機関や道路の混雑ぶりを伝える。筆者ぐらいの年齢になると、知人・友人の大半は家族サービスで疲労困憊、という話も珍しくない。一方では、身軽な独り者の友だちは気ままに過ごしていたりもする。逆に、ゴールデン・ウィーク中はずっと仕事という友人も……。とにもかくにも“お疲れ様”と声を掛けた。

人気アーティストともなれば、長期休暇もままならないのが世の常。ザ・ヤング・ラスカルズもその例外ではなく、曲の要旨でも述べたように、この「Groovin’」は彼らが人気者であったがゆえに誕生した曲である。だから彼らにとっての“ゴールデン・ウィーク(もちろん和製英語)”ならぬ“ゴールデン・デイ(ズ)”は、ごくたまにしか訪れない貴重なオフの日だった。

恐らくそのことが彼らにとっては不満だっただろうが、この曲には不平不満が全く綴られていない。どこまでもゆったり、まったり、そして楽しげなのである。文字通り聴いていると心も身体も“groovin’”。タイトルにもなっている(a)は、非常に日本語にしづらい英語のひとつ。名詞の“groove”に匹敵するピッタリな日本語を筆者は寡聞にして知らない。これがアップ・テンポのダンス・ナンバーなら、“ノリノリな気分になる”とか“アゲアゲ(←既に死語?)で踊ってる”とか、それなりの解釈のしようもあるのだが、これはあくまでもミディアム・テンポのゆったりとしたナンバーであり、どちらかと言えば(a)は“relaxin’”あるいは“havin’ a good time”に近いニュアンス。(a)が含まれるフレーズを省略なしで綴ると、以下のようになる。

♪We are groovin’ on a Sunday afternoon

または

♪I am groovin’ on a Sunday afternoon

続くフレーズでも主語が省略されており、その主語を“We(もしくはYou and I)”,または“I”のどちらかで解釈するのはリスナー次第。筆者は後者の方がしっくりくると思うのだが、如何だろうか?

(b)は直訳すると「世界は僕たち(僕と君)のもの」となるが、これは洋楽ナンバーに頻出する言い回しのひとつで、意訳するなら「何もかもがふたりの手中にある=ふたりの思うがまま」といったところだろうか。愛し合うカップルが一緒に過ごすだけで(b)のような気持ちになることからも、当時、彼らがなかなか恋人と会う時間を持てなかったことが推測される。嗚呼、げに気の毒なのは人気者。

(c)はイディオムで、「時間を笑って過ごす、楽しく過ごす」という意味。辞書の“laugh”の項目に載っている。筆者は遥か昔にこの曲を聴いた時、“laugh ~ away”を「~を笑い飛ばす」という意味だと思い込んでしまった。しかしながら、「ふたりの時間を笑い飛ばす」だと前後のフレーズとしっくりこないことに気付き、その時点でようやく辞書を引いた。(c)は辞書を引かなくても知っている単語だと思って勝手に解釈してしまったことを後々になって後悔したことを今でも思い出す。

この曲が全米チャートにチャート・インしたのは、奇しくも1967年の5月6日。そう、今年のゴールデン・ウィークの最終日に当たる日。思ってもみなかった偶然を発見した瞬間、頭の中でこの曲が鳴り始めたというわけ(苦笑)。考えてみれば、この曲はちょうど今のような薫風が香る季節にピッタリである。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、2012年まで翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「泉山式 翻訳力×英文法講座」)の講師を務めた。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツを担当した。その他、ジャンルを問わずポップス、ロックの訳詞も手がける。

Love Train(1972/全米No.1,全英No.9)/オージェイズ(1958-)

2014年 4月 30日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第123回

オージェイズ「Love Train」日本盤シングル

●歌詞はこちら
http://www.metrolyrics.com/love-train-lyrics-the-ojays.html

曲のエピソード

1958年の結成以来、長きにわたって活動を続けているR&Bヴォーカル・グループのオージェイズ。幾度かのメンバー・チェンジはあったものの(オリジナル・メンバーのひとりだったウィリアム・パウエルは1977年に35歳の若さで亡くなっている)、男性ヴォーカル・グループの浮き沈みが激しいR&B界において、今なお現役で活躍していることに敬意を表したい。筆者はバブル期に彼らの来日公演を観たのだが、迫力満点のステージは今も記憶の底にある。

今年はマーティン・ルーサー・キング・Jr. 牧師のかの有名なスピーチ“I Have A Dream”からちょうど50年目の年にあたる。今夏、恐らくアメリカでは大々的な式典や催しが行われることだろう。願わくは、それらの行事にオージェイズを招聘してこの「Love Train」をパフォーマンスして欲しいものだ。というのも、キング牧師が暗殺され、1970年代に突入してからは、メッセージ性の強いR&Bソングが1960年代が遠ざかるにつれて減っていってしまったからだ。そのような世代に、この曲の登場は衝撃的だった。何しろ、世界中の人々に向けて“友愛”を呼び掛けているのだから。もはやキング牧師が唱えたアメリカにおける人種差別撤廃を超越した感さえある歌詞である。

オージェイズはフィラデルフィア・ソウルの代表的グループとして語られることが多いが、じつは彼らはオハイオ州出身である。これは人口に広く膾炙しているエピソードだが、彼らの一風変わったグループ名は、地元のラジオ局で彼らを応援していたDJの名前に由来する。そして今でも同じグループ名を名乗りながら活動しているのだ。もちろん、今でもこの「Love Train」は彼らのライヴには不可欠だろう。フィラデルフィア・ソウルの仕掛人であるソングライター/プロデューサー・コンビのギャンブル&ハフの手腕が光る傑作である。この曲に綴られたメッセージは、今なお色褪せていない。逆説的に言えば、未だに世界中で異人種間の軋轢がなくなっていない、ということだ。ちなみに、R&Bチャートでは4週間にわたってNo.1の座を守った。

曲の要旨

世界中の人々よ、共に手を携えて友愛と言う名の列車を走らせよう。この列車が出発することを、ロシアや中国の人々にも伝えてやってくれ。さぁ、みんなで一緒にこの列車に乗ろう。友愛列車に乗るには、お金も切符も要らないんだよ。だから世界中の誰でも乗れるのさ。アフリカ、エジプト、イスラエルに住む同胞たちも乗り込んでくれ。この列車に乗り損ねたらきっと後悔するよ。

1972年の主な出来事

アメリカ: 6月17日にウォーターゲート事件が発覚。
日本: 浅間山荘事件が日本中を震撼させる。
田中角栄首相が訪中し、日本と中国の国交が回復。
世界: 東ドイツと西ドイツの国交が正常化。

1972年の主なヒット曲

Without You/ネルソン
A Horse With No Name/アメリカ
Oh Girl/シャイ・ライツ
Black & White/スリー・ドッグ・ナイト
I Can See Clearly Now/ジョニー・ナッシュ

Love Trainのキーワード&フレーズ

(a) love train
(b) don’t need no ticket
(c) ain’t no war

最近また世界中のあちらこちらで異人種間の差別問題が起きている。個人的には、人間がこの世に存在する限り、この問題は決して根絶しないと思っているのだが、それにしてもNBAのクリッパーズのオーナーが発した人種差別発言には唖然とさせられた。また、過日、某新聞の一面記事は各方面で非難を浴びている“Japanese Only”の横断幕や店頭の張り紙についてであった。それらのニュースに接しているうちに、ふと頭に浮かんだのがこの曲である。

オージェイズは若い頃から大好きなヴォーカル・グループで、とりわけこの「Love Train」を初めて聴いた時には心に響いたものだ。余談だが、“Israel”の正しい発音もこの曲で覚えた(苦笑)。この曲がリリースされたのは1972年12月で、チャート・インを果たしたのは翌年1月になってからだが、今回は敢えてリリース年の曲として捉えた。と言うのも、“主な出来事”に記したように、アメリカ国内はウォーターゲート事件(加えてヴェトナム戦争)で騒然としており、社会全体が不穏な空気に包まれていた年だから。そんな中、人種も国境も超越して“Love trainに一緒に乗ろう”と世界中の人々に呼び掛けるこの曲がリリースされた意義は大変に重いと筆者は考える。しかも、歌詞の中にアメリカと長期にわたって冷戦状態にあった旧ソ連(歌詞では“Russia”となっている)の国名まで登場していることに、当時の筆者は驚きを禁じ得なかった。

タイトルでもある(a)を直訳するなら「愛の列車」だろうが、この場合の“love”は「友愛」もしくは「博愛」に近い意味合いである。血のつながりこそないとは言え、「兄弟愛」と言い換えてもいいのではないだろうか。オージェイズがアメリカの人気音楽番組“SOUL TRAIN”に出演した際、大半のアーティストは口パクでパフォーマンスするのだが、筆者は彼らが“生で”歌っている映像が未だに忘れられない。もちろんこの「Love Train」もパフォーマンスされたのだが、彼らは♪Love train … の箇所を♪Soul train … に変えて歌っていた。粋な計らいである。

(b)は本コラムで幾度となく採り上げている二重否定=否定の強調で、その前のフレーズにも♪you don’t need no money … とある。つまり、「友愛列車に乗るには“何も”必要ない=自由に乗れる」、ということを強調しているのだ。“any”の代わりに“no”を用いて二重否定=否定を強調することによって、この曲のメッセージ性がより一層、高まっているような気がする。

そして再び二重否定=否定の強調の(c)である。「人間がこの世に存在する限り、戦争はなくならない」、と人は言う。そして今なお世界中のどこかしらで戦争が実際に繰り広げられているのだ。(c)は唐突に登場するフレーズで、書き換えるなら次のようになるだろうか。

♪We don’t need to fight any more.
♪We need peace, not a war.

いずれにしても、(c)のフレーズには「戦争はもうたくさんだ」という強い願望が込められているとしか思えない。この曲がリリースされた1972年にヴェトナム戦争が泥沼化していたことを考えれば、(c)はそのことを踏まえてのフレーズだろう。

この曲がリリースされてから、早や40年余り。オージェイズの面々は、その時その時によって、世相を鑑みつつこの曲をステージでパフォーマンスしていることだろう。皮肉っぽい言い方をするなら、この曲はある種のユートピア的発想かも知れない。が、やはり人間は互いに争うよりも心を通じ合わせた方が幸せだと思うのだが……。「友愛列車」はもちろん架空の乗り物ではあるけれども、もしも実在するなら、筆者はぜひ乗ってみたい。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、2012年まで翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「泉山式 翻訳力×英文法講座」)の講師を務めた。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツを担当した。その他、ジャンルを問わずポップス、ロックの訳詞も手がける。

The Message(1982/全米No.62,全英No.8)/グランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイヴ(1978-1982, 1987-1988)

2014年 4月 23日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第122回

122themessage.jpg

●歌詞はこちら
http://www.lyricsfreak.com/g/grandmaster+flash/the+message_20062225.html

曲のエピソード

ヒップ・ホップ・カルチャー黎明期を俗に“オールド・スクール時代”と呼ぶが、1979年を同カルチャーの幕開けの年と考えると、その1年前に結成していたグランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイヴはオールド・スクール時代の礎を築いたグループのひとつであると言っていい。楽しいパーティ・ラップから、今回取り上げたメッセージ・ラップまで、多種多様な曲でヒップ・ホップ・カルチャー黎明期を彩ってくれたのが彼らである。また、DJであり中心人物でもあるグランドマスター・フラッシュがヒップ・ホップのアーティストとして初めてロックの殿堂入りを果たしたことにもうなずける(2007年1月にロックの殿堂入り)。

この曲は彼らにとっての最大ヒット曲で、全米チャートでこそNo.62だったものの(それでも当時ラップ・ナンバーがHOT100入りすることは快挙だった)、R&BチャートではNo.4、そして全英チャートではトップ10入りのNo.8を記録している。更に言えば、ラップ・ナンバーのプロモーション・ヴィデオがまだ珍しかった当時、この曲はブロンクス(バルバドス生まれのグランドマスター・フラッシュが育った場所)の廃墟で撮影され、当時のゲットーの光景を収めた貴重な映像となっている。

ラップ・ナンバーはその誕生期からダンス・フロア向けの明るいナンバーと、この曲のようにゲットーやアフリカン・アメリカンの人々が抱える問題を赤裸々にライム(=ラップの歌詞)に綴ったものに大別されるが(後に更に様々なサブジェクト=テーマを持つライムが続々と生まれた)、この曲は、タイトルが示すように、彼らがリスナーたちに突きつけた“メッセージ”そのものである。ライムの内容は悲惨だが、現代のように世界中の情報が瞬時にして判る時代ではなかったため、この曲はゲットーの現実を活写した1曲として、筆者にとっては忘れ難いものとなった。

曲の要旨

このジャングルのような場所で、どうやって落ちこぼれないように生き抜こうかと、そればかり考えている。街は荒れ果て、異臭が漂っていても、誰もそのことを意に介さない。バットを持ったジャンキーはそこいらをウロウロしてるし、俺はこの場所から逃げたくてたまらない。もうこれ以上、俺を追い詰めないでくれ。ただでさえ今にもおかしくなりそうなんだから。ゲットー育ちは世間からつまはじきにされるんだ。高校をドロップアウトして、職にありつけなかった奴が死んだよ。どうしてそんなに生き急いだんだい? ここはジャングルそのもの。俺も何とか正気を保とうと必死になってるんだ。

1982年の主な出来事

アメリカ: 第40代大統領のロナルド・レーガンによる経済政策(いわゆるReaganomics)が失敗に終わり、インフレが進み失業率が11パーセントに達する。
日本: 東京のホテルニュージャパンで火災が発生、死傷者が67人にのぼる大惨事に。
世界: 3月にフォークランド紛争が勃発(同年6月に終結)。

1982年の主なヒット曲

I Can’t Go For That/ダリル・ホール&ジョン・オーツ
Keep The Fire Burnin’/REOスピードワゴン
Hold Me/フリートウッド・マック
Get Down On It/クール&ザ・ギャング
The Girl Is Mine/マイケル・ジャクソン&ポール・マッカートニー

The Messageのキーワード&フレーズ

(a) jungle
(b) lose one’s head
(c) What’s up, money?

この曲をオン・タイムで聴いた時の衝撃は未だに忘れられない。当時、アフリカン・アメリカンの人々の情況を知りたくて様々な関連本を読んだものだが、その大半が公民権運動時代前後の時代に限定されており、“現在の”情況を伝えてくれるものがほとんどなかった。そんな時に出逢ったのがラップ・ミュージックである。ハードコアなメッセージ・ラップで知られるパブリック・エネミーのリーダー、チャックDは「ラップ・ミュージックはブラック版CNNである」という名言を残しているが、まさにラップ・ミュージックは筆者にとってアフリカン・アメリカンの人々が置かれた現状を伝えてくれるニュースそのものだった。

(a)が“ghetto”を意味するスラングだということを知ったのは高校時代だが、この曲では“まるで(ゲットーは)ジャングルのよう”とラップされている。“jungle=ghetto”というスラングを踏まえて、敢えて主語が“It”になっているのだな、と、初めて聴いた時にピンときたものだ。確か1990年代初期のことだと記憶しているが、ハーレムでは日本人観光客たちに人気のバス・ツアーが企画された。すなわち、バスから降りることなく、車窓からハーレムの街並みを見物するという観光ツアーなのだが、車窓から街ゆく人々を無遠慮にカメラに収める人々に向かって、「俺たちは動物園の動物じゃないんだぞ!」と激昂した地元民がいたというニュースを、当時、耳にしたことがある。そのニュースに触れた時、この曲の最初のフレーズがすぐさま頭に浮かんだのは言うまでもない。その後、そのバス・ツアーが廃止されたかどうかは判らないが、もし自分がハーレムの住人だったなら、やはりいい気持ちはしないだろう。

(b)は辞書の“head”の項目に載っているイディオムで、意味は「命を失う、首を切られる、自分を見失う、取り乱す」など。ここでは「自分を見失う」の意味で使われているが、筆者はそれ以上に強い意味合いを読み取ってしまう。言い換えるなら――

♪go crazy
♪go insane

「自分を見失う=(頭が)どうにかなってしまう」、というふうに。それほどこの曲は強烈な“メッセージ”に満ちている。

(c)は一時期、流行した挨拶のひとつで、“money”は「お金」ではなく相手への呼び掛け。言い換えるなら次のようになる。

♪What’s up, man?

最近ではあまり見聞きしなくなったが、一時期、ライムやR&Bの歌詞、ブラック・ムーヴィのセリフで耳にする機会が多かった。挨拶の言い回しにもはやりすたりがある。

今ではすっかり音楽の一ジャンルとして定着したラップ・ミュージックだが、この曲がリリースされた1982年は、その音楽の存在すら広く知られていなかった。しかしながら、ヒップ・ホップ・カルチャーを語る時、この曲は決して外せない。少なくとも、筆者が生まれて初めて聴いた“ブラック版CNN”的曲がこれだった。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、2012年まで翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「泉山式 翻訳力×英文法講座」)の講師を務めた。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツを担当した。その他、ジャンルを問わずポップス、ロックの訳詞も手がける。

Be My Baby(1963/全米No.2,全英No.4)/ザ・ロネッツ(1959-1966)

2014年 4月 16日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第121回

ロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」

●歌詞はこちら
http://www.metrolyrics.com/be-my-baby-lyrics-the-ronettes.html

曲のエピソード

もともとプロのミュージシャンで、後にプロデューサーに転向した鬼才フィル・スペクターが生み出したサウンドを、俗に“The Wall of Sound”と言うが、この場合、直訳の「音の壁」よりも「(壁のように)分厚い音」と意訳した方がピッタリくるのでは、と筆者は勝手に考えている。とにかく彼が生み出した数々の曲はサウンドが幾層にも重なった色彩の絵巻物の如くゴージャス極まりないから。もちろん、もちろん、ロネッツにとっての初の大ヒット曲となったこの「ビー・マイ・ベイビー」(初めて日本でリリースされた際の邦題は「あたしのベビー」だったが、後にカタカナ起こしに変更)のサウンドもまた、その例に漏れない。

ロネッツはロニー・スペクターことヴェロニカ・ベネットが姉のエステル・ベネット・ヴァン(2009年に死去)、従姉妹のネドラ・タリー・ロスと結成した女性トリオ。1960年代はまさにガール・グループス全盛時代だったが、ロネッツの結成当初はグループ名を Ronnie and the Relatives といった。トリオを結成してから2年後にレコード・デビューを果たすも、全くヒットに結びつかず。しかしながら、スペクターとの出逢いが彼女たちの運命を大きく変えたのだった。彼女たちの快進撃はスペクターが経営するレコード・レーベルと契約した瞬間に約束されていたようなもので、瞬く間に人気者のガール・グループに。「ビー・マイ・ベイビー」は、彼女たちにとって代名詞的な大ヒット曲である。

私生活では、ロニーは1968年にスペクターと結婚するものの、1974年(1973年という説もあり)に離婚している。結婚生活に終止符を打った後、ロニーはソロ・シンガーに転向した。

スペクター自身は、目下、殺人容疑でカリフォルニア州立刑務所に収監されている。ややエキセントリックな人ではあったが、音作りの面においては妥協を許さないイメージがあったので、機会があれば、ぜひともミュージック・シーンに復活して欲しいものだ。

曲の要旨

初めてあなたに会った夜、すぐにあなたに惹かれたわ。あなたが私のことを愛してくれたら嬉しいんだけど、ダメかしら? あなたと私が恋人同士になったら、きっとみんなに注目されるカップルになれると思うの。だから私の恋人になってちょうだい。私だけのものになって欲しいの。あなたは私が求めていた男性像にピッタリよ。いつまでもあなたと一緒にいたいの。だからお願い、私だけのものになってちょうだい。

1963年の主な出来事

アメリカ: 公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング・Jr.が統率したワシントン大行進が行われ、有名な演説“I Have A Dream”が披露される。
第35代大統領ジョン・F・ケネディがダラスで暗殺される。
日本: 東京都内で、当時4歳だった男の子が誘拐され(世に言う“吉展ちゃん誘拐殺人事件”)、日本中を震撼させる。
世界: 南ヴェトナムでクーデターが勃発し、ゴ・ディン・ジェム大統領が暗殺される。

1963年の主なヒット曲

Walk Right In/ザ・ルーフトップ・シンガーズ
I Will Follow Him/リトル・ペギー・マーチ
Sukiyaki/キュー・サカモト(坂本 九)
My Boyfriend’s Back/エンジェルス
Finger Tips ― Pt. 2/リトル・スティーヴィー・ワンダー

Be My Babyのキーワード&フレーズ

(a) make someone turn his head
(b) be my baby
(c) just wait and see

子供の頃からモータウン・サウンドに親しんでいたせいか、ガール・グループス――マーヴェレッツ、マーサ&ザ・ヴァンデラス、シュープリームス、ザ・トイズ…etc.――が大好きで、今でも彼女たちのLPを愛聴している。もちろん、ロネッツもその例外ではなく、子供の頃、初めて「Be My Baby」をFEN(現AFN)で耳にした時には、そのサウンドのゴージャスさとロニー・スペクターのやや鼻にかかった甘い歌声に酔いしれたものだった。日本でこの曲が初めてリリースされた時の邦題が「あたしのベビー」だと知ったのはずっと後になってのことだが、筆者が持っている日本盤シングルでは邦題がカタカナ起こしの「ビー・マイ・ベイビー」になっている。「ベビー」が本来の発音に近い「ベイビー」に変えられた点に、時代の流れを感じずにはいられない。

一見、もとい、一聴すると、単純な歌詞である。理想の男性に巡り会った女性が彼に対して「私のベイビー(=恋人)になってちょうだい」と懇願する歌詞だからだ。それでも全米でNo.2,全英でNo.4,そしてR&BチャートでもNo.4を記録する大ヒットとなった。思い返してみると、ジャンルを問わず、1960年代のガール・グループスや女性シンガーの歌詞は、他愛のない恋愛の歌や、恋する少女のような歌が多かった。もちろんこの「Be My Baby」もその例外ではないが、こうしたタイプの曲が多く大ヒットした当時の世相を顧みるに、恋に恋する女性が多かったのでは、と漠然と考えたりする。例えばR&B/ソウル・ミュージックに関して言えば、女性が歌うドロドロとした男女関係のラヴ・ソングは1960年代からあったものの、そうしが歌詞が急激に増え始めたのは1970年代に入ってからだと記憶する。不倫ソングが増えたのも1970年代になってからである。

「みんなが注目するカップル」という表現は、ラヴ・ソングでたびたび耳にする。(a)は直訳するなら「~が振り返る」だが、この曲では、「私とあなたが恋人同士になったら、街行く人々が思わず振り返るほどステキなカップルになるわよ」と歌っているわけだ。(a)を含むフレーズを深読みすれば、「だから私とあなたはピッタリの恋人同士になれるわよ」といったところか。「どこへ行っても私とあなたは注目の的よ」と意訳してもいいだろう。ここのフレーズから、相手の男性(ロニーが後に結婚するスペクターのことか?)がハンサムであることが判る。もちろん、ロニーは文句なしに可愛らしくて美人だ。

そしてタイトルの(b)。洋楽のラヴ・ソングに出てくる“baby”がほとんどの場合「赤ちゃん」ではなく「愛しい人、愛する人」だということはみなさん先刻ご承知だろうが、これに匹敵する日本語がない。筆者は訳詞をする際に、呼びかけの“baby”をカタカナ起こしの「ベイビー」にしてしまうのだが(“愛しい人よ”だと堅苦しい日本語になってしまうため)、例えば(b)を日本語に訳すなら、「私のベイビーになってちょうだい」よりも「私の恋人になって欲しいの」、「私だけのものになってちょうだい」と訳すだろう。(b)のフレーズを他の英語に置き換えるなら、次のようになるだろうか。

♪Be mine.
♪Be my only one.

恋する女性(女の子)の気持ちは純粋で切ない。

(c)のフレーズの前には「あなたを幸せにしてあげるわ」という一節がある。ということは、(c)は通常通り「今に見てなさいよ」よりも「必ずそうしてあげるから」といった意訳の方がピッタリくるのではないだろうか。しかしながら、残念なことにロニーとスペクターの結婚生活は“幸せ”とは程遠かったようだ。そのことが気の毒でならない。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、2012年まで翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「泉山式 翻訳力×英文法講座」)の講師を務めた。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツを担当した。その他、ジャンルを問わずポップス、ロックの訳詞も手がける。

It Never Rains In Southern California(1972/全米No.5)/アルバート・ハモンド(1944-)

2014年 4月 9日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第120回

「カリフォルニアの青い空」日本盤シングル

●歌詞はこちら
http://www.metrolyrics.com/it-never-rains-in-southern-california-lyrics-albert-hammond.html

曲のエピソード

子供の頃、ラジオからよく流れていたこの曲を聴いていた頃、歌っているのはてっきりアメリカ人だと思っていた。後年、彼の出生を調べてみたところ、両親はジブラルタルの出身で、アルバートはロンドン生まれだということが判明。どうやら両親は第二次世界大戦の戦火を逃れるためにロンドンに移り住んだらしい。16歳の時に両親と共にジブラルタルに戻り、ロック・バンドを結成してヨーロッパ各地をツアーして回ったりバンドの解散後にメンバーのひとりとデュオを組んだりと、常に音楽活動を続けていた。

アルバートには曲作りの才能があり、ロンドンで作詞家のマイケル・ヘイゼルウッドと知り合ったことが彼に幸運をもたらした。そうして出来上がったのがこの「It Never Rains In Southern California(邦題:カリフォルニアの青い空)」である(ゴールド・ディスク認定)。また、1973年2月、日本のチャート誌『オリコン』で6週間にわたってNo.1の座に君臨したというのだから、この曲が如何に日本でも愛されたかが判ろうというもの。蛇足ながら、1990年代に活躍したR&Bバンドのトニ!トニ!トニ!(Tony! Toni! Tone!)のヒット曲「It Never Rains (In Southern California)」(1990/R&BチャートNo.1,全米No.34)は、(In Southern California)にカッコが付いているが、同名異曲である。もしかしたら、アルバートの曲との混同を避けるためにわざわざカッコを付けたのかも知れない。

これはアルバートが世に出るまでの自分史が部分的に投影された曲である。明るいメロディながら、歌詞はとても切ない。当時、“明日のスター”を目指していた人々の心を激しく揺さぶったのでは、と推察する。しかしながら、歌詞の内容を理解せずに聴いても、メロディがどこまでも耳に心地好い。

曲の要旨

目的もなく飛行機に飛び乗って西に飛んだ。もしかしたらTVや映画のスターになれるんじゃないか、って本気で自分に思い込ませながらね。南カリフォルニアでは決して雨が降らないとみんなが口々に言っているのを聞いたことがあるよ。そうは言っても、土砂降りになることだってあるんだよ。今の僕は失業中で、どうにかしちゃってるんだ。自尊心もお金もない。誰かに愛されたくてたまらないし、おまけに腹ペコなんだよ。故郷に帰りたいなあ。これでも(レコード会社からの)契約の誘いがいくつかあったんだけど、まだ契約先を選べないでいるんだ。故郷に帰ったら、今の僕の状態を黙っていてくれよ。僕のことをそっとしておいてくれないかな。

1972年の主な出来事

アメリカ: 6月17日にウォーターゲート事件が発覚。
日本: 浅間山荘事件が日本中を震撼させる。
田中角栄首相が訪中し、日本と中国の国交が回復。
世界: 東ドイツと西ドイツの国交が正常化。

1972年の主なヒット曲

Without You/ネルソン
A Horse With No Name/アメリカ
Oh Girl/シャイ・ライツ
Black & White/スリー・ドッグ・ナイト
I Can See Clearly Now/ジョニー・ナッシュ

It Never Rains In Southern Californiaのキーワード&フレーズ

(a) TV breaks and movies
(b) be out of bread
(c) gimme a break

初めて耳にするのに、昔どこかで聴いたような記憶がうっすらと脳裏に浮かぶ曲にたまに出くわす。筆者にとってこの曲は、そうした既視感ならぬ既聴感(←造語です)を感じさせずにはおかない。大ヒットしたのは1972年のことだから、当時の筆者は9歳。当然ながら、歌詞の内容などまるで理解できなかった。ただ漠然と“カリフォルニアに憧れてる曲なのかな”と思っていたのだが、長じて歌詞をじっくり読んでみて、その内容の悲哀に驚いたものだ。実際、アルバートはヨーロッパ各地でバンド活動を行っていた際、新婚旅行中の弟に金を無心したという。アルバートは「父には絶対に内緒にしてくれ」と弟に懇願したのだが、弟はそのことを父親に打ち明けてしまった。察するに、アルバートの父は彼が音楽活動にのめり込むことに反対していたのではないだろうか。

(a)は当時のアルバートの心境が反映されているフレーズだと思う。「いつか必ずTVや映画に出演するスターになってやる」という気持ち。続くフレーズの♪Rang true … は、彼の耳の奥でその決意がこだまのように何度も鳴り続けたことを表しているようにも思える。

(b)は解釈がふたつに分かれるフレーズ。“bread”はもちろん「パン(食べ物の比喩)」だが、先述の弟とのエピソードを考えると、ここはスラングでの“money”を意味するのではないかと筆者は考えた。ここのフレーズを言い換えるなら、次のようになるのではないか、と。

♪I’m broke.
♪I have no money.

また、(b)はイディオムで「仕事にあぶれて」という意味もある。もしかしたらこちらの意味かも知れないが、「仕事にあぶれて一文無しなんだよ」というダブル・ミーニングなのでは、という気もしてきた。

(c)は日常会話でも頻繁に使われる決まり文句のようなもので、“Give me a break.(ひと休みさせてくれ)”のくだけた言い方。曲の要旨では「僕のことをそっとしておいて」と意訳したのだが、それは、その前に♪Don’t tell ‘em how you found me … というフレーズがあるから。この曲での(c)は「僕のことは放っておいてくれ」、「僕のことには構わないでくれ」というニュアンスにも聞こえる。

拙宅にあるこの曲の日本盤シングルのジャケ写は見開きになっており、歌詞の下に次のような文言がある。曰く“尚この曲のタイトルは、ラジオ関東(JORF)の「ワイド電話リクエスト」で募集され、決定したものです。」この素敵な邦題を付けたのがリスナーの方だったとは……。ラジオと音楽とリスナーが密接な関係にあった時代。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、2012年まで翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「泉山式 翻訳力×英文法講座」)の講師を務めた。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツを担当した。その他、ジャンルを問わずポップス、ロックの訳詞も手がける。

Sexual Healing(1982/全米No.3,全英No.4)/マーヴィン・ゲイ(1961-1984)

2014年 4月 2日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第119回

「Sexual Healing」日本盤シングルのジャケ写

●歌詞はこちら
http://www.metrolyrics.com/sexual-healing-lyrics-marvin-gaye.html

曲のエピソード

1984年4月1日、マーヴィン・ゲイは実父によって銃殺され、45歳の誕生日を翌日に控えたその日に44年の短い生涯を閉じた。生前最後の大ヒット曲はこの「Sexual Healing」(R&BチャートNo.1)で、同曲を引っ提げての久々の全米ツアーも行われたのだが、マーヴィンはなくなるまで麻薬との縁が切れなかったという。そのことは、病床にあった彼の母親も証言している。人一倍繊細で内省的な性格だっがことが災いしたのか、彼は最期まで人生を謳歌できないまま生涯を閉じた。

様々な問題を抱えたまま、マーヴィンはベルギーの港町オステンドに居を移した。恐らくは、心身の浄化をその地で試みようとしたのだと思われる。そして出来上がったのが、久々の大ヒット曲「Sexual Healing」を含むアルバム『MIDNIGHT LOVE』だった。一説によると、ミュージシャンを雇う資金すらなかったがために、シンセサイザーを駆使したいわゆる“打ち込みサウンド”が大半を占める作品となったのだが、奇しくも、そのサウンドが後のR&B/ソウル・ミュージックのアーティストたちに多大な影響を及ぼしたことは、不幸中の幸いだったのかも知れない。何しろ、「Sexual Healing」以降、同曲の亜流ともいうべき曲が量産されたのだから。同曲は、次世代のR&Bサウンドの基本形を作ったと言っても過言ではない。

曲の要旨

ベイビー、今夜はぼくと愛し合おうよ。胸の奥がざわめいて、どうにもこうにも気分が優れないのさ。そんな時の特効薬は、君と生まれたままの姿でひとつになること。ぼくの身体はもうオーヴンみたいに火照っていて、今すぐ君と愛し合いたくてたまらないんだ。憂鬱な気分を晴らすためには、君と愛し合うしかないのさ。だから今夜、ぼくと愛し合おう。さぁ、起きて、ぼくと愛し合おうよ。

1982年の主な出来事

アメリカ: 第40代大統領のロナルド・レーガンによる経済政策(いわゆるReaganomics)が失敗に終わり、インフレが進み失業率が11パーセントに達する。
日本: 東京のホテルニュージャパンで火災が発生、死傷者が67人にのぼる大惨事に。
世界: 3月にフォークランド紛争が勃発(同年6月に終結)。

1982年の主なヒット曲

I Can’t Go For That/ダリル・ホール&ジョン・オーツ
Even The Nights Are Better/エア・サプライ
Keep The Fire Burnin’/REOスピードワゴン
Hold Me/フリートウッド・マック
Get Down On It/クール&ザ・ギャング

Sexual Healingのキーワード&フレーズ

(a) sexual healing
(b) make love
(c) do something right

これはマーヴィン・ゲイにとっての生前最後の大ヒット曲である。R&Bチャートでは10週間にもわたってNo.1の座を死守したものの、残念ながら全米チャートではNo.3止まり。それでも、彼にとっての生涯最初で最後のグラミー賞をもたらした。「これを受賞するのを20数年も待っていたんだ…」と、受賞スピーチで嬉しそうに語っていたマーヴィンの姿が今も脳裏から離れない。本連載第1回で採り上げた「What’s Going On」ですら、彼にグラミー賞をもたらすことはなかったのだから。

筆者の知人・友人の中には、この曲のタイトルを「Sexual FEELING」だと勘違いしていた人が少なくない。何故なら、1982年当時、“healing”という言葉が日本人の間ではまだ馴染みがなかったから。今なら「ヒーリング」というカタカナ語でも通じるのだが(しかし気味悪いカタカナ語である)、当時は“healing=癒し”という英語がそれほど浸透していなかった。(a)を日本語に訳すのは難しいが、例えばこんなのはどうだろう。「セックス治療」――ダメでしょうか。つまるところ、この曲は悶々とした気持ちを抑え切れない男性が愛する女性とのセックスによってその焦燥感が軽減される、と歌っているのである。筆者のある知人が「だからこの曲が嫌なんだよ」とハッキリと言い放ったものだ。

(b)は洋楽ナンバーに最も多く登場するイディオムのひとつであると同時に、非常に訳しにくい言い回しのひとつ。「セックスする」では即物的だし、「合体する」では野暮な感じが拭えない。筆者はこのイディオムに出くわすたびに「生まれたままの姿で愛し合う」、「身体を重ね合う」といった風に訳してきたのだが、そのたびに思うのは、“make love”に相当する日本語があればいいのになあ、ということである。ある知人が「“make love”を”抱く”としか訳せません」と言っていたが、何となくその気持ちが解らないでもない。

これまた日本語に訳しにくいのが(c)である。直訳すれば「~を正しくやる」だが、それだと無味乾燥な日本語になってしまう。この曲の場合、主人公の男性=マーヴィンが愛する女性に向かって言っているのだから、意訳するなら「君ならきっとぼくのイライラした気持ちを(セックスで)鎮めてくれるよ」といったところか。先述の「この曲が嫌いだ」と言い放った知人は、ここのフレーズが最も癇に障るそうである。それを聞いた時、つくづく男と女の“性”の違いを思い知らされた。筆者はそこのフレーズが最も好きだから。

今から32年前の秋にリリースされた曲が今なお新鮮に耳に響く。筆者にとって、今もこの曲はマーヴィンの“新曲”である。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、2012年まで翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「泉山式 翻訳力×英文法講座」)の講師を務めた。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツを担当した。その他、ジャンルを問わずポップス、ロックの訳詞も手がける。

Ain’t No Mountain High Enough(1967/全米No.19,全英No.80)/マーヴィン・ゲイ&タミー・テレル(1967-1969)

2014年 3月 26日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第118回

「Ain't No Mountain High Enough」収録アルバム

●歌詞はこちら
http://www.songlyrics.com/marvin-gaye-tammi-terrell/ain-t-no-mountain-high-enough-lyrics/

曲のエピソード

本連載第38回で採り上げたダイアナ・ロスの全米No.1ヒット「Ain’t No Mountain High Enough」のオリジナル・ヴァージョン。しかしながら、セリフ仕立てのカヴァーと男女のデュエット仕立てのこちらとはまるで別物に聞こえる。いずれも後に夫婦デュオとして成功したニコラス・アシュフォード(2011年に死去/享年70歳)&ヴァレリー・シンプソンの作/プロデュースによるものだが、いずれ劣らぬ素晴らしい出来映えである。

マーヴィン・ゲイは生前、4人の女性シンガー(メアリー・ウェルズ、キム・ウェストン、タミー・テレル、そしてダイアナ・ロス)とのデュエット・アルバムをリリースしているが、最も人気を博し、かつ長続きしたのがタミーとのそれだった。マーヴィン&タミー名義で最大のヒット曲は「Your Precious Love」(1967/R&BチャートNo.2,全米No.5)だが、両者にとっての記念すべき初ヒットはこの「Ain’t No Mountain High Enough」で、今でも人気が高い曲のひとつ。両者による初のアルバム『UNITED』(1967/R&Bアルバム・チャートNo.7,全米No.69)のオープニングを飾っており、筆者にとってはより印象深い1曲だ。

先述のアシュフォード&シンプソンもまた、自分たちのライヴでこの曲を持ち歌にしており、会場を沸かせていた。恐らく彼ら夫婦にとっても、思い出深い曲だったのだろう。

曲の要旨

どんなに山が高くても、どれほど谷底が深くても、たとえどんなに川幅が広くても、ふたりが会うための障害にはならない。私を必要とする時はどれほど遠くにいようとも私のことを呼んでね。そうしたら、すぐにあなたのもとに駆け付けるから。私が目指すゴールであるあなたのもとにたどり着くためには、どんなに厳しい自然災害もくぐり抜けてみせるわ。君が困難に見舞われてる時には急いでそばに駆け付けるよ。遠く離れていても、ふたりが互いを想う気持ちは薄れない。どんなに高い山も、どれほど深い谷底も、どんなに広い川も、ふたりの妨げにはならないから……。

1967年の主な出来事

アメリカ: デトロイトを始めとする数都市で大規模な黒人暴動が発生。
日本: 「オールナイトニッポン」の放送が開始され、ラジオの深夜放送の人気番組に。
世界: Association of Southeast Asian Nations(ASEAN/東南アジア諸国連合)成立。

1967年の主なヒット曲

Ruby Tuesday/ローリング・ストーンズ
Love Is Here And Now You’re Gone/シュープリームス
Happy Together/タートルズ
I Was Made To Love Her/スティーヴィー・ワンダー
All You Need Is Love/ビートルズ

Ain’t No Mountain High Enoughのキーワード&フレーズ

(a) make a vow
(b) a helping hand
(c) on the double

去る3月16日はタミー・テレルの命日だった。1970年に脳腫瘍のために死去。24歳という美しくも若い花を散らしてしまったのである。マーヴィンもこの世を去って今年で既に30年。歳月の流れの早さを実感せずにはいられない。筆者がタミーのことを知った時、彼女は既に鬼籍に入っており、ために、マーヴィンとのデュエットであれソロ・ナンバーであれ、彼女の歌声を耳にするたびにどうしてもセンチメンタルな気分になってしまう。ところがこの「Ain’t No Mountain High Enough」は、そんなおセンチな気分を吹き飛ばしてくれるような高揚感にあふれる曲なのだ。落ち込んだ時、あるいは人生に迷った時、どれほどこの曲に救われてきたことだろう。ラヴ・ソングではあるものの、歌詞のそこここに“困難には負けない”というメッセージが潜んでおり、それに励まされてきた。

マーヴィン&タミーは、R&B/ソウル・ミュージック界のみならず、アメリカのミュージック・シーンにおいて最も成功を収めた男女デュオのひとつだと言われている。ヒット曲の多さも然ることながら、阿吽の呼吸とも言えばいいのか、とにかく両者の歌声の混じり具合――実は中には別々にレコーディングされた“疑似デュエット”の曲もあるのだが――が絶妙なのだ。だから余計に、このコンビがわずか3年で終わってしまったことが返す返すも残念でならない。正直に言えば、筆者が初めて聴いたヴァージョンはダイアナ・ロスのセリフ仕立ての方だった。そちらも大好きで今も愛聴しているのだが、男女のデュエットによるこのオリジナル・ヴァージョンでは、互いの“掛け合い”が一番の聴きどころである。歌声が寄り添っていながら、歌詞にあるように、この男女が実は高くそびえる山や眼下に広がる谷底、目の前に流れる大河を挟んであたかも遠く離れているように聞こえるから。この臨場感が高揚感を呼ぶ一因になっていると思う。

この曲を初めて聴いたのは10代後半の時だが、筆者はこの歌詞から様々なイディオムや表現を教わった。特に印象深いものを3つ挙げてみたが、例えば(a)。これはみなさんの多くもご存じの通り「誓いを立てる」という意味のイディオムで、辞書の“vow”の項目に載っている。ところが、当時、手元にあったのはこの曲が収録されている『UNITED』の輸入盤LPだったため、歌詞カードが付いていなかった。そこで必死になって聞き取りを試みて、ようやく“make a vow”の過去形だということに気付いたのだった。

(b)もまた、この曲で初めて知った言葉のひとつ。若い頃は、何故に単数形なのかが不思議でならなかった。例えば、倒れそうな人を抱き起す際には、両手(両腕)を使うのではないか、と。しかしながら、これも必死になって聞き取りをしている最中に疑問が氷解した。辞書に“helping hand”が名詞として載っていたからである。曰く――

◆give [lend] a helping hand (手を貸す)

「どうして複数形じゃないんだろう?」と思案に暮れている最中は、辞書の“help”と“hand”のところを懸命に探していたような記憶があるが、言ってみればこれは決まり文句のひとつだろう。が、大勢の人々が力を合わせて誰かに「手を貸す」際の表現は、当然ながら複数形の“give [lend] helping hands”となる。やはりこれは、対象となる相手がひとり――この曲でいうなら愛する相手――ならではの単数形だと思う。

そして(c)。ここは意外とすんなりと聞き取ることができて、とっさに辞書の“double”の項目を引いたものだ。意味は「駆け足で、大急ぎで、今すぐに、直ちに」などなど。“at the double”でも同じ意味。そして(c)のイディオムを初めて教えてくれたのもまた、この曲だった。それ以前、筆者はこの表現を寡聞にして知らず、また、他の洋楽ナンバーでも耳にした記憶がなかった。では、何故にここでは(c)のイディオムが使われているのか……? それは、その前のフレーズにある“trouble”と押韻するために外ならない。恐らく、その押韻があったからこそ、(c)をすんなりと聞き取ることができたのではないだろうか。

この曲の歌詞を大仰だと捉える向きもあるかも知れない。が、ひとつ告白すると、筆者は今なお引きずっている3・11のトラウマに押しつぶされそうになる時、今でもこの曲を大音量で流す。そして自分を奮い立たせる。そしてあの日を境に、この曲の聴き方が一変した。音楽の力を改めて痛感させられる。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、2012年まで翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「泉山式 翻訳力×英文法講座」)の講師を務めた。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツを担当した。その他、ジャンルを問わずポップス、ロックの訳詞も手がける。

Eternal Flame(1988/全米、全英チャート共にNo.1)/バングルス(1981-)

2014年 3月 12日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第117回

「Eternal Flame」(USシングル盤)

●歌詞はこちら
http://www.songlyrics.com/the-bangles/eternal-flame-lyrics/

曲のエピソード

1980年にカリフォルニア州ロサンゼルスで結成された女性バンドのバングルスは、デビュー当初は鳴かず飛ばずだったものの、プリンス作の「Manic Monday」(1986年に全米No.2を記録する大ヒット)でいきなりブレイクした。そして遂に「Walk Like An Egyptian」(1986)で全米チャートを制覇するのである(4週間にわたって全米首位の座に君臨)。しかしながら、当時の世間での受け止められ方を反芻してみると、同曲はいわゆるコミック・ソング(英語でいうところのnovelty song)の範疇に属していたように思う。彼女たちが再び全米チャートの上位に返り咲くのは、サイモン&ガーファンクルのカヴァー「Hazy Shade of Winter(邦題:冬の散歩道)」をリリースした時である。同カヴァーは全米チャートでNo.2まで登り詰めた。

以降、「In Your Room」(全米No.5)という大ヒットを放ち、遂にはこの「Eternal Flame」で2回目の全米No.1ヒットを手中に収めるのだ。アルバム『EVERYTHING』(1988)からシングル・カットされ、大ヒットしたのは翌1989年のことだった。筆者の音楽仲間――とりわけ男性――には、バングルスの曲の中でこれが最も好き、という御仁が少なくない。歌詞もメロディも切なくて、同性が聴いても胸が締め付けられる。なお、日本では時代を反映してか、当時、CDシングルのみがリリースされた。

バングルスは1989年にいったん解散するものの、1999年から活動を再開しており、約10年の歳月を経て復活。ガールズ・バンドがただでさえ少ないのだから、彼女たちにはいつまでも活躍して欲しいものである。当然ながら、ライヴではこの曲を今でも演奏し続けていることであろう。

曲の要旨

瞳を閉じて。私の鼓動を感じてくれているの? あなたも私と同じ気持ちでいてくれているのかしら? それともこれはただの夢なの? 私のあなたへの思いは永遠なのかしら? あなたが私の名前を口にしてくれれば、雨が降っていてもそこに一筋の光が射し込むわ。そうすれば、胸の中のもやもやとした気分も晴れるのよ。あなたを思うこの気持ちを失いたくないの。どうかあなたを愛する気持ちが永遠でありますように。

1988年の主な出来事

アメリカ: 共和党候補のジョージ・ブッシュ(George Herbert Walker Bush/1924-)が大統領選で当選。
日本: 青函トンネルが開業する。
世界: イラン・イラク戦争が停戦。

1988年の主なヒット曲

The Way You Make Me Feel/マイケル・ジャクソン
Seasons Change/エクスポゼ
Wishing Well/テレンス・トレント・ダービー
One More Try/ジョージ・マイケル
Roll With It/スティーヴ・ウィンウッド

Eternal Flameのキーワード&フレーズ

(a) Do you feel the same
(b) an eternal flame
(c) say one’s name

それにしてもガールズ・バンドが少ない。筆者が高校時代の時にバンドをやっていたクラスメイトがいたのだが、キーボード担当の彼女はバンドの“紅一点”であり、他の楽器は全て他校の男子生徒が担っていた。彼女に請われてライヴを観に行ったことがあるのだが、出演バンドのほとんどが男子生徒の構成によるもので、結局のところ、ステージに立った女性は筆者のクラスメイトだけだったのである。彼女はエレクトーン教室に通っており、後に音大に進んだのだが、バンドでの扱いは“マスコット(死語?)”のようなものだった。恐らく本人も不本意だっただろう。

そうした経験があるからか、ガールズ・バンドの活躍は無条件に嬉しい。バングルスが10年の歳月を経て復活したと知った時にわけもなく嬉しくなったのには、そうした体験があるからだ。また、ガールズ・バンドを無条件に応援したくなるのも、恐らく高校時代のクラスメイトがバンドの紅一点だったからだろう、と自分なりに分析している。

「Walk Like An Egiptian」が全米No.1の座を射止めた時、遂にバングルスもやったか、と思ったと同時に、同曲を最後に下降線の一途を辿らなければいいが……と危惧したことが今も忘れられない。が、彼女たちは実力派としてミュージック・シーンにこの曲と共に戻ってきてくれた。PVの幻想的な映像も未だに忘れ難い。

(a)は洋楽のラヴ・ソングに頻出する言い回しで、言い換えるなら次のようになるだろうか。

♪Do you love me like I do?

「あなたも私と同じ気持ちでいてくれる?」の「同じ気持ち」とは、相手を愛している気持ちに外ならないから。その後に「私は夢を見ているだけなの?=私の思い込みなの?」と続くことから、この曲の主人公の女性は相手が自分を愛しているかどうか、ということに自信を持てないでいる。何とも切ないフレーズだ。

タイトルにもなっている(b)は、「いつまでも消えない炎」すなわち「永遠の愛」であろう。筆者は常々この世に「永遠」など存在しないと思っているのだが、異性/同性に限らず、相手を想う気持ちが生涯ずっと続く、ということはあると思う。日本語でも「恋の炎」などという言い方をするが、メラメラと燃え上がる炎が恋愛に相通ずるのは洋の東西を問わず同じものらしい。英語と日本語には、こうした似通った言い回しが少なくなく、それを発見するたびに嬉しくなってしまう。

(c)もまた、洋楽ナンバーのラヴ・ソングに頻繁にみられるフレーズだが、直訳すると無粋な言い回しになってしまう。「私(僕)の名前を口にして」というのが何故に相手の気持ちを確認する術[すべ]になるのか、というのが、東洋人には今ひとつ解りにくい。これと似たような表現に、次のようなフレーズがある。

♪Call my name.

筆者なりに分析すると、愛する相手が自分の名前を口にしてくれるのは、自分を想ってくれている証左のひとつではないか、と。例えば別れや不倫の曲で、眠っている間に相手が自分以外の異性の名前を口にして浮気を察知する、という内容の歌詞がしばし見受けられるが、西洋では相手の名前を口にする=その相手を想っている、という概念があるのだと感じさせられる。(c)を愛する相手に求めるこの曲の主人公は、恐らくその行為によって相手の気持ちを確かめたいのではないだろうか。切ない女心の顕れである。

思うに、バングルスはこの曲によって大人の女性バンドへと変身を遂げた気がする。アダルト・コンテンポラリー・チャートでも2週間にわたってNo.1の座に就き、その人気の座を揺るぎないものにした。筆者にとっては、彼女たちの楽曲の中でもピカイチである。今なお色褪せない珠玉のラヴ・ソングだ。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、2012年まで翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「泉山式 翻訳力×英文法講座」)の講師を務めた。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツを担当した。その他、ジャンルを問わずポップス、ロックの訳詞も手がける。

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