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『日本国語大辞典』をよむ―第18回 ガトフフセグダア

2017年 10月 8日 日曜日 筆者: 今野 真二

第18回 ガトフフセグダア

 タイトル「ガトフフセグダア」が何のことかおわかりになるでしょうか。筆者は『日本国語大辞典』をよんでいて、このことばにであった。

あごつかい【顎使】〔名〕高慢、横柄な態度で人を使うこと。あごさしず。*ガトフ・フセグダア〔1928〕〈岩藤雪夫〉二「気弱で温純だといふ点からメーツ等に寵愛されてナンバンにまで成り上った彼には下の人間をすら余り頤使(アゴヅカ)ひ能(でき)る勇気の持合せがなかった」

 『日本国語大辞典』のオンライン版で検索してみると、『日本国語大辞典』全体では、この岩藤雪夫「ガトフフセグダア」が221回、使用例としてあげられていることがわかる。今回の「『日本国語大辞典』をよむ」の「よむ」には使用例をよむということは含めないと最初に述べたが、それは「必ずよむ」ことにはしないということであって、当然使用例をよむこともあるし、「出典」をみることもある。最初は気にならなかったが、何度か目にするうちに、この「ガトフフセグダア」が気になってきた。作品名であることはわかるが、不思議な作品名である。

 そこで、グーグルで検索をしてみると、なんと3件しかヒットしない。古本サイトなども使って、この作品が「現代日本文学全集86」『昭和小説集(一)』(1957年、筑摩書房)と「日本現代文学全集69」『プロレタリア文学集』(1969年、講談社)に収められていることがわかり、その両方を注文して、購入した。

 「ガトフフセグダア」は作品の中に次のようにでてくる。

「やい山。」と彼は一寸踊を止めて私を眺めた。「ガトフ・フセグダアてことを知つてるかい?」

「何、ガトフヽヽヽガトフヽヽヽ何だいそれは、まさか火星の言葉でもあるまいし。」

「ロシア語だよ、俺がサガレンの漁場にゐる時に教はつたんだ。ね君は知つてるかい、レニンて怪物を。」と彼は節くぶしに毛の密生した右手の親指を突き出して言葉の調子を改めた。

「レニン、知つてるさ、それあ……」

「さうさ、知つてるだらう、吾々の恩人レニン。な、彼が云つたんださうだ。『ガトフ・フセグダア』つてね。上(うは)つ面(つら)は何んな間抜面をしてゐてもいい。然しいいか、『ガトフ・フセグダア』だ。『常に用意せよ。』ていふんだ。ね解つたかい。此船で君となら先づ話が出来さうだ。解つたかい、解つたらお終ひと、こらさつと。」

そして彼は又踊つた。(昭和小説集(一)132ページ)

 「ガトフフセグダア」はロシア語で「常に用意せよ」という意味だった。このことについて、インディペンデント・キュレーターとして、国内外の美術館・ギャラリー・企業の依頼で、展覧会の企画などを行い、翻訳もしている高等学校時の同級生にたずねてみた。すると、「ピオネール」という、ボーイスカウトに倣ったソ連の少年団のスローガンが、ボーイスカウトの「Be prepared(備えよ常に)」に倣った「フシェグダー・ガトーフ(何時でも準備よし!)」であることを教えてくれた。「ピオネール」のシンボルマークに、レーニンの横顔とこのスローガンが書かれていることも、ネットの検索でわかった。

 さて、作者の岩藤雪夫は明治35(1902)年生まれで、平成元(1989)年に没している。他の作品も読んでみたくなったので、日本プロレタリア傑作選集の1冊となっている『血』(1930年、日本評論社)、新鋭文学叢書の1冊となっている『屍の海』(1930年、改造社)も入手した。後者の表紙見返しページには「労働者を友とせよ 鷲目原」という書き込みがされ、それに赤鉛筆で×をして「中村廣二」と書かれている。奥付の前のページには赤鉛筆で「示威運動」、ペンで「爆発」と書かれていて、こうした本が出版されていた時期の「熱」のようなものを感じる。

 『日本国語大辞典』を丁寧によんでいくと、自分が知らない「出典」が数多くあげられている。それは古典文学作品でもそうだ。「知らない」ということはこれまであまり接点がなかったということであり、それは自身の限定された興味に起因するということもあるだろう。そうした自身の「偏り」を知り、修正する機会を与えてもくれる。「これはおもしろそうだな」と思った作品をよんでみる、というようなことも『日本国語大辞典』をよむ楽しさの1つであろう。

 筆者が岩藤雪夫の作品を少し読んでみようと思ったのは「プロレタリア文学」というくくりに、ちょっと「反応」したからだ。中学校や高等学校の、おそらく文学史で聞いたことばだろうと思うが、「プロレタリア文学」といえば、小林多喜二の『蟹工船』、あとは徳永直の『太陽のない街』だろうか。黒島伝治の名前もそういう中で知ったように思う。しかし、実際にこれらの作品を読んだかというと、そうでもないことに今回気づいた。「プロレタリア文学」とくくられる文学作品が文学史に足跡を刻んでいることはたしかなことであろうが、それを「今、ここ」のものとしてとらえることはほとんどないだろう。そういうことを考えさせられた。

 入手した『血』におさめられている『ガトフ・フセグダア』の冒頭(6行目)には次のようにある。

エンヂン場(ば)は夕暮(ゆふぐれ)の牢獄程(らうごくほど)に暗(くら)かつた。「持出(もちだ)しワッチ」に当(あた)つた私達(わたしたち)フィアマンは赤鬼(あかおに)みたいにスライスバアやスコップを振(ふ)り廻(まは)して圧力計(プレシユアゲージ)と睨(にら)めつこをしてゐた。

 『日本国語大辞典』は上にみられる「フィアマン」や「プレシユアゲージ」も見出しとはなっていない。見出し「ファイアマン」の語釈中に「フィアマン」があり、「プレッシャーゲージ」を見出しとしている。ただし、使用例としては、上の箇所をあげているので、語形としては小異とみているのだろう。その一方で、「エンジンバ(エンジン場)」や「モチダシワッチ(持出しワッチ)」、「スライスバア」は見出しとしていない。外来語を見出しにするのには限界があるだろうから、それは当然のこととして、筆者としては、「エンジンバ(エンジン場)」のような複合語は、できるだけ見出しになっているといいと思う。この場合は「エンジン」に和語「バ(場)」が複合した複合語であるので、「バ」がそうした造語力をもっていたことを窺わせる語の例ということになる。どうしても、そのような「日本語の歴史」を思い浮かべながら『日本国語大辞典』をよんでしまうが、あれこれと想像しながらよむのはやはり楽しい。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。

『日本国語大辞典』をよむ―第17回 できないこと

2017年 9月 24日 日曜日 筆者: 今野 真二

第17回 できないこと

 『日本国語大辞典』は慣用句・ことわざの類も豊富に載せている。見出し「やきぐり(焼栗)」の後ろには次のようにある。

やきぐりが芽(め)を出(だ)す 不可能なことのたとえ。また、不可能であるとされていたことが、不思議な力によって実現することをいう。枯木に花咲く。

 使用例として、「浮世草子・諸道聴耳世間猿(筆者注:しょどうききみみせけんざる)〔1766〕」があげられているので、江戸時代には使われていたことがわかる。「枯木に花咲く」は見出し「かれき(枯木)」の後ろに載せられている。「枯れ木に花を咲かせましょう」というと、「花咲爺(花咲かじいさん)」を思わせる。

かれきに花(はな)咲(さ)く (1)衰えはてたものが再び栄える時を迎えることのたとえ。こぼくに花咲く。枯れたる木にも花咲く。(2)望んでも不可能なことのたとえ。転じて、本来、不可能と思われることが不思議の力によって実現することのたとえにいう。枯れたる木にも花咲く。(以下略)

 他にも「不可能なこと」を表現する慣用句はかなりある。どうやってその「不可能」を表現するかがおもしろい。

あごで背中(せなか)搔(か)くよう 不可能なことにいう。

あざぶの祭(まつり)を本所(ほんじょ)で見(み)る 麻布権現の祭礼を本所(東京都台東区)から見るの意で、不可能なことのたとえ。

あひるの木登(きのぼり) あり得ないこと、不可能なことのたとえ。

あみのめに風(かぜ)=たまる[=とまる] (1)ありえないこと、不可能なこと、かいのないことのたとえにいう。(2)わずかばかりでも効果が期待できることの意にいう。

いしうすを箸(はし)にさす (石臼を箸で突き刺すのは不可能なことから)無理なことをいうことのたとえ。だだをこねる。

おおうみを手(て)で堰(せ)く しようとしても不可能なこと、人力ではどうしようもないことにいう。大川を手で堰く。

おととい=来(こ)い[=お出(い)で] もう二度と来るな。不可能なことをいって、いやな虫を捨てたり、人をののしり追い返すときにいう。「おとといおじゃれ」「おとといござい」「おとといごんせ」などとも。おとつい来い。

かの睫(まつげ)に巣(す)をくう (略)きわめて微小なこと。また不可能なことのたとえ。

かかとで巾着(きんちゃく)を切(き)る かかとを使って巾着をすり取る意。不可能なことのたとえ。

かわむかいの立聞(たちぎき) (大きな川の向こう側で話している内容を、こちら側で立ち聞きしても聞こえるはずがないところから)とうてい不可能でむだなことのたとえ。

こうがの水(みず)の澄(す)むのを待(ま)つ 濁った大河の水がきれいになるのを待つ。気の長いことや不可能なことのたとえ。百年河清(かせい)を俟(ま)つ。

こおりを叩(たた)いて火(ひ)を求(もと)む 方法を誤っては、事の成就の困難なこと。また、不可能なことを望むことのたとえ。木に縁(よ)りて魚を求む。

さおだけで星(ほし)を打(う)つ 竹竿で星を払い落とす。不可能な事をする愚かさ、また、思う所に届かないもどかしさをたとえていう。竿で星かつ。竿で星。

しゃくしで腹(はら)を切(き)る できるはずのないことをする。不可能なことをする。また、形式だけのことをすることのたとえ。
 たまごの殻(から)で海(うみ)を渡(わた)る 非常に危険なこと、また、不可能なことのたとえ。

つなぎうまに鞭(むち)を打(う)つ (つないだ馬に鞭を打って走らせようとしても不可能であるところから)しても、むだであること、するのがむりだということのたとえにいう。

はたけに蛤(はまぐり) 畑で蛤を得ることはできない。全く見当違いなこと、また、不可能なことを望むことなどのたとえ。木によって魚を求む。

みずにて物(もの)を焼(や)く  不可能なこと。ありえないことのたとえ。

 「おとといおいで」は子供の頃に耳にして、どういう意味だろう、と思ったものだ。「おとといには来られないじゃないか」と。まあその理解でよかったわけですね。

 「かの睫(まつげ)に巣(す)をくう」の「(略)」としたところには、中国の道家の書物である『列子(れつし)』の、「焦螟」という虫が群れ飛んで蚊の睫に集まるという記事が紹介されている。こうしたことが、日本の室町時代頃に成立した易林本『節用集』(1597)にちゃんととりこまれているのですね。易林本では、この虫は「ショウメイ(蟭螟)」という名前になっている。こういうことも『日本国語大辞典』をよみ、使用例を丁寧にみることによってわかる。やはり『日本国語大辞典』をよむことはおもしろい。

 「こうが(黄河)」は改めていうまでもなく、中国の華北を流れる大河の名前で、固有名詞だ。川の水が黄土を大量に含んでいるため、黄色く濁っているところからそう名づけられているわけだが、つまり濁った川である。それが澄むのを待っても永久にそんなことはない、ということだ。

 「しゃくし(杓子)」は現在では「杓子定規(しゃくしじょうぎ)」という場合には使うが、一般的には「しゃもじ」だろう。『日本国語大辞典』の見出し「しゃもじ(杓文字)」には「(1)(「しゃくし(杓子)」の後半を略し「文字」を添えた女房詞が一般化したもの)汁や飯などをすくう道具。めしじゃくし。いいがい」とある。しゃくし=しゃもじは身近な道具だけに、「しゃくし」を含む慣用句は「しゃくしで芋を盛る」=「道具をとりちがえて事を行ない失敗する。あわてて事を行なう様子をいう」や「しゃくしは耳搔にならず」=「大きい物が、必ずしも小さい物の代用になるとは限らないことのたとえ」などいろいろある。

 それにしても、いろいろな「不可能」表現があるものだ。「雪中のカブトムシ」なんてどうでしょう? そんなことを考えるのも楽しいかもしれません。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
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『日本国語大辞典』をよむ―第16回 走れメロスとメロドラマ

2017年 9月 10日 日曜日 筆者: 今野 真二

第16回 走れメロスとメロドラマ

 太宰治『走れメロス』は雑誌『新潮』の1940年5月号に発表され、同じ年の6月15日に刊行された単行本『女の決闘』(河出書房)に収められている。現在では、中学校の国語教科書に載せられているので、よく知られている作品といってよいだろう。

 作品は次のように終わる。

ひとりの少女が、緋のマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。

「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」

勇者は、ひどく赤面した。

 教科書に載せられている作品にしては、なかなかしゃれた感じの終わり方だなと思ったような記憶がかすかにある。しかし、この後に「(古伝説と、シルレルの詩から)」と記されていることはすっかり忘れてしまっていた。「シルレル」はもちろん、ドイツの詩人、劇作家として知られている、フリードリヒ・フォン・シラー(1759~1805)のことである。ベートーヴェンの交響曲第九番「合唱付き」の原詞の作者といえばよいだろうか。メロスを「村の牧人」としたのは、太宰治の設定であることも指摘されている。さて、このメロスがどこで『日本国語大辞典』につながるのかというと、次のような見出しがあったからだ。

メロス〔名〕({ギリシア}melos)旋律。特に音の旋律的な上下の動きをさす。

 この見出しをみて、「走れメロス」の「メロス」は〈旋律〉という語義をもつギリシャ語だったのか! と思ってしまった。ところが調べてみると、話はそう単純ではなかった。「メロス」はシラーの綴りに従えば、「Meros」となるはずであるとの指摘がある。しかるに、「走れメロス」のヨーロッパ諸語での訳においては「メロス」が「melos」と綴られているという。なぜ、ヨーロッパ諸語の翻訳者が「melos」と綴ったのかはもちろんわからないが、そのことによって、「走れメロス」と「旋律、歌」とにかすかながらにしても、つながりが生じていることはおもしろい。ただし、そのことは太宰治とは無関係であるのだが。

 「メロス」の次にあった外来語は「メロディアス」で、「メロディー」「メロディック」と続いて、「メロドラマ」があった。

メロドラマ〔名〕({英}melodrama ギリシア語のメロスとドラマの結合した語)(1)演劇形式の一つ。誇張された情況設定やせりふをもつ通俗的な演劇。ヨーロッパで、中世から近世に行なわれ、せりふの合間に音楽を伴奏した娯楽劇。(2)恋愛をテーマとした感傷的なドラマや映画。

 小型の国語辞典は「メロドラマ」をどのように説明しているかあげてみよう。

大衆的、通俗的な恋愛劇。▽melodrama(岩波国語辞典第7版新版、2011年)

〈melodrama〉(映画やテレビ番組などで)通俗的で感傷的な恋愛劇。(集英社国語辞典第3版、2012年)

[melodrama]〘名〙恋愛を中心とした感傷的・通俗的な演劇・映画・テレビドラマなど。▽メロス(=旋律)とドラマを結びつけた語。元来は一八世紀後半のフランス・ドイツなどで発達した音楽入りの大衆演劇。(明鏡国語辞典第2版、2010年)

〔melodrama〕㊀歌の音楽をふんだんに使った、興味本位の通俗劇。㊁愛し合いながら なかなか結ばれない男女の姿を感傷的に描いた通俗ドラマ。(新明解国語辞典第7版、2012年)

〔melodrama〕映画・演劇・テレビなどの、通俗(ツウゾク)的な恋愛(レンアイ)劇。(三省堂国語辞典第7版、2014年)

〈melodrama〉[名] 通俗的で感傷的な劇。(新選国語辞典第9版、2011年、小学館)

 「メロドラマ」の「メロ」は「メロメロ」と関係があるとはさすがに思っていなかったが、ギリシャ語「メロス」だったとは知らなかった。「メロス」とのかかわりにふれているのは、上にあげた辞書の中では『明鏡』のみ。「通俗的」「恋愛(劇)」「感傷的」が、「メロドラマ」を説明するキー・ワードであることがわかる。こうした語釈を並べてみると、『新明解国語辞典』の㊁は目立つ。「なかなか結ばれない」は辞書の語釈としては、限定的過ぎると感じるがみなさんはいかがでしょうか。では最後にもう1つ。

メセナ〔名〕({フランス}mécénat)文化・芸術などを庇護・支援すること。特に、企業などが見返りを求めずに資金を提供する文化擁護活動をいう。紀元前一世紀のローマの将軍、ガイウス=マエケナス(Maecenas)が、隠退後、ホラティウス、ウェルギリウスなどの芸術家を庇護したところから、その将軍の名にちなむ。

 日本では1988年の「日仏文化サミット」をきっかけとしてひろがりをもつようになったとのことで、1990年代にはしきりにこの「メセナ」という語が使われていたことを記憶している。『朝日新聞』の記事データベース「聞蔵Ⅱビジュアル」に「メセナ」で検索をかけてみると、やはり1988年の「日仏文化サミット」の記事がもっとも古い例としてヒットする。ごく小型の仏和辞典で調べてみても、「mécénat」は見出しになっており、そこには「学問芸術の擁護」というような説明がある。フランスでは、これが将軍の名前であることはわかっているのだろう。

 それにしても、最近は新聞などを読んでいても、この「メセナ」という語にであうことがめっきり少なくなったように思う。こういう時だからこそ、学問芸術を擁護してもらいたいと思う。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。

『日本国語大辞典』をよむ―第15回 外来語今昔

2017年 8月 27日 日曜日 筆者: 今野 真二

第15回 外来語今昔

 『日本国語大辞典』をよんでいるとさまざまな外国語、外来語が見出しとなっていることに気づく。

アボストロン〔名〕(語源未詳)江戸時代に用いられた吸い出し膏薬の一つ。アボス。

 『日本国語大辞典』第1巻の冒頭に置かれている「凡例」「見出しについて」には、「和語・漢語はひらがなで示し、外来語はかたかなで示す」とあるので、この「アボストロン」は外来語とみなされていることがわかる。しかし「語源未詳」とあるので、どんな外国語に基づく語であるかはわかっていないということだ。

 「吸い出し膏薬」がすでにわかりにくい語かもしれないので、『日本国語大辞典』を調べてみると、「腫物(はれもの)・でき物の膿(うみ)を吸い出すためにはる膏薬。吸膏薬。すいだし」とある。

 「アボストロン」の使用例には「浄瑠璃・御所桜堀川夜討〔1737〕」と「譬喩尽〔1786〕」があげられているので、江戸時代には確実に使われていた語であることがわかる。『譬喩尽(たとえづくし)』は松葉軒東井(川瀬源之進久寛)がことわざや慣用句の類を集めていろは分けに編集したもので、8巻8冊の書である。18世紀後半の言語文化の格好の資料としてよく使われている。この『譬喩尽』に「阿慕寸登呂牟(原本振仮名:あぼすとろむ) 蛮語也」とあるので、異国の言語という認識はあったことがわかる。この「アボストロン」の省略語形と思われる「アボス」も『日本国語大辞典』には見出しとなっている。その使用例として「語彙〔1871~84〕」があげられている。『語彙』巻3には「あぼす [俗] 吸出膏薬(原本振仮名:スヒダシカウヤク)の/名なり」とある。そしてこの『語彙』の記事が(おそらくは)『言海』に受け継がれる。『言海』には「アボス(名)〔蘭語ナルベシ〕吸出シノ膏薬ノ名」とあって、大槻文彦はオランダ語由来の語という「見当」だったことがわかる。『言海』は「アボストロン」は見出しとしていない。改めて調べてみるまでもないように思うが、例えば、「新語に強い」ことを謳っている『三省堂国語辞典』第7版は「アボストロン」も「アボス」も見出しにしていない。

 『日本国語大辞典』の「アボス」から「アボストロン」までの間には、「アポステリオリ」「アポストロ」「アポストロフ」「アポストロフィー」という4つの見出しがある。いずれも片仮名で書かれているので、外来語ということになる。「アポストロ」は「キリシタン用語。キリストが布教のために特に選抜した一二人の直弟子。使徒」と説明されており、これも16世紀末から17世紀初めにかけて使われた外来語ということになる。さて、『三省堂国語辞典』第7版は、というと、同じ範囲に外来語としては「アポストロフィー」しか見出しになっていない。意外に思ったのは、「アポステリオリ」が見出しとなっていないことだ。『日本国語大辞典』は「アポステリオリ」の語義を「(1)スコラ哲学で、認識の順序が結果から原因へ、帰結から原理へさかのぼるさま。帰納的。↔ア-プリオリ」「(2)カントの認識論で、経験から得られたものをさす。後天的。↔ア-プリオリ」と説明している。「ア-プリオリ」は「先天的」だ。『三省堂国語辞典』第7版は「アプリオリ」には「社会常識語」の符号を付け見出しにし、「対義語」として「アポステリオリ」を示すが、「アポステリオリ」を見出しにしない。一貫性という点でどうなのだろうか。

アリモニー〔名〕({アメリカ}alimony)俗に、離婚・別居手当てをいう。手切れ金。

アリモニーハンター〔名〕({アメリカ}alimony hunter)手切れ金を目的に、裕福な男性と結婚しては離婚し、次から次へと男を漁る女性。

 なんか、そんなような事件が日本でもあったような気がしますが、「アリモニー」の使用例には「モダン辞典〔1930〕」が、「アリモニーハンター」の使用例には「改訂増補や、此は便利だ〔1918〕」があげられている。ちょっとわかりにくいかもしれないが、『や、此は便利だ』というタイトルの本があって、その改訂増補版だということだ。

 あげられている使用例からすれば、1918年から1930年頃には使われていた、もしくはそういう語があるということが認識されていたと思われるが、筆者はこの語を耳にしたことがおそらくない。もしもこれらの語が1960年頃にはすでに使われなくなっていたとしたら、50年ほどの「命」だったことになる。こういう「短命」の外来語があることは推測できる。

 『日本国語大辞典』は1972年から1976年にかけてその初版20巻が刊行された。筆者が大学生の頃に使っていたのは、この初版だ。1979年には、縮刷版10巻が刊行された。筆者はこの縮刷版を購入して使っていた。それぞれを「初版」「縮刷版」と呼ぶことにする。

 初版と、今よんでいる第2版とでは、当然のことながらさまざまな違いがある。初版が完結した1976年から、第2版が完結した2002年までの間は27年間もある。日本の社会もずいぶん変化した。当然日々使われる日本語も大きく変化している。外来語の使用には、そうした変化がはっきりと現れる。

 初版に「インターネット」という見出しがないのは「当然だ」と思うだろう。

インターネット〔名〕({英}internet)複数のコンピュータネットワークを公衆回線または専用回線を利用して相互に接続するためのネットワーク。また、それらすべての集合体。当初はアメリカで軍事目的に構築されたが、次第に大学や研究機関でも利用されるようになった。一九九〇年代に入ると地球規模で急激に普及し、一般企業や個人レベルでの情報の受発信に広く使われる国際的なネットワークに発展している。

 この見出しでは語義というよりも、解説にちかい。ちょっと熱を帯びているように感じるのは筆者の気のせいかもしれない。さて、『日本国語大辞典』第2版には見出し「インターン」がある。これをよんで、次は「インターンシップ」かな、と思ったら、「インターンシップ」は見出しになっていなかった。

 江戸時代に使われていた外来語、明治期に使われていた外来語、大正末期から昭和初期にかけての短い時期に使われていた外来語、初版では見出しになっていない外来語、第2版も見出しにしていない外来語など、外来語の変遷も、『日本国語大辞典』をよむと実感することができる。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。

『日本国語大辞典』をよむ―第14回 レストランお江戸のメニュー

2017年 8月 13日 日曜日 筆者: 今野 真二

第14回 レストランお江戸のメニュー

 『日本国語大辞典』をよんでいくと、さまざまな食べ物や料理が見出しとなっており、こんな料理がかつてはあったのか、と驚く。使用例が載せられていないために、いつ頃の時代の料理か確認できないものもあるが、だいたいは江戸時代にあった料理であると思われるので、「レストランお江戸のメニュー」という題にした。

アチャラづけ【阿茶羅漬】〔名〕《アジャラづけ》漬物の一種。蓮根、大根、カブなどや果実などを細かく刻み、トウガラシを加え、酢と砂糖で漬けたもの。近世初期にポルトガル人によってもたらされたものか。

 「方言」の欄を見ると、「(1)刻んだ野菜を三杯酢に漬けた食品」で、滋賀県蒲生郡では干し大根と昆布で、福岡市では瓜と茄子とで作ったものをいうことがわかる。「アチャラづけ」は和風のピクルスのようなものと思えばよさそうだ。アチャラは外国語を思わせる。調べて見ると『日本大百科全書』(小学館)は「「あちゃら」とは外国の意味とも、またポルトガル語のachar(野菜、果物の漬物)に由来するともいわれる」と記し、『大辞泉』(1995年、小学館)は見出し「アチャラづけ」の語釈に「《(ポルトガル) acharは野菜・果物の漬物の意》」と記している。

あつめじる【集汁】〔名〕野菜、干し魚などをいろいろ入れて煮込んだみそ汁。または、すまし汁。五月五日に用いると邪気をはらうといわれる。あつめ。

 井原西鶴の「浮世草子・世間胸算用〔1692〕」が使用例としてあげられているので、江戸時代に食されていたことがわかる。「みそ汁。または、すまし汁」と説明されているが、味噌汁とすまし汁とではだいぶ違うようにも思うが、具がポイントということでしょうか。5月5日に作ってみてはいかが? 

あなごなんばん【穴子南蛮】〔名〕かけそばの一種。アナゴの蒲焼(かばやき)と裂葱(さきねぎ)とをそばの上にのせ、汁をかけたもの。近世から明治の初め頃の料理。

かけそば【掛蕎麦】〔名〕そばをどんぶりに入れ、熱い汁をかけたもの。ぶっかけそば。かけ。

 「あなごなんばん」の語釈で「かけそば」が気になる方がいるだろうと思って見出し「かけそば」も並べておきました。例えば、『三省堂国語辞典』第7版(2014年)は「かけそば」を「熱い しるをかけただけの そば。かけ」と説明し、対義語として「もりそば」を示している。見出し「もりそば」の語釈には「①せいろうに もった そば。しるに つけて食べる。もり」とある。もりそばを起点とすれば、もりそばが熱い汁に入っているものがかけそば、ということになるが、筆者の認識もそれだ。

 『日本国語大辞典』の「かけそば」の語釈は少し異なっているようにみえる。つまり「熱い汁をかけた」から「かけそば」ということだ。そばだけかどうかはポイントではない。結果としてそばだけということもあるが、何か具が入っていてもよい、ということだろう。さて、それでアナゴとネギとが入っているのが「あなごなんばん」であるが、現在は「かもなんばん」があるので、それのアナゴ版と理解すればよいのだろう。

 ここからはもう少し「えっ?」という料理を紹介しよう。

あゆどうふ【鮎豆腐】〔名〕おろした鮎をうらごし豆腐ではさみ、板につけて蒸した料理。椀盛(わんも)りの実に用いる。また、うらごし豆腐に魚のすり身をまぜ、だし汁、卵、くず粉を加え、みりん、しょうゆ、塩で味つけしてすりまぜ、おろしてみりん、しょうゆにつけこんだ鮎を並べて蒸した料理。一尾ずつ切り分け、汁をかけて供する。鮎寄(あゆよせ)。

 現代では鮎といえば、塩焼きがほとんどのように思うが、鮎と豆腐とをいっしょに食べるというのが、意外な感じがする。この見出しには使用例が載せられていない。

あられたまご【霰卵】〔名〕料理の一種。煮立っている湯の中に割った卵を入れてかき回し、大小さまざまな形としたもの。形があられに似ているところからいう。料理の添え物の一つとして用いられる。

あわびうちがい【鮑打貝】〔名〕アワビ料理の一種。大きなアワビの肉のふちの堅い部分を切り取り、残りの肉をシノダケでたたき、これを酒で煮たもの。

あわびのぶすま【鮑野衾】〔名〕料理の一つ。タイの作り身を霜降りにしたものと、小鳥のたたき肉を団子にしてゆでたものとを、アワビの肉の薄片をすまし汁で煮たもので包むようにして、椀に盛ったもの。

いかの黒煮(くろに) 料理の一つ。イカを細かく切って湯がき、しょうゆと酒少量とに、イカの墨を加えて煮込み、山椒(さんしょう)の若芽をたたいて合わせたもの。

 いかの黒煮は作れそうですね。さて最後に強烈なのを1つ。

めすりなます【目擦膾】〔名〕(「めすり」は、蛙は目をこするという俗説による)蛙を熱湯に入れてゆで、皮をむき、芥子酢(からしず)であえる料理。めこすりなます。

 なんと。カエルの料理です。日本でもカエルを食べていたのですね。この見出しには使用例もあげられていて、「俳諧・俳諧一葉集〔1827〕」に「蛙子は目すり鱠を啼音哉」とあることがわかります。料理の強烈さに、俳諧の句もかすみ気味かもしれません。『日本国語大辞典』をよむと、江戸時代にどんな料理が食されていたか、あれこれと想像することができます。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
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『日本国語大辞典』をよむ―第13回 懐かしいことば

2017年 7月 30日 日曜日 筆者: 今野 真二

第13回 懐かしいことば

 『日本国語大辞典』をずっとよんでいくと、懐かしいことばに出会うことがある。

もっこう【目耕】〔名〕読書することを田を耕すことにたとえていった語。

 中国、明の王世貞が、5世紀半ば頃に成立した『世説新語(せせつしんご)』に、唐や宋の記事を加えて改編した『世説新語補』の使用例があげられているので、中国でも使われた語であることがわかる。ちなみにいえば『世説新語補』は江戸時代によく読まれていたと思われる。

 筆者は鎌倉に生まれた。鎌倉といっても、JRの駅でいえば、北鎌倉で、幼稚園は円覚寺の中にある円覚寺幼稚園に通っていた。その北鎌倉で唯一の本屋さんが「目耕堂」だった。なにしろ北鎌倉唯一だから、本といえば何でもそこで買っていた。亡父が毎月講読していた雑誌や筆者が買ってもらっていた子供用の雑誌は配達してもらっていた。それゆえ、「モッコウドウ」という名前はすぐに覚えたし、包装紙には「目耕堂」と印刷してあったので、ある時期からは漢字もわかっていた。しかし、「目耕堂」の「目耕」がどういう語義をもった語であるかは考えたことがなかった。なかなかしゃれたネーミングであったことが上の見出しをよんで初めてわかった。ちょっと感慨深い。

 そういえば筆者が子供の頃、クリスマスなどには少したくさん本を買ってもらうことがあった。そんな時には「おでかけ」をして横浜(伊勢佐木町)の「有隣堂」に行った。そこで数冊本を買ってもらい、地下の食堂で食事をして帰るのが「おでかけ」の決まりのコースであった。「有隣」は『論語』里仁編第4 25章の「徳不孤 必有隣」(徳は孤ならず、必ず隣有り)に由来しているのだということは、漢文で『論語』を習った時に、気づいた。こういうネーミングは少なくなっているように思う。

かわりばん【代番・替番】〔名〕(1)互いにかわりあって事をすること。交替でつとめること。順番。かわりばんこ。かわりばんて。かわりばんつ。(2)交替で当たる番。また、それに当たっていること。

かわりばんこ【代番―】〔名〕(「こ」は接尾語)「かわりばん(代番)(1)」に同じ。

かわりばんつ【代番―】〔名〕「かわりばん(代番)(1)」に同じ。

 「カワリバンコ」は現代でもひろく使う語であると思われるが、筆者は子供の頃に「カワリバンツ」を聞き、かわった語形だと思った記憶がある。いつ頃聞いたか定かではないが、小学校高学年だったような気がしている。筆者がかわった語形だと思ったのだから、筆者の周辺ではあまり耳にしない語形だったということだろう。「カワリバンツ」は自身が使う語ではないが、耳にした時の驚きのようなものが鮮明によみがえった。これも「懐かしいことば」だ。ちなみにいえば、見出し「かわりばんこ」において「「こ」は接尾語」と記していることからすれば、見出し「かわりばんつ」においても、「つ」に関しての記述があったほうが、記述の一貫性が保たれるのではないかと思う。記すとすれば、接尾語ということになりそうだが、他に「つ」が接尾語としてつく語がすぐには思い浮かばない。そんなことが「つ」についての記述を省いた理由かもしれない。

きよう【崎陽】(江戸時代の漢学者が、中国の地名らしく呼んだもの)長崎の異称。

 崎陽軒のシウマイは子供の頃から食べていたが、「キヨウ(崎陽)」が長崎のことだとはある時期までは知らなかった。調べてみると、創業者久保久行が長崎出身であることがわかった。そういえば、日本の活版印刷の先駆者として知られる本木昌造(もときしようぞう)が日本最初の地方新聞として印刷したものが『崎陽雑報』という名前だった。この冊子は木製活字と金属活字とで混合印刷されている。

 『甲陽軍鑑』という軍学書がある。『日本国語大辞典』は次のように説明している。

こうようぐんかん【甲陽軍鑑】江戸前期の軍書。二〇巻二三冊。武田信玄の老臣、高坂昌信の口述による、大蔵彦十郎、春日惣次郎の筆録で、元和七年(一六二一)以前に小幡景憲の整理を経たものという。(中略)甲州流軍学の教典とされ、江戸初期の思想や軍学を知る史料となっている。

 ここに「コウヨウ(甲陽)」がみられる。「「甲陽」は甲州のミヤコである甲府を指す語」(酒井憲二『老国語教師の「喜の字の落穂拾い」』、2004年、笠間書院、132ページ)であると思われる。『日本国語大辞典』は単独の「コウヨウ(甲陽)」は見出しとしていない。上の本には「紀陽」「薩陽」「周陽」という語が存在していたことが記され、それぞれ、紀州和歌山、薩摩鹿児島、周防山口を指すという、山田忠雄の見解が紹介されている。『日本国語大辞典』は長崎を「中国の地名らしく呼んだもの」が「キヨウ(崎陽)」であるということは記しているが、どこが中国の地名らしいのかについては記していない。実はそこが考え所であるが、山田忠雄は「洛陽」に由来すると考えていたことがやはり上の本の中に紹介されている。

らくよう【洛陽・雒陽】【一】〔一〕中国河南省北西部の都市。黄河の支流、洛水の北岸に位置する。(略)後漢・西晉・北魏などの首都となり、隋・唐代には西の長安に対し東都として栄えた。(略)【二】〔名〕(転じて)みやこ。

 もともとは中国の地名であった「ラクヨウ(洛陽)」が一般的な「ミヤコ」という語義をもつようになったということだ。【二】の使用例として「日葡辞書〔1603~04〕」があげられているので、17世紀初頭にはそうした使われ方がされていたことになる。

 崎陽軒から少し固い話になってしまったが、『日本国語大辞典』をよんでいると、このような「懐かしいことば」に出会うことがある。そのことばはいろいろな記憶をよびさましてくれるし、そこからまた別の記憶につながっていくこともある。ことばがそのように記憶の中に埋め込まれていることを改めて知ることができるのも、辞書をよむ楽しみの1つかもしれない。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。

『日本国語大辞典』をよむ―第12回 文豪のことば②:里見弴が使ったことば

2017年 7月 16日 日曜日 筆者: 今野 真二

第12回 文豪のことば②:里見弴が使ったことば

 2016年10月11日から里見弴の短篇小説集第2集『三人の弟子』(1917年、春陽堂)を読み始めた。84ページまで読んできて次のような行りがあった。「少年の嘘」という作品である。

少年(せうねん)はガツサと云(い)ふ改良半紙(かいりやうばんし)の折(を)れる音(おと)に何(な)んとなく目(め)を上(あ)げて、その教師(けうし)の視線(しせん)とピツタリ行(ゆ)き衝(あた)つた。

かいりょうばんし【改良半紙】〔名〕駿河半紙を漂白したもの。江戸末期からミツマタを原料としてつくられていた駿河半紙は色が悪く不評であったため、これを漂白し、明治末ごろから売り出したもの。昔からのコウゾ紙にくらべてきめがこまかく、色白、薄手で、しかも墨つきがよいので好評を博した。

 上のように、『日本国語大辞典』は「かいりょうばんし」を見出しとしている。使用例としては、まず、谷崎潤一郎の「卍〔1928〜30〕」があげられている。『三人の弟子』は1917年に出版されているので、「少年の嘘」での使用が『卍』よりも前であることになる。「ガツサ」は「改良半紙の折れる音」なので、発音は「ガッサ」であろうが、『日本国語大辞典』は見出しにしていない。『日本国語大辞典』といえども、あらゆるオノマトペを見出しにすることはできないだろうから、「ガッサ」が見出しになっていないのは理解できる。

 さらに読み進めていくと、「手紙」という作品に次のような行りがあった。

放埒(ルーズ)なことをして置(お)いて、その結果(けつくわ)には手(て)もなく苦(くる)しまされる過去(くわこ)の生活(せいくわつ)から、彼(かれ)は労(つか)れ易(やす)い老人(らうじん)の心(こゝろ)に傾(かたむ)いてはゐたが、それとて二十五歳(さい)の青年(せいねん)の心(こゝろ)から、その撓性(だうせい)を名残(なごり)なく奪(うば)ひ去(さ)ることは出来(でき)なかつた。(108ページ)

 『日本国語大辞典』は、上の「撓性(だうせい)」を見出しとしていない。『大漢和辞典』の「撓」字の条下にも「撓性」はあげられていないので、大規模な漢和辞典もこの語を載せていないことになる。そのことからすれば、国語辞書である『日本国語大辞典』があげていないことは当然ともいえるが、そういう語が大正時代には使われていたということでもある。「撓」字には〈みだす・たわむ〉など幾つかの字義があるが、この文脈で使われた「撓性」をどのような語義とみればよいか、案外とわかりやすくはないように思う。

 『日本国語大辞典』が見出しとしていない語は他にもある。

1 かう書(か)きかけて、彼(かれ)は初(はじ)めて女(をんな)体現的(たいげんてき)に想(おも)ひ浮(うか)べた。(115ページ)

2 その自信(じしん)ある生活(せいくわつ)に這入(はい)るために、常道(じやうだう)を踏(ふ)み出(だ)して、それまで自分(じぶん)の背後(うしろ)に幾本(いくほん)かの黯(くら)い筋(すぢ)を引(ひ)いて来(き)た例(れい)ズル/\ベツタリズムから脱(ぬ)け出(で)ようと云(い)ふのだ、とは考(かんが)へるけれども、(141ページ)

3 その時(とき)、何(な)んの聯絡(れんらく)もなく、ふと女(をんな)へ書(か)いた昨日(きのふ)の手紙(てがみ)のことが脳(あたま)に浮(うか)んだ。この二日間(かかん)に受(う)け取(と)つたどの手紙(てがみ)と比(くら)べて見(み)ても、一番(ばん)厭味(いやみ)なのが自分(じぶん)のだつた。何(なに)より「あてぎ(アフエクテエシヨン)」の多(おほ)いのが不愉快(ふゆくわい)だつた。(146ページ)

4 この友達(ともだち)と一時間(じかん)も一緒(しよ)にゐると、輪島(わじま)は必(かなら)メヅメライズされて了(しま)つて、いくら抵抗(ていかう)してみても、蟻地獄(ありぢごく)の傾斜(けいしや)にゐる蟻(あり)のやうにズル/\と惹(ひ)きずり込(こ)まれて行(ゆ)くのをどうすることも出来(でき)なかつた。(155ページ)

 1~3は「手紙」、4は「失われた原稿」という作品からの引用である。1「体現的」は「グタイテキ(具体的)」にちかいか。2の「ズルズルベツタリズム」は「ズルズルベッタリ」をもとにした造語であることは明らかであるので、『日本国語大辞典』が見出しにしていないのは当然といえよう。3は鉤括弧内に「あてぎ」とあって、振仮名に「アフエクテエシヨン」とある。「アフエクテエシヨン」は英語「affectation」のことと思われるが、小型の英和辞書でこの語を調べてみると、〈気取り・きざ(な態度)〉といった語義があることがわかる。「オモワセブリ」といったような意味合いで里見弴は「あてぎ」という語を使ったか。4の「メヅメライズ」は英語「mesmerize」のことであろう。語義は〈魅了する〉。

 先には、「放埒」に「ルーズ」と振仮名が施されていた。『日本国語大辞典』が見出しとしない語を上のように拾い出していくと、里見弴が使うことばのある特徴が炙り出されてくるように感じる。それは漢語、外来語/外国語を自由自在に使うということだ。「メヅメライズ」のように外国語を片仮名書きしてそのまま使ったり、「ホウラツ(放埒)」という漢語に「ルーズ」と振仮名を施したりする。「affectation」の場合は、この英語を「あてぎ」と訳して、振仮名に英語を残したようにみえる。こうしたことを、大正時代の日本語のありかたと、一般化してみてよいのか、それとも里見弴という個人のことであるのか、それはこれからゆっくり考えていくことにしたい。しかし例えば、里見弴は「失われた原稿」という作品で「廃頽的」(154ページ)という語を使っている。現在であれば「頽廃的」だろう。この「ハイタイテキ(廃頽的)」を『日本国語大辞典』で調べてみると、見出しとなっており、そこには有島武郎の「或る女〔1919〕」の使用例がまずあがっている。この「ハイタイテキ」も「失われた原稿」の使用が早いことになるが、里見弴以外の使用が確認できる。言語は共有されることが大前提であるので、それは当然といえば当然であるが、こうしたことからすれば、里見弴が使ったことばを『日本国語大辞典』とつきあわせながら、丁寧に追うことで大正時代の日本語について何かわかってくるのではないか、という期待をもつことができる。

 さて、筆者がなぜ里見弴を読むようになったかということについて最後に述べておこう。ある時の入試問題の検討会の後だったように記憶しているが、近代文学、特に泉鏡花を専門としている同僚と一緒に廊下を歩いている時に、その同僚が里見弴はけっこうおもしろいというような話をした。同僚は演劇や映画にも詳しいので、小津安二郎の「彼岸花」の原作は里見弴だということもその時に聞いて知ったように思う。そんなことがあって、ちょっと読んでみようかと思ったのがきっかけだった。読んでみるとたしかになかなかおもしろいし、何より、大正時代の日本語について考えるきっかけとなった。同僚に感謝。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

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今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
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『日本国語大辞典』をよむ―第11回 文豪のことば①:永井荷風が使った語

2017年 7月 2日 日曜日 筆者: 今野 真二

第11回 文豪のことば①:永井荷風が使った語

 2016年9月30日から、永井荷風『来訪者』(1946年、筑摩書房)を読み始めた。いろいろな本を平行して読むことにしているので、なかなか読み進まないが、次のような行りがある。「踊子」という作品であるが、「浅草の楽隊になりさがつてしまつた」男と、「花井花枝と番組に芸名を出してゐるシヤンソン座の踊子」と、その妹の「千代美」との話であるが、あまり露骨な表現は避け、少し短めに文を引用しておく。

 1の「楽座」はどういう語を書いたものだろう、とまず思った。読み進むうちに、2にゆきあたり、「ガクザ」という語を書いたものであることがわかった。ほんとうは初めて出て来たところに振仮名を施してほしいが、振仮名があっただけよかったと思うことにしよう。ここで『日本国語大辞典』にあたってみたが、「らくざ(楽座)」は見出しになっているが、「がくざ(楽座)」はなっていなかった。『日本国語大辞典』が大規模な辞典であるだけに、この語は見出しになっているかどうか、ということがつねに気になる。さらに読み進めていくと3にゆきあたった。1と2とから「オーケストラボックス」のような場所が「ガクザ(楽座)」であろうと見当をつけていたが、3をみて、だいたいそれでよさそうだと思った。ところが、さらに読み進めていくと4にゆきあたった。4では漢字列「楽座」に「バンド」という振仮名が施されている。この「楽座(バンド)」で少しわからなくなった。『日本国語大辞典』の見出し「バンド」の〔二〕には「一組の人々。一団。特に楽団。ふつう軽音楽演奏の楽団。また、その演奏」とある。つまり「オーケストラボックス」というような語義の「バンド」は『日本国語大辞典』の記事からは見つけることができない。あるいは楽師がいる場所をも「バンド」と称することがあったのかもしれない。

1 舞台下の楽座から踊子が何十人と並んで腰をふり脚を蹴(け)上げて踊る、(108ページ)

2 楽屋口で田村と別れ、わたしは舞台下の楽座(がくざ)へもぐりこむと、後一回で其日の演芸はしまひになります。(132〜133ページ)

3 やがて入梅になる。暫くすると突然日の照りかゞやく暑い日が来ました。わたし達の家業には暑い時が一番つらいのです。楽師の膝を突合せて並んでゐる芝居の楽座(がくざ)は夏のみならず、冬も楽ではありません。看客の方から見たら楽器さへ鳴らしてゐればいゝやうに見えるかも知れませんが、寒中は舞台下から流れてくる空気の冷さ、足の先が凍つて覚えがなくなりますが、夏の苦しさに較べればまだしもです。(144ページ)

4 夜十二時頃に座元(ざもと)から蕎麦か饂飩(うどん)のかけを一杯づつ出します。蕎麦屋の男がその物を看客席へ持運んで来るのを見るや、舞台にゐる者はわれ先に下りて来て、中には楽座(バンド)の周囲(まはり)に立つたまゝ食べ初めるものもあります。(157ページ)

 ここまでは、少々の疑問を含みながら、「ガクザ(楽座)」という語があって、おそらくその語義は「オーケストラボックス」にちかいもので、それが『日本国語大辞典』には見出しとなっていない、という話題であった。

 「ガクザ(楽座)」が『日本国語大辞典』に見出しとなっていなかったので、いわばはずみがついて、「踊子」を読みながら、「これはどうだろう」と思う語について、『日本国語大辞典』にあたってみた。すると108ページから160ページの間に使われていた次のような語が『日本国語大辞典』の見出しになっていないことがわかった。

5 当人の述懐によれば十六の時、デパートの食堂ガールになり宝塚少女歌劇を看て舞台にあこがれ、十八の時浅草○○館の舞踊研究生になつた。(109ページ)

6 雪も今朝(けさ)がた積らぬ中にやんでしまつたのを幸、これから姉妹(きやうだい)して公園の映画でも見歩かうと云ふので、三人一緒に表通の支那飯屋で夕飯をたべ、わたしだけ芝居へ行きました。(112〜113ページ)

7 話題を転じようと思つた時、隣のテーブルにゐる事務員らしい女連の二人が、ともども洋髪屋の帰りと見えて壁の鏡に顔をうつして頻に髪を気にしてゐるので、(126ページ)

8 「お前も、もうパマにしたら。きつと似合ふよ。」(126ページ)

9 前以て振附の田村から約束通り月々三十円秘密に送つてくるので、わたしは花枝と相談して千代美を近処の姙婦預り所へ預けて世話をして貰ふことにしました。(160ページ)

 6は現在の「チュウカリョウリヤ(中華料理屋)」にあたる語と思われる。「シナ(支那)」は現在では使用しない語であろうが、過去においてこうした語があったということは知っておいてよいだろう。7の「ヨウハツヤ(洋髪屋)」は現在であれば「ビヨウイン(美容院)」であろう。8は現在の「パーマ」であることはすぐわかる。

 9などはいわば施設名であるので、そういう施設がなければ語も存在しない。いろいろな施設名をすべて見出しとすることはできないといえばできないのでこの語が『日本国語大辞典』の見出しになっていないことは当然かもしれない。

 やはりおもしろいのは5の「ショクドウガール(食堂ガール)」だろう。文脈からすると「エレベーターガール」と同じような、職業名に思われる。

 永井荷風の「踊子」は1948年に井原文庫として刊行されている。この頃の語を『日本国語大辞典』が見出しとしていないわけではないと考えるが、まだ歴史的にとらえる時期にはなっていないかもしれない。

 今自身が使っている語、自身の身のまわりで使われている語には注意が向きやすい。また「内省」もはたらくので、微細な変化にも気がつきやすい。それゆえ(といっておくが)、現代日本語の観察、分析も盛んに行なわれる。現在は過去の日本語よりも「今、ここ」の日本語に関心が向けられていると(少なくとも筆者には)感じられるが、それでも過去の日本語についての観察、分析も行なわれている。明治時代は「やっと」過去としてとらえられるようになったように思うが、大正時代、昭和時代は明らかな「過去」とはまだ思いにくいかもしれない。そこが『日本国語大辞典』の「エアポケット」なのだろうか。しかしそれはいたしかたないことと思う。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。

『日本国語大辞典』をよむ―第10回 語源未詳

2017年 6月 18日 日曜日 筆者: 今野 真二

第10回 語源未詳

 筆者は大学の日本語日本文学科という学科に所属している。この学科では卒業論文を必修科目としているので、毎年卒業論文の指導をしている。指導する学生の数は、10人以上であることがほとんどで、今まで一番多かった年は27人の指導をした。筆者は、3年生の時に、どんなテーマで論文を書くかということを相談する時間を設けて、個別的な相談をするが、そこで学生がやってみたいというテーマとして、「オノマトペ」と「語源」と「若者言葉」が必ずといっていいほどあげられる。

 「オノマトペ」は論文として仕上げるのが案外難しいので、そのように説明をし、日本語の場合「語源」はわからない場合があるから、これもあまりすすめられない旨を伝える。日本語の場合は、同じ系統の言語がわかっていない。したがって、例えば「ヤマ(山)」という語の語源は何か、ということについて考える場合、他言語を援用することができない。となると、日本語の中で考えるしかなく、考察には自ずから限界がある。「ヤマ」という語は「ヤ」「マ」2拍で構成されている。原理的に考えれば、まず1拍の語があって、それが結びついて2拍の語になるはずだ。だから「ヤ」とは何か、「マ」とは何か、ということをつきとめなければならない。

 『日本国語大辞典』には「語源説」という欄が設けられている。『日本国語大辞典』第1巻の「凡例」「語源説欄について」の1.には「文献に記載された語源的説明を集め、【語源説】の欄に、その趣旨を要約して、出典名を〔 〕内に付して示す」とあり、3には「およその趣旨を同じくするものは、共通の要旨でまとめて、〔 〕内にその出典名を、ほぼ時代順に併記する」と記されている。

 さて、見出し「やま」の「語源説」欄をみると、(1)として「不動の意で、ヤム(止)の転〔日本釈名・日本声母伝・和訓栞〕」と記されている。これは「ヤマ」は動かないから、「ヤム」という動詞が転じて「ヤマ」という名詞がうまれた、というような語源説を唱えている文献が3つあることを示している。その他「ヤマ」では12の語源説が記されている。これはあくまでもそういう「説」がある、ということであって、それ以上でもそれ以下でもない。列記されている「説」の中に、現在、認められそうなものが含まれている場合もあろうが、現在は認めにくいものが少なくない。

 上で名前があげられている『日本釈名』は貝原益軒(1630~1714)が著わしたもので、元禄13(1700)年に刊行されている。日本語1100語について語源を説明したものである。学部の学生だった頃、大学の授業でこの書物の名前をきき、神田の古本屋(日本書房)で和本を見ていたらあったので、こういう本が今でも買えるのだと思って、嬉しくなって購入したという記憶がある懐かしい本だ。しかしその「説」はといえば、「タカ(鷹)」は「たかく飛也」とか「ネコ(猫)」の「ネ」は「ネズミ(鼠)」のネで、「コ」は「コノム(好)」の「コ」だというように、「こじつけ」にちかいものが少なくない。やはり日本語の語源はなかなか難しい。

 『日本国語大辞典』をよんでいて次のような項目があった。

めくじら【目―】〔名〕(「くじら」の語源未詳)目の端。目尻。目角(めかど)。めくじ。めくじり。

めくじらを=立(た)てる[=立(た)つ]他人の欠点を探し出してとがめ立てをする。わずかの事を取り立ててそしりののしる。目角に立てる。目口を立てる。めくじを立てる。めくじりを立てる。

 「メクジラヲタテル」は現代日本語でも使う表現だ。筆者も使うことがある。そういえば「メクジラ」の「クジラ」についてはあまり考えたことがなかったな、と思った。目をつりあげた時に、目尻のあたりにできる皺が、クジラの形にみえるのか、とか放恣な想像は頭に浮かぶが、『日本釈名』風かもしれない。

 この項目で「語源未詳」が気になったので、遡って『日本国語大辞典』を調べてみると、全部で47の「語源未詳」があることがわかった。「メクジラ」はそのうちの1つだ。やはり現代も使う語に「オテンバ」がある。この「テンバ」については次のように記されている。

てんば【転婆】〔名〕(語源未詳。「転婆」はあて字)(1)つつしみやはじらいに乏しく、活発に動きまわること。また、そのような女性。出しゃばり女。つつましくない女。おてんば。おきゃん。(2)(―する)あやまちしくじること。粗忽であること。また、その人。男女いずれにもいう。(3)親不孝で、従順でない子。男女いずれにもいう。

 あるいは、これも現在使う「トタン」という語。

トタン〔名〕(語源未詳)(1)亜鉛のこと。(2)米相場の異称。

 「補注」には「(1)(1)については、ふつうはポルトガル語のtutanaga(銅・亜鉛・ニッケルの合金)に由来するとされるが、「日葡辞書」には「Tǒtan(タウタン)〈訳〉白い金属の一種」とあって、この方が古い形だとすると右のポルトガル語とは相当遠くなる。他の別の言語に基づくものか」と記されている。語形などから外来語であろうという予想はできるが、具体的にもとになった語が特定できない場合には「語源未詳」ということになる。

 新しいところでは「ピイカン」がある。

ぴいかん〔名〕(語源未詳。「ピーカン」と表記することが多い)快晴をいう俗語。元来は映画界の隠語か。

 使用例としては「古川ロッパ日記」の昭和19(1944)年6月27日の記事のみがあげられている。俗語も語源はわかりにくくなりそうだ。

 先に47の「語源未詳」があったと記したが、これはオンライン版の検索機能を使ってのことなので、確かな数だ。「語源未詳」と記されている見出しが47しかないということは、多くの見出しに関して、そうした「判断」そのものをしていないということになる。つまり「ヤマ(山)」や「タニ(谷)」ももちろん語源はわからないけれども、そこにはわざわざ「語源未詳」とは記していないということだ。語源説をよむのは楽しいが、語源を厳密に追究することは日本語の場合むずかしい。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
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『日本国語大辞典』をよむ―第9回 わたしは誰でしょう?②:東洋編

2017年 6月 4日 日曜日 筆者: 今野 真二

第9回 わたしは誰でしょう?②:東洋編

 「私は誰でしょう?①」は「西洋物」だったので、今回の②は「東洋物」にしてみましょう。みなさんは次の人名をご存じでしょうか。

1 めみょう【馬鳴】

2 もくあんしょうとう【木庵性瑫】

3 もくあんりょうえん【黙庵霊淵】

4 もくかんかかん【木杆可汗】

5 もちやのお福

 5は実在の人物ではなさそうだ、ということがすぐにわかってしまいそうなので、5から説明してみましょう。『日本国語大辞典』には次のようにあります。

もちやのお福(ふく) 江戸時代、看板として餅屋の門口に置いた、木馬にかぶせたお多福の面。また、そのように醜い女のたとえ。木馬は「あらうまし」または「見かけよりうまし」のしゃれで、お多福の面は、餅に息がかからないよう「ふく面して製す」のしゃれという。

 そして挿絵が添えられています。「おたふく」が醜いとばかりはいえないと思うが、醜いというとらえかたがなされていたことは確実といってよい。『日本国語大辞典』の見出し「おたふく」には次のようにある。見出し「おたふくめん」も併せてあげておく。

おたふく【阿多福】〔名〕(1)「おたふくめん(阿多福面)」の略。(2)(1)のような醜い顔の女。多くは女をあざけっていう。おかめ。三平二満(さんぺいじまん)。(3)((2)から転じて)自分の妻のことを謙遜していう。(以下略)

おたふくめん【阿多福面】〔名〕面の一種。丸顔で、ひたいが高く、ほおがふくれ、鼻の低い女の顔の面。おたふく。おかめ。乙御前(おとごぜ)。

 「醜いとばかりはいえない」は筆者の個人的な見解というわけではない。見出し「おたふくがお」の使用例に太宰治の「満願〔1938〕」が示されているが、そこには「奥さんは、小がらの、おたふくがほであったが、色が白く上品であった」とあるからだ。これは「器量はよくないが、色白で上品」ということを述べているととれなくもないが、「丸顔でほおがふくれ気味」ぐらいに理解すれば、「醜い」とまでいっていないことになる。まあ「おたふく」が醜いかどうかはこれぐらいにしておきましょう。

 さて、1~4について『日本国語大辞典』は次のように説明しています。

1 めみょう【馬鳴】({梵}Aśvaghoṣaの訳)一世紀後半から二世紀にかけてのインドの仏教詩人。中インドの出身という。はじめバラモン教のすぐれた論師であったが、のち仏教に帰依し、カニシカ王の保護を受けて、仏教の興隆に尽力した。知恵・弁舌の才にすぐれ、特に豊かな文学的才能をもって仏の生涯をうたった叙事詩「ブッダチャリタ(仏所行讚)」は著名。その他に「大荘厳論経」などがあるが、「大乗起信論」を著わしたとする伝承には疑問があり、五世紀ころ同名の別人がいたとする学説もある。生没年未詳。馬鳴菩薩。

2 もくあんしょうとう【木庵性瑫】江戸前期に来日した黄檗(おうばく)宗の中国僧。勅諡は慧明国師。明暦元年(一六五五)師の隠元とともに来日し、寛文四年(一六六四)黄檗山第二世を継ぎ、また江戸に瑞聖寺などを開いた。貞享元年(一六八四)没。黄檗三筆の一人。著「紫雲山草」「紫雲開士伝」など。(一六一一~八四)

3 もくあんりょうえん【黙庵霊淵】南北朝時代の禅僧。日本水墨画の草分けの一人。嘉暦二年(一三二七)前後に入元し、月江正印に参じ、貞和元年(一三四五)頃中国で没した。

4 もくかんかかん【木杆可汗】突厥第三代の可汗(在位五五三~五七二年)。柔然を滅ぼし、東は契丹、北はキルギスを討ち、また西方ではエフタル(嚈噠)を撃破して突厥の基礎を確立した。五七二年没。

 1~4は高等学校の世界史の時間に学習した記憶がないが、現在ではどうなのだろうか。「私は誰でしょう?」という話題からは少し離れるが、上の1~4をみて、気づいたこと、思ったことなどを記しておきたい。まず1の語釈中に「論師」という語が使われている。語釈中に使われている語がわからないこともあるから、同じ辞書にそれが見出しとなっていることが理想ではあるが、それはなかなか難しい。しかし、この「論師」は『日本国語大辞典』の見出しになっており、「論(経典の注釈書の類)を作った人。また、論蔵に通じた学者」と説明されている。この語釈中の「論蔵」を調べてみると、これもちゃんと見出しになっていて、「三蔵の一つ。経蔵、律蔵に対して、経典や律法について解釈・敷衍(ふえん)した著述の類、俱舎論、成実論等の総称」と説明されている。さすが、大規模な辞書。

 3の語釈中の「参じ」は少しわかりにくいのではないかと思う。『日本国語大辞典』で「さんじる」を調べると、「「さんずる(参)」に同じ」とあって、見出し「さんずる」の語釈【一】の(5)「禅寺で、坐禅の行をする。参禅する」にあたると思われるが、さすがの『日本国語大辞典』も「月江正印(げっこうしょういん)」を見出しとしていないので、これが中国、元の禅僧であることがわからないと全体が理解しにくいように思う。「にっとう・にゅうとう(入唐)」や「にっそう・にゅうそう(入宋)」からの類推で「入元」がわかるかどうかということもある。案外こういう類推がはたらきにくくなっているようにも感じる。ちなみにいえば、「にっとう」「にゅうとう」「にっそう」「にゅうそう」は見出しとなっているが、「にゅうげん(入元)」は見出しになっていない。「入元」は「いちょう(銀杏・公孫樹)」と「てっしゅうとくさい(鉄舟徳済)」の語釈中でも使われている。

 『日本国語大辞典』は日本人の名前もかなりとりあげている。例えば「もり【森】姓氏の一つ」と説明して、その後ろに「森」を姓としている人物を並べる。

もりありのり【森有礼】

もりありまさ【森有正】

もりおうがい【森鷗外】

もりかいなん【森槐南】

もりかく【森恪】

もりかんさい[森寛斎】

もりきえん【森枳園】

もりぎょうこう【森暁紅】

もりしゅんとう【森春濤】

もりそせん【森狙仙】

もりまり【森茉莉】

もりらんまる【森蘭丸】

 歴史好きな方は「森蘭丸」をご存じだろう。そのように、自分の興味のある分野であれば、知っているということになる。上の中で「?」という人物がいるでしょうか。それは興味のありどころのバロメーターかもしれません。そしてそれは個人ということを超えて、現代社会の興味のありどころのバロメーターかもしれません。人名からもいろいろなことがみえてきそうです。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

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