人名用漢字の新字旧字:「広」と「廣」
2010年 8月 26日 木曜日 筆者: 安岡 孝一第70回 「広」と「廣」
新字の「広」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「廣」は人名用漢字なので、子供の名づけに使えます。すなわち、「広」も「廣」も出生届に書いてOK。「鉱」と「鑛」とは違ってますね。どうしてこんなことになってしまったのでしょう。
昭和21年4月27日、国語審議会は、常用漢字表を審議していました。この常用漢字表は、標準漢字表再検討に関する主査委員会が国語審議会に提出したもので、旧字の「廣」を含む1295字を収録していました。この常用漢字表に対し、国語審議会は5月8日の総会で、さらなる検討を要する、と判断しました。それにともない、6月4日、常用漢字に関する主査委員会が発足しました。
常用漢字に関する主査委員会は、昭和21年8月2日の委員会で、常用漢字表の簡易字体について議論しました。文部省教科書局国語課は、この日、「廣」に対する簡易字体として「広」を提案しました。「鑛」に対する簡易字体として「鉱」を提案していたので、それと同じアイデアで「広」と「拡」も提案したのです。ところが8月27日の委員会では、「鉱」や「拡」は認められたものの、「広」は不採用となりました。「広」は「廣」の簡易字体として一般的ではない、と判断されたのです。また、10月1日の委員会では、表の名称を、常用漢字表から当用漢字表へと変更しました。
昭和21年11月5日に国語審議会が答申した当用漢字表は、手書きのガリ版刷りでしたが、旧字の「廣」が収録されていました。翌週11月16日に内閣告示された当用漢字表も、旧字の「廣」でした。昭和23年1月1日の戸籍法改正で、子供の名づけに使える漢字は、この時点の当用漢字表1850字に制限され、旧字の「廣」が子供の名づけに使ってよい漢字になりました。
当用漢字字体の整理をおこなうべく、文部省教科書局国語課は昭和22年7月15日、活字字体整理に関する協議会を発足させました。活字字体整理に関する協議会は、昭和22年10月10日に活字字体整理案を国語審議会に報告しました。活字字体整理案では、「廣」の中を「黃」から「黄」に整理することが提案されていました。これに対し国語審議会は、「廣」の中を「黄」にするのではなく、あえて簡易字体の「広」を復活することを決めました。この結果、昭和23年6月1日に答申された当用漢字字体表には、新字の「広」が収録されたのです。
当用漢字字体表の内閣告示(昭和24年4月28日)を受けて、法務府民事局は昭和24年6月29日、当用漢字表に加えて当用漢字字体表も子供の名づけに使ってよい、と回答しました。すなわち、旧字の「廣」も新字の「広」も出生届に書いてOKとなったのです。その後、常用漢字表の時代になって、新字の「広」は常用漢字になりましたが、一方、旧字の「廣」はそれまで子の名に使えてきた経緯を踏まえて、人名用漢字となりました。この結果、現在に至っても、新字の「広」と旧字の「廣」の両方が、子供の名づけに使えるのです。
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【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)
京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。
人名用漢字の新字旧字:「鉱」と「鑛」
2010年 8月 12日 木曜日 筆者: 安岡 孝一第69回 「鉱」と「鑛」
新字の「鉱」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「鑛」は子供の名づけに使えません。新字の「鉱」は出生届に書いてOKですが、旧字の「鑛」はダメ。でも、新字の「鉱」は、不思議な経緯で決まったものなのです。
漢字制限に関する審議をおこなっていた国語審議会は、昭和17年6月17日、文部大臣に標準漢字表を答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、2528字が収録されており、旧字の「鑛」が含まれていました。標準漢字表は、昭和17年12月4日に文部省から発表されたものの、しかし、一般社会における漢字制限とはならず、あくまで義務教育で習得する漢字の標準という形にしかなりませんでした。
昭和21年4月27日、国語審議会は、 常用漢字表を審議していました。この常用漢字表は、標準漢字表再検討に関する主査委員会が国語審議会に提出したもので、旧字の「鑛」を含む1295字を収録していました。この常用漢字表に対し、国語審議会は5月8日の総会で、さらなる検討を要する、と判断しました。それにともない、昭和21年6月4日、常用漢字に関する主査委員会が発足しました。常用漢字に関する主査委員会は、8月2日の委員会で、常用漢字表の簡易字体について議論しました。文部省教科書局国語課は、この日、「鑛」に対する簡易字体として「鉱」を提案しました。「鑛」に対する当て字として「鈜」が使われていたので、それを微妙に変形して「鉱」という字体を創り出したのです。主査委員会は8月27日の委員会で、「鉱」を「鑛」に対する簡易字体として認めました。また、10月1日の委員会では、表の名称を、常用漢字表から当用漢字表へと変更しました。
昭和21年11月5日、国語審議会は文部大臣に当用漢字表を答申しました。この時点の当用漢字表1850字は、手書きのガリ版刷りでしたが、新字の「鉱」が収録されていて、直後にカッコ書きで「鑛」が添えられていました。つまり「鉱(鑛)」となっていたわけです。翌週11月16日に内閣告示された当用漢字表でも、やはり「鉱(鑛)」となっていました。
昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、新字の「鉱」が収録されていましたので、「鉱」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。しかし旧字の「鑛」は、あくまで参考として当用漢字表に添えられたものでしたから、子供の名づけに使ってはいけない、ということになりました。その後、常用漢字表の時代になって、新字の「鉱」は常用漢字になりましたが、旧字の「鑛」は人名用漢字になれませんでした。それが現在も続いていて、新字の「鉱」は子供の名づけに使ってOKですが、旧字の「鑛」はダメなのです。
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安岡孝一(やすおか・こういち)
京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
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人名用漢字の新字旧字:「間」と「閒」
2010年 7月 29日 木曜日 筆者: 安岡 孝一第68回 「間」と「閒」
昭和17年6月17日に国語審議会が答申した標準漢字表2528字には、新字の「間」が収録されていました。昭和21年4月27日の国語審議会に提出された常用漢字表1295字は、手書きのガリ版刷りでしたが、やはり新字の「間」が収録されていました。
ところが、昭和22年11月5日に国語審議会が答申した当用漢字表には、どういうわけか旧字の「閒」が収録されていました。翌週11月16日に内閣告示された当用漢字表でも、旧字の「閒」が収録されていました。昭和23年1月1日の戸籍法改正で、子供の名づけに使える漢字は、この時点の当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、旧字の「閒」が収録されていましたので、「閒」は子供の名づけに使ってよい漢字になりましたが、新字の「間」は子供の名づけには使えなくなりました。
一方、文部省教科書局国語課は昭和22年7月15日、活字字体整理に関する協議会を発足させました。教科書に用いる活字字体を整理すると同時に、一般社会で用いられる活字字体をも整理しようともくろんだのです。活字字体整理に関する協議会は、昭和22年10月10日に活字字体整理案を国語審議会に報告しました。 活字字体整理案では、「閒」を「間」に整理することが提案されていました。
これを受けて国語審議会は、昭和23年6月1日、当用漢字字体表を答申しました。当用漢字字体表では、旧字の「閒」の代わりに新字の「間」が収録されていました。昭和24年4月28日に当用漢字字体表が内閣告示された結果、新字の「間」が当用漢字となり、旧字の「閒」は当用漢字ではなくなってしまいました。 当用漢字表にある旧字の「閒」と、当用漢字字体表にある新字の「間」と、どちらが子供の名づけに使えるのかが問題になりましたが、この問題に対し法務府民事局は、「閒」も「間」もどちらも子供の名づけに使ってよい、と回答しました(昭和24年6月29日)。
ところが、昭和56年5月14日の民事行政審議会答申では、新字の「間」は子供の名づけに使えるが、旧字の「閒」はダメ、となっていました。常用漢字表(昭和56年3月23日国語審議会答申)の「間」には、カッコ書きで旧字の「閒」が添えられていなかったため、民事行政審議会は「閒」を子供の名づけに認める根拠を失ったのです。この結果、昭和56年10月1日、常用漢字表の内閣告示と同時に、旧字の「閒」は子供の名づけに使えなくなりました。それが現在も続いていて、新字の「間」は出生届に書いてOKですが、旧字の「閒」はダメなのです。
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安岡孝一(やすおか・こういち)
京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
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人名用漢字の新字旧字:「聡」と「聰」
2010年 7月 15日 木曜日 筆者: 安岡 孝一第67回 「聡」と「聰」
新字の「聡」は人名用漢字なので子供の名づけに使えるのですが、旧字の「聰」は子供の名づけに使えません。「聡」は出生届に書いてOKですが、「聰」はダメ。でも、旧字の「聰」がOKだったこともあるのです。
昭和26年5月14日、国語審議会は人名漢字に関する建議を発表しました。この建議は、子供の名づけに使える漢字として、当用漢字以外に92字を追加すべきだ、というもので、この92字の中に新字の「聡」も含まれていました。翌週25日、この92字は人名用漢字別表として内閣告示され、新字の「聡」が子供の名づけに使えるようになりました。
これに対し、琉球政府は6年後の昭和32年2月22日、人名用漢字表を告示しました。この人名用漢字表は92字を収録していましたが、本土の人名用漢字別表とは微妙に違うものでした。新字の「聡」ではなく、旧字の「聰」を収録していたのです。この違いに気づいた琉球政府法務局は、昭和33年7月29日に以下の正誤訂正を公示しました。
1957年告示第35号人名用漢字表中「聰」を「聡」と訂正する。
しかし、この正誤訂正は必ずしも徹底されなかったため、沖縄では旧字の「聰」と新字の「聡」の両方が子供の名づけに使える状態でした。
一方、本土においては、旧字の「聰」は子供の名づけに使えない、と思われていました。これに対し、昭和36年12月15日、当時の栃木県今市市の戸籍事務担当者は、今市市長経由で宇都宮地方法務局長に対し、旧字の「聰」を名に含む出生届を受理してよいかどうか、照会をおこないました。法務省民事局長の回答(昭和37年1月20日)は、旧字の「聰」も受理してさしつかえないが、なるべく新字の「聡」で出生届を提出させるよう指導してほしい、というものでした。昭和47年5月15日、沖縄は日本に復帰し、同時に琉球政府の人名用漢字表は無効となりました。この結果、沖縄では新字の「聡」があらためて人名用漢字となったのですが、これまでの経緯を考慮して、旧字の「聰」も出生届に書いてOKという形になりました。
しかし、昭和56年5月14日の民事行政審議会答申は、これらの経緯を覆すものでした。旧字の「總」は子供の名づけに使えないのに、旧字の「聰」が子供の名づけに使えるのはおかしい、新字の「総」と「聡」だけに限って認めるべきだ、というのです。昭和56年10月1日の常用漢字表内閣告示と同時に、戸籍法施行規則が改正され、新字の「聡」だけが人名用漢字になりました。旧字の「聰」はこの日をもって子供の名づけに使えなくなりました。それが現在も続いていて、「聡」は出生届に書いてOKですが、「聰」はダメなのです。
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京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
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人名用漢字の新字旧字:「気」と「氣」
2010年 7月 1日 木曜日 筆者: 安岡 孝一第66回 「気」と「氣」
新字の「気」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「氣」は人名用漢字なので、やはり子供の名づけに使えます。つまり、「気」も「氣」も出生届に書いてOKですが、その背後には「氕」があったのです。
漢字制限に関する審議をおこなっていた国語審議会は、昭和17年6月17日、文部大臣に標準漢字表を答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、2528字が収録されており、その中に旧字の「氣」が含まれていました。「氣」の直後には、カッコ書きで簡易字体の「氕」が添えられていて、「氣(氕)」となっていました。標準漢字表では、簡易字体の「氕」はカッコ書きになっているものの、一般に使用して差し支えないということでした。
ところが戦後になって、国語審議会は「氕」を撤回しました。昭和21年11月5日に国語審議会が答申した当用漢字表には、旧字の「氣」は収録されていたものの、簡易字体の「氕」は含まれていませんでした。この結果、昭和21年11月16日に内閣告示された当用漢字表1850字には、旧字の「氣」が収録されていて、簡易字体の「氕」はどこにもありませんでした。ただし、当用漢字表のまえがきには「字体と音訓の整理については、調査中である」と書かれていました。昭和23年1月1日の戸籍法改正で、子供の名づけに使える漢字は、この時点の当用漢字表1850字に制限され、旧字の「氣」が子供の名づけに使ってよい漢字になりました。
当用漢字字体の整理をおこなうべく、文部省教科書局国語課は昭和22年7月15日、活字字体整理に関する協議会を発足させました。活字字体整理に関する協議会は、昭和22年10月10日に活字字体整理案を国語審議会に報告しました。活字字体整理案では、旧字の「氣」の字体を整理するにあたり、「氕」でなく「気」とすることが提案されていました。これを受けて国語審議会は、昭和23年6月1日、当用漢字字体表を答申しました。当用漢字字体表は、活字字体の標準となる形を手書きで示したもので、新字の「気」が収録されていました。昭和24年4月28日に、この当用漢字字体表が内閣告示された結果、新字の「気」が当用漢字となり、旧字の「氣」は当用漢字ではなくなってしまいました。
当用漢字表にある旧字の「氣」と、当用漢字字体表にある新字の「気」と、どちらが子供の名づけに使えるのかが問題になりましたが、この問題に対し法務府民事局は、「氣」も「気」もどちらも子供の名づけに使ってよい、と回答しました(昭和24年6月29日)。でも「氕」は、当用漢字表にも当用漢字字体表にも含まれていなかったので、子供の名づけには使えませんでした。その後、常用漢字表の時代になって、新字の「気」は常用漢字になりましたが、一方、旧字の「氣」はそれまで子の名に使えてきた経緯を踏まえて、人名用漢字となりました。この結果、現在に至っても、「気」と「氣」は子供の名づけに使えますが、「氕」はダメなのです。
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安岡孝一(やすおか・こういち)
京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
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人名用漢字の新字旧字:常用漢字表の改定と人名用漢字(最終回)
2010年 6月 22日 火曜日 筆者: 安岡 孝一常用漢字表の改定と人名用漢字(最終回)
(第3回からつづく)
「呪怨」ちゃんの出生届
「悪魔」ちゃん命名事件は、司法判断上は尻切れトンボに終わったのですが、戸籍行政においては大きな意味がありました。「悪魔」のような名が付けられた出生届を戸籍窓口は受理すべきでない、という先例が法務省によって示された(平成5年9月14日)ことになるからです。
したがって、萎彙咽淫鬱怨苛楷潰諧骸顎毀嗅惧憬股錮喉乞傲痕挫斬恣摯餌𠮟嫉腫呪羞尻脊腺箋狙踪唾綻緻嘲捗溺妬賭貪丼罵剝氾膝訃璧蔑哺麺喩瘍沃拉辣慄賂弄籠(字体は第1回を参照)の66字が常用漢字表に追加されたとしても、「呪怨」ちゃんの出生届を、役場の窓口は受理しない可能性が高い、ということです。あるいは一旦、受付はするものの、出生届の受理は保留し、法務局経由で法務省にお伺いをたてる可能性もあります。
ただし、これら66字を出生届に書けない、というわけではないところに注意が必要です。しかも、出生届が受理されてしまえば、たとえそれが命名権の濫用にあたるとしても、その名が戸籍に登載されることになるわけです。
「龍」の1画目
改定常用漢字表は、これまでの常用漢字表のうち1940字を引き継いでいますが、丸カッコに入った康煕字典体の中には変更されたものがあります。その中で、微妙に問題になりそうなのが「龍」の字体です。
現在、常用漢字表の「竜」には、丸カッコ書きで「龍」が添えられています。つまり、「竜(龍)」となっているのですが、この「龍」の1画目は横棒です。現時点での人名用漢字においても、やはり「龍」の1画目は横棒です。ところが、改定常用漢字表の「竜(龍)」では、「龍」の1画目は縦棒になっているのです。この結果、人名用漢字の「龍」の1画目を縦棒に変更するか、それとも横棒のままでいくか、という点が、今後、微妙に問題となります。
ただし、法務省民事局は、「龍」の1画目が横棒であっても縦棒であっても「同一字体」とみなして取り扱ってよい(平成17年8月3日)、としていますので、人名用漢字の「龍」の1画目が縦棒になっても、取扱上は変更されないかもしれません。
合計2997字に
結局のところ、常用漢字表の改定にともない、子供の名づけに使える漢字が66字ほど増えることになりますが、でも、それら66字は、名前にはあまりふさわしくなさそうな漢字ばかりです。一方、「痩」と「龍」には微妙な変更が加わる可能性があり、最終的には合計2997字が子供の名づけに使える漢字になりそうです。ただし、改定常用漢字表の内閣告示までには、まだ半年近く時間があります。その間に新たな動きがあった場合には、また、このページでお伝えすることにいたします。
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人名用漢字の新字旧字:常用漢字表の改定と人名用漢字(第3回)
2010年 6月 21日 月曜日 筆者: 安岡 孝一常用漢字表の改定と人名用漢字(第3回)
(第2回からつづく)
さて、「呪怨」ちゃんの出生届は受理されるでしょうか。そのヒントとして、平成5年に起こった「悪魔」ちゃん命名事件を見てみましょう。
悪魔ちゃん命名事件
平成5年8月11日、昭島市役所に、子供の名を「悪魔」とした出生届が提出されました。子供の父親は事前に、「悪魔」が受理可能かどうか昭島市役所に問い合わせていて、問い合わせの回答どおり、この出生届は受け付けられました。8月12日、昭島市役所が東京法務局八王子支局に受理の是非を問い合わせたところ、問題なしとの回答を得たので、昭島市役所は「悪魔」を戸籍に登載しました。
ところが8月13日になって、東京法務局八王子支局から昭島市役所に出生届の受理を保留するよう連絡があり、9月14日には法務省民事局から、「出生子の名を『悪魔』として届出された出生届の処理については消極に解すべきであり、届出人に新たな出生子の名を追完させることとし、届出人が追完に応ずるまでの間は名未定の出生届として処理すべき」との回答が戻ってきました。これを受けて、9月27日には東京法務局八王子支局から昭島市長に、出生届を「名未定」として扱うよう正式の指示が来ました。これにしたがって、昭島市長は戸籍の「悪魔」を赤線で抹消し「名未定」とした上、10月4日には父親に対して、名の追完届を提出するよう催告しました。
これに怒った父親は、一旦「悪魔」と名づけた出生届を受理しておきながら勝手に「名未定」として扱われるのは不服である、として、昭島市長に「悪魔」を戸籍に記載させるよう、平成5年10月20日、東京家庭裁判所八王子支部に家事審判を申し立てました。これに対し、平成6年1月31日に東京家庭裁判所八王子支部が下した審判は、非常に変わったものでした。子供に「悪魔」と名づけるのは命名権の濫用であり、本来は出生届を受理されなくてもやむを得ないケースだが、ただし、本件においては出生届は受理されてしまっているのだから、一旦受理してしまった以上は、昭島市長は戸籍に「悪魔」と記載すべきであって勝手に「名未定」にするのは許されない、というのが審判の内容でした。結果だけ見れば父親側が勝ったのですが、内容的には「悪魔」は命名権の濫用である、という判断だったのです。
この命令に対し昭島市側は、東京高等裁判所に即時抗告しました。「悪魔」が命名権の濫用であれば、そもそも昭島市側の判断は間違っていなかったはずだ、という主張でした。「悪魔」ちゃんの出生届をめぐる争いは、高等裁判所の抗告審に移ったのです。
ところが、父親は平成6年3月14日、昭島市長に対して子供の名を「阿久魔」に変更する旨を打診しました。しかし、昭島市長がこれに難色を示したことから、5月30日、父親は子供の名を「亜駆」とした追完届を昭島市長に提出、昭島市長はこれを受理し「亜駆」を戸籍に登載しました。同時に父親は家事審判申立を取り下げ、昭島市長もこれに同意したことから、即時抗告審(東京高等裁判所平成6年(ラ)第134号)は、未決のまま終結することになりました。
(最終回「呪怨ちゃんの出生届」につづく)
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人名用漢字の新字旧字:常用漢字表の改定と人名用漢字(第2回)
2010年 6月 18日 金曜日 筆者: 安岡 孝一常用漢字表の改定と人名用漢字(第2回)
(第1回からつづく)
「勺」「錘」「銑」「脹」「匁」
常用漢字から削除される「勺」「錘」「銑」「脹」「匁」の5字は、そのままの字体で、人名用漢字に追加されることが予想されます。これら5字は、戸籍法第50条で言う「常用平易」な漢字として認められてきたものですから、新しい常用漢字表が告示されたからといって、ある日、突然「常用平易」でなくなってしまうとは考えにくいからです。つまり、これまでどおり、「勺」「錘」「銑」「脹」「匁」は出生届に書いてOKとなるでしょう。
人名用漢字から「昇格」する129字
常用漢字表に新たに追加される196字のうち、挨曖宛嵐畏椅茨唄媛艶旺岡臆俺牙瓦崖蓋柿葛釜鎌韓玩伎亀畿臼巾僅錦串窟熊詣稽隙桁拳鍵舷虎勾梗駒頃沙采塞埼柵刹拶鹿袖蹴憧拭芯腎須裾凄醒戚煎羨詮膳遡曽爽捉遜汰堆戴誰旦酎貼椎爪鶴諦塡藤瞳栃頓那奈梨謎鍋匂虹捻箸汎阪斑眉肘阜蔽餅蜂貌頰睦勃昧枕蜜冥冶弥闇湧妖藍璃侶瞭瑠呂麓脇(字体は第1回を参照)の129字は、人名用漢字がそのまま常用漢字になります。つまり、これら129字は、人名用漢字からは削除されますが、今後は常用漢字として子供の名づけに使えるということになります。なお、129字のうち「曽」については、新字の「曽」は常用漢字となるものの、旧字の「曾」は人名用漢字のままで、継続して子供の名づけに使える予定です。
「痩」と「瘦」
微妙な問題を含んでいるのが「痩」です。現在、人名用漢字に収録されているのは旧字の「瘦」なのですが、今回、新たに常用漢字に追加されるのは新字の「痩」なのです。現時点ではっきり決まっているわけではありませんが、新字の「痩」と旧字の「瘦」に関しては、新字の「痩」は常用漢字として、旧字の「瘦」は引き続き人名用漢字として、今後は両方とも子供の名づけに使えることになると思われます。
人名用漢字になかった66字
常用漢字表に新たに追加される196字のうち、残りの66字、すなわち萎彙咽淫鬱怨苛楷潰諧骸顎毀嗅惧憬股錮喉乞傲痕挫斬恣摯餌𠮟嫉腫呪羞尻脊腺箋狙踪唾綻緻嘲捗溺妬賭貪丼罵剝氾膝訃璧蔑哺麺喩瘍沃拉辣慄賂弄籠(字体は第1回を参照)は、これまで人名用漢字に含まれていなかった漢字です。これら66字は、今回、新たに常用漢字表に追加されることで、子供の名づけに使えるようになります。でも、「怨」だの「呪」だの「妬」だの、子供の名前にあまりふさわしくなさそうな漢字ばかり並んでますね。たとえば子供に「呪怨」と命名したとして、その出生届は果たして役場の窓口で受理されるでしょうか?
(第3回「悪魔ちゃん命名事件」につづく)
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人名用漢字の新字旧字:常用漢字表の改定と人名用漢字(第1回)
2010年 6月 17日 木曜日 筆者: 安岡 孝一常用漢字表の改定と人名用漢字(第1回)
平成22年6月7日、文化審議会は改定常用漢字表を答申しました。改定された常用漢字表は、年内に内閣告示される予定です。では、常用漢字表の改定は、人名用漢字にどのような影響を及ぼすのでしょう。その概要を、全4回で書き記すことにいたします。
常用漢字表の改定の概要
現在の常用漢字表は、昭和56年10月1日に内閣告示されたもので、1945字を収録しています。これに対し、改定常用漢字表は2136字を収録しており、うち1940字が常用漢字表を引き継いでいます。つまり、常用漢字表から5字を削除し、代わりに196字を追加したものが、新しい常用漢字表だといえます。削除されるのは「勺」「錘」「銑」「脹」「匁」の5字、追加されるのは以下の196字(角カッコは許容字体、丸カッコは康煕字典体)です。

角カッコに入った許容字体
常用漢字表と改定常用漢字表との間で特筆すべき変更点は、「餌」「遡」「遜」「謎」「餅」の5字に対して、角カッコに入った許容字体が添えられていることです。これまでの常用漢字表では、「進」のような1点しんにゅうや、「飲」のような新字の食へんが標準字体でした。ところが新たに追加される196字では、2点しんにゅうや旧字の食へんが標準的な字体として採用されたのです。ただし、この措置は、新たに追加される196字だけで、これまでの常用漢字表を引き継いだ1940字に関しては、これまでどおり1点しんにゅうや新字の食へんが使われています。なぜ、こんな妙なことになってしまったのでしょう。
実は、新たに追加される196字の字体は、国語審議会が平成12年12月8日に答申した表外漢字字体表を、基本的に引き継いでいます。表外漢字字体表は、常用漢字(および当時の人名用漢字)以外の漢字に対して、印刷に用いる字体のよりどころを示したものでしたが、その字体はいわゆる旧字体でした。「餌」も「遡」も「遜」も「謎」も「餅」も、表外漢字字体表では2点しんにゅうや旧字の食へんで示されており、改定常用漢字表でもそれを引き継いだのです。しかしそれでは、これまでの常用漢字表とは字体がかけ離れてしまうことから、許容字体と呼ばれる新字体を、角カッコに入れて添えておくことにしたのです。
新しい常用漢字表は、今年中に内閣告示される予定です。また、新しい常用漢字表の内閣告示と同じ日に、戸籍法施行規則の改正という形で、人名用漢字も変わる予定です。では、人名用漢字はどのように変わるのでしょう。
(第2回「勺」「錘」「銑」「脹」「匁」につづく)
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【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)
京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。
人名用漢字の新字旧字:「遷」と「遷」
2010年 6月 3日 木曜日 筆者: 安岡 孝一第65回 「遷」と「遷」
新字の「遷」(1点しんにゅう)は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「遷」(2点しんにゅう)は子供の名づけに使えません。「遷」は出生届に書いてOKだけど、「遷」はダメ。実は「遷」がこうなってしまった背後には、当用漢字字体の変遷があるのです。
昭和17年6月17日に国語審議会が答申した標準漢字表には、旧字の「遷」が収録されていました。2点しんにゅうで右下が「㔾」の字体です。昭和21年11月5日に国語審議会が答申した当用漢字表は、手書きのガリ版刷りでしたが、やはり旧字の「遷」が収録されていました。翌週11月16日に内閣告示された当用漢字表も、旧字の「遷」でした。ただし、当用漢字表のまえがきには「字体と音訓の整理については、調査中である」と書かれていました。当用漢字表の字体は、まだ変更される可能性があったのです。昭和23年1月1日の戸籍法改正で、子供の名づけに使える漢字は、この時点の当用漢字表1850字に制限され、旧字の「遷」が子供の名づけに使ってよい漢字になりました。
当用漢字字体の整理をおこなうべく、文部省教科書局国語課は昭和22年7月15日、活字字体整理に関する協議会を発足させました。
活字字体整理に関する協議会は、昭和22年10月10日に活字字体整理案を国語審議会に報告しました。活字字体整理案では、「遷」の右下を「㔾」から「巳」にすることが提案されていました。2点しんにゅうはそのままで、字体の右下だけを変更することが提案されたのです。これに対し国語審議会は、しんにゅうを全て1点しんにゅうにすると同時に、「巳」は基本的に「己」に変更することを決めました。
昭和23年6月1日、国語審議会は当用漢字字体表を答申しました。当用漢字字体表は、活字字体の標準となる形を手書きで示したもので、新字の「遷」が収録されていました。
当用漢字字体表の内閣告示(昭和24年4月28日)を受けて、法務府民事局は昭和24年6月29日、当用漢字表に加えて当用漢字字体表も子供の名づけに使ってよい、と回答しました。この結果、旧字の「遷」(2点しんにゅうで右下が「㔾」)も、新字の「遷」(1点しんにゅうで右下が「己」)も、どちらも出生届に書いてOKとなったのです。
30年後の昭和56年3月23日に国語審議会が答申した常用漢字表では、新字の「遷」だけが収録されましたが、その字体は当用漢字字体表とは微妙に変わっていました。
しかも旧字の「遷」は、カッコ書きにすら入っていなかったのです。昭和56年4月22日、民事行政審議会は、常用漢字表のカッコ書きの旧字355組357字のうち、当用漢字表に収録されていた旧字195字だけを、子供の名づけに認めることにしました。旧字の「遷」はカッコ書きに入っていないので、今後は子供の名づけには認めない、と決定したのです。
昭和56年10月1日、常用漢字表は内閣告示され、新字の「遷」は常用漢字になりました。同じ日に、旧字の「遷」は子供の名づけに使えなくなってしまいました。それが現在も続いていて、新字の「遷」は出生届に書いてOKですが、旧字の「遷」はダメなのです。
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【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)
京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
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