日本語社会 のぞきキャラくり 補遺第101回 帰属について

2015年 12月 20日 日曜日 筆者: 定延 利之

補遺第101回 帰属について

 ここで「帰属」と言うのは社会心理学の用語で,簡単に言ってしまえば事態を「何かのせいにする」ということである。何かのせいにするということは,因果を認めるということである。

 因果は予め与えられているようなものではない。この災害は天災か,それとも人災か。原因を天候の不良に求めるか,それを見逃した人間に求めるか,あるいは天候不良をカバーする技量を持たなかった人間に求めるかは,人間が判断しなければならない。桶屋の繁盛を単に桶の需要増の結果として満足するか,「風が吹けば桶屋が儲かる」の諺よろしく,風にまで原因を追い求めていくかも,同様である。

 因果をどう認めるかという問題は,デキゴトの輪郭をどう認めるか,どこからどこまでを一つのデキゴトとして認めるかという問題でもある。そしてそこには人間の心理が関わる。たとえば,或る人物の一連の行動(デキゴト)をビデオに収め,そのビデオを被験者に呈示して,そのビデオに映し出された行動を口頭で報告するよう求めた場合,その人物が被験者にとって上位者と設定されている場合は,下位者と設定されている場合よりも,報告の節の数が多いという実験がある(Darren Newtson 1976“Foundations of attribution”)。つまり同じ行動でも,下位者の行動として観察されれば「1つの行動」と粗くまとめられるものが,上位者の行動として観察されれば細かく分割され,「たくさんの行動の連鎖」になりやすい。

 英語なら“This experience taught John how to behave.”と1つの節で表すデキゴトが,日本語では「この経験はジョンに作法を教えた」と言っても何のことやらわからない。日本語では「こういうことがあって」「ジョンは作法が身についた」と2つの節で,2つの小さなデキゴトの因果として表すとよくわかる。よく「英語はどうこうスルの言語。日本語はどうこうナルの言語」と言われるが(寺村秀夫1976「『ナル』表現と『スル』表現」・池上嘉彦1981『「する」と「なる」の言語学』),こういう言語差は,帰属の言語差でもある。

 帰属にはまた別の面もある。或るデキゴトを「戦時下だったから」「何しろ突然のことで」のように状況に帰因させるか,それとも人物に帰因させるか。たとえば悪事に関わった或る人間については「不幸な境遇のあまり」と考える一方で,同じ悪事に関わった別の人間については「外国人がまたやった」と考えるとしたら,そこには我々の偏見が隠されていまいか,というのはこういう帰属の問題である。

 そして,帰属のこうした面に,新しく登場したのが「キャラ(クタ)」だと考えることもできるだろう。或るデキゴトを状況に帰因させず,人間に帰因させる場合,これまでは「〇〇人だから」「上流階級の人間だから」のような社会的な解答,「女だから」「幼いから」のような生物的な解答の他には,「こういう人格だから」「こういうスタイルをとっているから」という答え方しかなかった。そこに「こういうキャラ(クタ)だから」という新しい答え方が付け加わったということである。

 本編の最終回である第100回で,私は「帰属」について次のように述べた。

(1) ここで定義された「キャラ(クタ)」は,「スタイル」「人格」と併せて,本来的には「帰属(attribution)」という社会心理学的な観点からまとめ直せると私は考えている。だが,そのような試みに乗り出す余裕は少なくとも今の私にはない。

本編でまったく述べられなかった帰属について,きちんと述べるだけの余裕は相変わらずないが,今回これをごく僅かながら述べたのは,「キャラ(クタ)」研究の今後を私なりに思ってのことである。

 おまえの「キャラ(クタ)」研究は結局何の研究なのかと訊ねてくるような,物わかりの悪い,しかしエライ大先生は,「人物像の研究です」「人間の同一性の研究です」などと答えてもおそらくわかってはくださらないだろう。それで若い研究世代がメゲてしまって,キャラ(クタ)の研究を諦めてしまわないよう,一つの答え方を示しておきたいと思うのだ。大先生に「つまるところ,キミの「キャラ(クタ)」研究は,一体何の研究なのかね」と問われたら,たとえば「そうですね,帰属の研究と言うこともできると思います」と答え,大先生がなお不審げなら「帰属とは社会心理学の,Fritz Heiderのですね……」なんて,ケムに巻いてしまうのはどうかということである。

 一般の読者の皆さんには関係のない研究の話が,ついに前面に出てきてしまった。ここらがいい引き上げ時だろう。三省堂の荻野真友子様,木宮志野様,山本康一様,長い間ありがとうございました。市原佳子様,短い間でしたがありがとうございました。皆さん,ありがとうございました。良いお年をお迎えください。

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  英語版⇒An Unofficial Guide for Japanese Characters

【筆者プロフィール】

『日本語社会 のぞきキャラくり』定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「状況に基づく日本語話しことばの研究と,日本語教育のための基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)『日本語社会 のぞきキャラくり――顔つき・カラダつき・ことばつき』(三省堂、2011)などがある。
URL:http://web.cla.kobe-u.ac.jp/aboutus/professors/sadanobu-toshiyuki.html

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【編集部から】

このサイトでの連載「日本語社会 のぞきキャラくり」がもとになり、書籍として『日本語社会 のぞきキャラくり―顔つき・カラダつき・ことばつき』が刊行されてから一年後のこと、編集部たっての希望がかない、さらに「キャラくり」世界を楽しむべく、続編をご執筆いただくこととなりました。
このたび続編としての補遺の連載は終了となります。しばらくおきまして、新企画をと検討しておりますので、どうぞご期待くださいませ。


日本語社会 のぞきキャラくり 補遺第100回 弥勒について

2015年 12月 6日 日曜日 筆者: 定延 利之

補遺第100回 弥勒について

 紙媒体であれ電子媒体であれ、源義経や織田信長といった歴史上の人物が、少女マンガから抜け出たような美男子に描かれるということは、今では珍しくない。こうした「改ざん」はどのようにして生じるものなのかと、私は想像をたくましくしてしまう。どこかの画伯が「いかん、この顔のままでは萌えん!」と、敢えて史実に目をつぶり、確信犯的に腕をふるわれたものなのか。あるいは今風のイラストレータが「資料とかわかんねーし、こんな感じでイーンジャネ」的に、テキトーにでっち上げたものなのか。いずれにせよ、そこには「こういう言動をなした人物は、こういう風であってほしい~こういう風に違いない」という、我々の倫理観や美意識を組み込んだ人物イメージが反映されていると言えるだろう。

 話は変わるが、弥勒(みろく)とは、釈迦(現在の仏陀)が入滅した56億7千万年後の世に現れ、釈迦の次の仏陀になることが約束されている菩薩であるという。日本の広隆寺にある、ほっそりした気品のある弥勒像を見ると、そんなに待たなくても、今すぐ仏陀になっていただいてもいいのではないかと思えてしまうが、中国ではこうした弥勒像は見当たらない。中国にある弥勒像は、でっぷりと肥えたおっさんが膝を崩してニタラーと半裸で笑っている像ばかりである。弥勒の驚くべきキャラ変わりである。

 もちろん、これにはちゃんとした説明があるのである。つまり、日本では七福神の一人として知られる布袋(ほてい)が中国では弥勒の化身とされており、でっぷり太ったおっさんの像は、この化身の姿が弥勒として描かれたものらしいのである。

 だが、そういう説明は果たして十全な説明になっているのかと、私などは思ってしまう。日中の弥勒像がそれぞれ現在の形に至った歴史的な経緯は、何によるものなのか。「布袋=弥勒の化身」という中国の図式は日本の仏教界でも知られていないはずはないのに、そうした弥勒像が日本でちぃとも広まらなかったのはどういうわけだろうか。日本の弥勒像の、あのほっそりとした顔かたちは、どこの仏師がどのように、布袋様から確信犯的に目を背けて、あるいは単にテキトーに彫り上げられたものなのか。そこには「こういう尊いお方は、こういう風にであってほしい~こういう風に違いない」という我々の人物イメージが反映されていないだろうか。

 という風に、まったくの門外漢のくせに、キャラを切り口に、ついには宗教の世界にまで口を出し、仏像のありようを、最近の戦国武将ゲームなどのイラストと一緒くたに扱うという、バチ当たりなことをしているのである。それで仏罰テキメンというやつで、本編にそろえて補遺も連載100回目で終わろうと思っていたのが、終われなくなってしまっているのである。

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隔週日曜日の公開です。まもなく結びに向かいます。


日本語社会 のぞきキャラくり 補遺第99回 「役割語」について

2015年 11月 22日 日曜日 筆者: 定延 利之

補遺第99回 「役割語」について

 用語「キャラ(クタ)」のさまざまな意味合いを整理してきたが,実は「役割語」についても,同様の整理作業が必要になりつつある。

 今さらではあるが,おさらいをしておくと,もともと「役割語」とは金水敏氏によって作り出された用語で,次の(1)のように定義されていた。

(1) ある特定の言葉づかい(語彙・語法・言い回し・イントネーション等)を聞くと特定の人物像(年齢,性別,職業,階層,時代,容姿・風貌,性格等)を思い浮かべることができるとき,あるいはある特定の人物像を提示されると,その人物がいかにも使用しそうな言葉づかいを思い浮かべることができるとき,その言葉づかいを「役割語」と呼ぶ。

[金水敏2003『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』岩波書店, p.205]

この人物像は像つまりイメージであって,実際の人物ではない。金水(2003)のタイトルにある「ヴァーチャル」とは,ただこのことを指したものである。現代日本語(共通語)社会の住人でない「異人たち」(本編第76回第77回)を指したものではないということ,たとえば「チキュウジンニ告グ」のように抑揚のない平坦口調でしゃべる宇宙人や,「拙者~でござる」などとしゃべる侍を指して「ヴァーチャル」と言われたものではないということ,ご本人に確認済みである。

 そして,実際の人物は状況に応じて,実はしばしば,(ひそかに)人物像が変わっている。だからこそ私は,役割語を発する話し手像を「発話キャラクタ」として,キャラクタの観点から追求してきたのだった。

 だが,最近の金水氏のご講演(たとえば「キャラクター言語から役割語へ」2015年2月17日,於大阪大学)では,金水氏は「役割語」の定義を変更され,これまで「役割語」であったものの一部を,「役割語」ではなく西田隆政氏の「属性表現」(人物の全体像ではなく部分的な側面の表現。西田隆政2010「「ボク少女」の言語表現:常用性のある「属性表現」と役割語との接点」『甲南女子大学 研究紀要』第48号,文学・文化編,pp. 13-22)とされている。

 さあ,どうしよう? これまで「役割語」と呼んできたものを,今後は私も「役割語+属性表現」と呼び改めようか?

 うーん,まだお話を聞いただけの段階だし,結論を出すのは難しいなあ。「役割語(旧定義による)」と表記しても,読者は「へぇ,役割語には旧定義と新定義があるんだ。で,定延は新定義が気に入らないの? どこが? なぜ?」と疑問を抱くだろうし,結局あまりわかりやすくはならないだろうなあ。

 いっそ,「役割語」をやめてしまって,「キャラクタ発話」あるいは「キャラ発話」としようかなあ。

 ということで,「キャラ(クタ)」だけでなく,「役割語」についても,えらいこっちゃなのである。

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日本語社会 のぞきキャラくり 補遺第98回 3種の「キャラ(クタ)」について

2015年 11月 8日 日曜日 筆者: 定延 利之

補遺第98回 3種の「キャラ(クタ)」について

 ということで,ここしばらく,「キャラクタ」もしくは「キャラ」をめぐるさまざまな言説を概観してきたわけだが(補遺第78回以降),まとめてみると,これまでに少なくとも3種の異なる「キャラ(クタ)」があったということになる。

 第1種は英語”character”そのままの「登場人物」という意味の「キャラ(クタ)」である。ここでは,キャラ(クタ)が登場するはずの「物語」を作り手が用意しているか否かは問わないものとした(補遺第78回第80回)。ハローキティやポケモンのような商品化されたキャラ(クタ)や,いわゆる地方起こしのゆるキャラもこれに含まれる(補遺第94回第97回)。

 第2種は伊藤剛氏によるマンガ論での「キャラ」(Kyara)であり(補遺第81回第83回),これはマンガ世界内の人物のアイデンティティに関わる意味を持っている。この「キャラ」は多方面にわたって共感者・追随者を生み出したが,伊藤氏の「キャラ」観を真に厳密に継承した論考は意外に多くない(補遺第84回第87回)。(但し,伊藤氏自身が認められる,岩下朋世『少女マンガの表現機構:ひらかれたマンガ表現史と「手塚治虫」』(NTT出版,2013)のようなものは存在する。)

 そして第3種は私がずっと述べてきたもので,これは現実世界内の人物のアイデンティティに関わる意味,ひとことで言えば,状況に応じて変わる自己という意味を持っている。この「キャラ(クタ)」の大きな特徴は,(1)伝統的な人間観からすればタブー視される考え「人間は状況に応じて変わり得る」に基づいていること,そして,(2)研究者(私)の創作によるものではなく,日本語話者たちが日々の生活の中で,カミングアウトにより作り上げたものだということである。私はこれをそのまま専門用語として採用したに過ぎない(補遺第88回第93回)。

 但し,これまでに現れた「キャラ(クタ)」という概念が以上3種に限られるというわけではない。たとえば岡本裕一朗氏は「アイデンティティの確立よりも「キャラ」の使い分けが大事な時代なのではないか」という発言をされるにあたって(岡本裕一朗『12歳からの現代思想』筑摩書房,2010),「キャラ」を「フィクションとして演じられる役柄」とされている。瀬沼文彰氏の「キャラ」も(補遺第92回),これと近いように私には思われる。こういうものを「キャラ(クタ)」の第4種とすることも可能かもしれない。

 しかしながら,そうした「演じられる」そして「使い分けられる」意図的な概念を「キャラ」の1種として認め,必ずしも意図的ではない第3種と並置すれば,「キャラ(クタ)」をめぐる言説はますます錯綜してくるだろう。それに何より,岡本氏や瀬沼氏の「キャラ」論は,その「キャラ」を「第3種のもの。但し,特に意図的な場合」として読んでも,理解に支障をきたすようには思えない。そこでこれらは独立種とはせず,第3種の下位類と位置づけておく。詳しくは11月15日(日)の日本語文法学会大会パネルセッション「日本語とキャラ」で話したい(http://www.nihongo-bunpo.org/conference/conference/#2ndam)。

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日本語社会 のぞきキャラくり 補遺第97回 「ゆるキャラ」について(終)

2015年 10月 25日 日曜日 筆者: 定延 利之

補遺第97回 「ゆるキャラ」について(終)

 「ゆるキャラ」について最後に述べておきたいのは,商標登録されていない語「ゆるキャラ」の存在である。

 犬山(2012: 16)によれば,「ゆるキャラ」という語は2004年11月26日に,みうらじゅん氏と扶桑社の連名で商標登録されたという。このことが意味するのは,「ゆるキャラ」という語を商売に利用する場合は,しかるべき商標管理会社に申請し,語の使用料を払わねばならないということである。(但しみうら氏の意向により,地域振興を目的とする場合は使用料は免除されるという。)

 「ゆるキャラ」を語るに際して,私が真っ先にみうら氏の定義を挙げ,これを尊重しようとするのは,この商標登録のせいではない。それは,みうら氏が,この語(そして世の中の新しい楽しみ方)を作られ広められたからである。前回も述べたように,地方ゆえのゆるさは蔑まれ疎んじられるのが普通であり,それを「ゆるキャラ」として楽しむという道は,みうら氏によって切り開かれたと言える。私はみうら流の定義を尊重し,「ゆるキャラ」という語に「地方ゆえのゆるさを持ったキャラクタ(人物)」という意味があることを積極的に認めたい。

 だが,こうした尊重は絶対的なものではない。なぜならば,語は創造者1人だけのものではないからである。ちょうど「古い新聞」から「古新聞」を作り,「長いズボン」から「長ズボン」を作ったのと同じように「ゆるいキャラ」から「ゆるキャラ」を作る,という無数の日本語母語話者たちの自然な語形成を押しとどめることは誰にもできない。この語「ゆるキャラ」は商標登録されておらず,誰でも自由に発することができる。みうら氏自身,犬山秋彦・杉元政光によるインタビューの中で,この意味の「ゆるキャラ」という語を次の(1)のように発している。

(1) 「将来,ゆるキャラになりたいなあ」なんて誰も思わんでしょ。でも,「しょうがないなあ,こいつは」っていうとこにホッとすんだよね。

[みうらじゅん特別インタビュー,犬山秋彦・杉元政光『ゆるキャラ論:ゆるくない「ゆるキャラ」の実態』p. 392,ボイジャー,2012]

ここでみうら氏が発している「ゆるキャラ」は,地方性とは無縁であり(そう考えなければ「将来,ゆるキャラになる」という語句は意味不明になってしまう),「ゆるいキャラクタ」の意味と考えられる。

 90年代後半に一世を風靡したキャラクタ「たれぱんだ」を「ゆるキャラ」と呼ぶことを,犬山氏は「明らかな誤用」「間違い」と断じられている(犬山秋彦・杉元政光『ゆるキャラ論:ゆるくない「ゆるキャラ」の実態』, pp.11-12, ボイジャー, 2012)。この判断は,みうら氏の定義(地方ゆえのゆるさを持ったキャラクタ(人物))にしたがうなら,「たれぱんだ」には地方性がないので正しいということになる。だが,「ゆるいキャラクタ」を表す一般の合成語と考えるなら,結果はまた違ってくるだろう。

 もちろん,語「ゆるキャラ」が商売に利用される際には,みうら氏の定義だけが通用するということになるのだろう。だが,一般の言論においては,語「ゆるキャラ」には以上に記した2つの意味を認めるべきではないだろうか。

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日本語社会 のぞきキャラくり 補遺第96回 「ゆるキャラ」について(続々)

2015年 10月 11日 日曜日 筆者: 定延 利之

補遺第96回 「ゆるキャラ」について(続々)

 「ゆるキャラ」の,地方ゆえのゆるさというものは,たとえば次の(1)の秋山氏のように,否定的にとらえられるのが世間の常識だろう。

(1) キティの生みの親である清水さんも,美大で絵を学んだ人でした。その造形について,ちゃんと学んでいる。キャラクターは一見シンプルで簡単に見えますから,“誰でも描ける”と思いがちです。だから時々,田舎の町で“我が町のキャラクターを作ろう”というコンクールを開催したりする。募る側も,応募する側も安易に考えていますが,実際に集めてみると,とんでもないものしか集まらない。“いやいや困ったなあ”となるわけです。

[秋山孝『キャラクター・コミュニケーション入門』p.153, 角川書店, 2002]

このゆるさを敢えて楽しもうとするところは,みうら氏の真骨頂と言うべきだろう。最近のいわゆる「ゆるキャラ」がゆるくデザインされていないことを理由に「ゆるキャラはもう終わっている」と氏がインタビューの中で嘆かれているのは(犬山秋彦・杉元政光『ゆるキャラ論:ゆるくない「ゆるキャラ」の実態』p. 390,ボイジャー,2012),「ゆるキャラ」のゆるさを重視すればこそである。

 みうら氏にこのインタビューをおこなわれたはずの犬山氏が,着ぐるみという形態にこだわられるどころか,この「ゆるさ」の面を無視し,「ゆるキャラ」を地方性の面だけで語られているのは,したがって不可解と言わざるを得ない。犬山(2012)では,「ゆるキャラ」は次の(2)のように定義されている。

(2) 「ゆるキャラ」の定義とは,いったい何なのか?
 説明するのは意外と難しい。ひと言で表現するなら「特定の地域を宣伝するために製作されたキャラクター」ということになるだろう。

[犬山秋彦「はじめに ゆるキャラとは何か」犬山秋彦・杉元政光『ゆるキャラ論:ゆるくない「ゆるキャラ」の実態』p.11, ボイジャー, 2012]

犬山氏がみうら氏の定義をご存じないはずはない。だが,「本来の定義」としてみうら氏の定義(3)を引用するに際して,

(3)  ゆるゆるのキャラクターを「ゆるキャラ」と呼ぶことにした。ちょっと待って,ゆるキャラの皆さん,怒らないでよく聞いて。
ゆるキャラとは全国各地で開催される地方自治体主催のイベントや,村おこし,名産品などのPRのために作られたキャラクターのこと。特に着ぐるみとなったキャラクターを指す。日本的なファンシーさと一目見てその地方の特産品や特徴がわかる強いメッセージ性。まれには,郷土愛(ラブ)に溢れるが故に,いろんなものを盛り込みすぎて,説明されないと何がなんだか分からなくなってしまったキャラクターもいる。キャラクターのオリジナリティもさることながら,着ぐるみになったときの不安定感が何とも愛らしく,見ているだけで心が癒されてくるのだ。

[みうらじゅん『ゆるキャラ大図鑑』pp.2-3, 扶桑社, 2004]

犬山氏は(3)の第2段落の第1文と第2文のみを挙げ,第1段落を無視されている(犬山 2012: 13)。もしそれが,みうら氏の挙げる「ゆるさ」が「主観的で曖昧なもの」で「数値化はもちろんのこと,客観的な評価基準を示しにくい」(p.14)からだとしても,「(みうら氏の――定延注)定義などはじめから存在しないのだ」(p.15)とされるのは,どうにもいただけない。辞書作りに興味を持っていたり,ことばの意味を定義する作業に慣れ親しんでいたりするこのwebページの読者には,「主観的で曖昧で客観的な評価基準を示しにくいから定義は無効」という論理の不当性は改めて説明するまでもないだろう。(さらに続く)

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日本語社会 のぞきキャラくり 補遺第95回 「ゆるキャラ」について(続)

2015年 9月 27日 日曜日 筆者: 定延 利之

補遺第95回 「ゆるキャラ」について(続)

 前回は「ゆるキャラ」について命名者・みうらじゅん氏の定義を紹介し,「ゆるキャラ」が物語を必ずしも伴わずに制作されるということを述べた。だがこの話は,「キャラクタ(ここでは登場人物の意)にとって,登場すべき物語は本当に必要か?」という問題意識のもとで述べたこと(補遺第78回第79回第80回)と重なっている。なぜ重なったかというと,今さらではあるが,「ゆるキャラ」の「キャラ」とは伊藤剛氏・相原博之氏・瀬沼文彰氏・土井隆義氏・暮沢剛巳氏らの言われる専門語「キャラ」や私の言う専門語「キャラ(クタ)」ではなく,いわゆる登場人物を指す一般語「キャラクタ」の略語だからである。

 いかんいかん,話が重なってしまった,というわけで,「ゆるキャラ」独自の話をしよう。みうら氏の「ゆるキャラ」の定義を(1)に再掲する。

(1)  ゆるゆるのキャラクターを「ゆるキャラ」と呼ぶことにした。ちょっと待って,ゆるキャラの皆さん,怒らないでよく聞いて。
 ゆるキャラとは全国各地で開催される地方自治体主催のイベントや,村おこし,名産品などのPRのために作られたキャラクターのこと。特に着ぐるみとなったキャラクターを指す。日本的なファンシーさと一目見てその地方の特産品や特徴がわかる強いメッセージ性。まれには,郷土愛(ラブ)に溢れるが故に,いろんなものを盛り込みすぎて,説明されないと何がなんだか分からなくなってしまったキャラクターもいる。キャラクターのオリジナリティもさることながら,着ぐるみになったときの不安定感が何とも愛らしく,見ているだけで心が癒されてくるのだ。

[みうらじゅん『ゆるキャラ大図鑑』pp.2-3, 扶桑社, 2004]

第1段落は「ゆるキャラ」のゆるさを,第2段落は「ゆるキャラ」の地方性を述べたもので,まとめると,地方ゆえのゆるさが「ゆるキャラ」の定義の中核概念と言えるだろう。

 みうら氏は第2段落では着ぐるみという形態にも触れられており,これも「ゆるキャラ」であるための前提と犬山秋彦氏は見なされる(犬山秋彦「はじめに ゆるキャラとは何か」犬山秋彦・杉元政光『ゆるキャラ論:ゆるくない「ゆるキャラ」の実態』pp. 13-14,ボイジャー,2012)。だがここでは,着ぐるみという形態をとることは「ゆるキャラ」の定義には含まれないと判断しておきたい。

 というのは,一つには,犬山氏が杉元政光氏とおこなったみうら氏へのインタビューの中で,みうら氏が「立体化しなくても,イラストだけで「ゆるキャラ」っていう考え方もある」と述べられているからである(特別インタビュー 犬山秋彦・杉元政光『ゆるキャラ論:ゆるくない「ゆるキャラ」の実態』p. 386,ボイジャー,2012)。

 また,みうら氏は別のところでも(2)のように,

(2) “ゆるキャラ”というのは決してミッキーではなく,決してキティではない,地方自治体が生み続けている,それはそれはゆる~いキャラクターのこと。

[みうらじゅん『キャラ立ち民俗学』角川書店, p. 85, 2013]

「ゆるキャラ」を地方ゆえのゆるさという形で,そして「着ぐるみ」への言及なしで紹介しているからである。(続)

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【筆者プロフィール】

『日本語社会 のぞきキャラくり』定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「状況に基づく日本語話しことばの研究と,日本語教育のための基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)『日本語社会 のぞきキャラくり――顔つき・カラダつき・ことばつき』(三省堂、2011)などがある。
URL:http://web.cla.kobe-u.ac.jp/aboutus/professors/sadanobu-toshiyuki.html

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【編集部から】

このサイトでの連載「日本語社会 のぞきキャラくり」がもとになり、書籍として『日本語社会 のぞきキャラくり―顔つき・カラダつき・ことばつき』が刊行されてから一年後のこと、編集部たっての希望がかない、さらに「キャラくり」世界を楽しむべく、続編をご執筆いただくこととなりました。
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日本語社会 のぞきキャラくり 補遺第94回 ゆるキャラについて

2015年 9月 13日 日曜日 筆者: 定延 利之

補遺第94回 ゆるキャラについて

 さまざまな論者の「キャラ(クタ)」をめぐる話が続いているが(補遺第78回~),大事なものを忘れていた。「ゆるキャラ」である。

 「ゆるキャラ」という語はみうらじゅん氏が作られて世に広まったという。みうら氏による「ゆるキャラ」の定義を(1)に挙げる。

(1)  ゆるゆるのキャラクターを「ゆるキャラ」と呼ぶことにした。ちょっと待って,ゆるキャラの皆さん,怒らないでよく聞いて。
 ゆるキャラとは全国各地で開催される地方自治体主催のイベントや,村おこし,名産品などのPRのために作られたキャラクターのこと。特に着ぐるみとなったキャラクターを指す。日本的なファンシーさと一目見てその地方の特産品や特徴がわかる強いメッセージ性。まれには,郷土愛(ラブ)に溢れるが故に,いろんなものを盛り込みすぎて,説明されないと何がなんだか分からなくなってしまったキャラクターもいる。キャラクターのオリジナリティもさることながら,着ぐるみになったときの不安定感が何とも愛らしく,見ているだけで心が癒されてくるのだ。

[みうらじゅん『ゆるキャラ大図鑑』pp.2-3, 扶桑社, 2004]

ここに現れている「ゆるい」とは,鋭敏な印象を与えず人をなごませる意の俗語である。このうち第1段落では「ゆるキャラ」が「ゆるゆるのキャラクター」のことだとされている。また,第2段落では「ゆるキャラ」が地方自治体主催のイベントや,村おこし,名産品などのPRのために作られたものとされている。

 第2段落から察せられるのは,「ゆるキャラ」が,登場すべき物語を必ずしも伴わずに制作されるということである。何かをPRすべきキャラクタの設定が変に凝っていて,自身の物語など持っていたりすると,そっちの方に目移りがして,PR対象がぼやけてしまいかねない。

 たとえば,「すだちくん」である。今でこそすだちくんは,さまざまな人々に出会い,徳島県の名産・すだちに限らず徳島県の全体をPRするという日々の活動によって自ら物語を作りだし,それをツイッターで語っているが(https://twitter.com/sudachikun_offi),デビュー(1993年の東四国国体,みうらじゅん『ゆるキャラ大図鑑』p.262, 扶桑社, 2004)の時点では,すだちくんには何の物語も与えられていなかった。「地方自治体主催」という枠からは外れるが,オリンピックのキャラクタなどにも同じことが言えそうだ。

 だが,物語と共に制作される「ゆるキャラ」もないわけではない。たとえば,「アナグリ男」である。

 アナグリ男とは何か? これは,シソウシの根本問題に関わる「ゆるキャラ」である。

 シソウシと言うと,多くの読者は「思想史」としか思われないだろう。ここに兵庫県宍粟(しそう)市の悲劇がある。同市の名称は一般に馴染みがなく,「宍」(し)は「穴」(あな)に,「粟」(そう)は「栗」(くり)に間違えられてしまう。結果,「宍粟市」(しそうし)はしばしば「穴栗市」(あなぐりし)と読み違えられ,書き違えられる。これがシソウシの根本問題である。宍粟(しそう)市はこの問題を解決しようと,市政10周年を迎えた2015年4月1日には,「宍」と「穴」の違い,「粟」と「栗」の違いを強調したイメージロゴマークまで作成したというが(http://www.sankei.com/west/news/150324/wst1503240036-n1.html),それで「穴栗市」という間違いが一掃されたという話は聞かない。

 どうしてこんなことになってしまったのか。それはきっと,アナグリ男のしわざなのだ。アナグリ男とは宍粟市を「穴栗市」に変えてしまおうとする怪人である。宍粟市は千葉県の匝瑳(そうさ)市と難読市タッグを組み,アナグリ男を退治するショーをおこなったという。

 と,このような具合に,「ゆるキャラ」の中には,物語(宍粟市を「穴栗市」に変えてしまおうとするが倒される)を背負って誕生するものもあるのである。(続)

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【筆者プロフィール】

『日本語社会 のぞきキャラくり』定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「状況に基づく日本語話しことばの研究と,日本語教育のための基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)『日本語社会 のぞきキャラくり――顔つき・カラダつき・ことばつき』(三省堂、2011)などがある。
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日本語社会 のぞきキャラくり 補遺第93回 アイデンティティについて

2015年 8月 30日 日曜日 筆者: 定延 利之

補遺第93回 アイデンティティについて

 ここ一週間ほど,ブラジルのサンパウロ大学で日本語に関する学会に参加していた。講演者としてご招待いただいたのだが,そこでは日本語の継承に関する講演や発表を多く聞いた。

 北米では,日系一世から二世,そして三世と世代が進むと日本語はほぼ失われてしまうが,ブラジルでは日本語の継承が盛んで,二世や三世の中にも日本語が比較的頑健に残っているという(坂本光代氏)。また,隣国ペルーにも,進んで日本語を学び話そうとする日系人がいるらしい(阪上彩子氏)。こうした日本語の継承は,「自分とは何者なのか」という意識と強く関わっているようだった。

 このような内容を反映して,学会では「アイデンティティ」という語を何度も耳にした。タイトルに「アイデンティティ」を含む発表もいくつかあった。もちろん,「アイデンティティ」なんてもはや死語じゃないのという意見も会場では聞いたし,アイデンティティの確立よりもキャラ(フィクションとして演じられる役柄)の使い分けが大事な時代なのではという話も私は承知している(岡本裕一朗『12歳からの現代思想』筑摩書房,2010,補遺第89回)。だがそれでも,異なる言語文化圏のはざまに生まれた人間が,自らの帰属先を気にせず無頓着でいられるわけでは必ずしもなく,むしろそれをことさら気にして追い求める(追い求めざるを得ない)場合もあるということを,(司馬遼太郎『八咫烏(やたのからす)』のようなフィクションとしてではなく)現実のものとして,少しでも具体的に知ることができたのは私にとって収穫だった。

 キャラクタを論じるにあたって,これまで私は「アイデンティティ」ということばを原則として封印してきた。例外は,「キャラクタ」と類似するが異なる概念として,「社会的アイデンティティ」に触れたことぐらいである(本編第37回)。なぜこのような素っ気ない態度をとってきたのかと言えば,「アイデンティティ」ということばを持ち出すことで事態がすっきりと見えてくるわけでは全くなく,「アイデンティティ」という概念の本質的なとらえどころのなさゆえに,かえって話が混沌としてしまうと思われたからである。この考えはいまも変わっていない。だが,もし仮に「アイデンティティ」という概念をおそるおそる導入するなら,私の「キャラクタ」論は,現実世界における人物のアイデンティティ論の一部におさまると言えるだろう。

 ここで話は唐突に伊藤剛氏の「キャラ(Kyara)」論に戻る。マンガを理解するには「コマAで描かれているこの登場人物と,コマBで描かれているこの登場人物は同一の人物だ」といった認識が必要である。この認識を追求された伊藤氏の「キャラ(Kyara)」は,マンガ世界における人物のアイデンティティ論の基礎概念と位置づけることができる。 私の「キャラクタ」と伊藤氏の「キャラ(Kyara)」は別物だが,人物のアイデンティティに関わるという一点において両者は通底している。

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神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
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著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)『日本語社会 のぞきキャラくり――顔つき・カラダつき・ことばつき』(三省堂、2011)などがある。
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日本語社会 のぞきキャラくり 補遺第92回 瀬沼文彰氏との対談について

2015年 8月 16日 日曜日 筆者: 定延 利之

補遺第92回 瀬沼文彰氏との対談について

 スロベニアの英文オンラインジャーナルACTA LINGUISTICA ASIATICAのキャラ特集号では(前回),役割語研究の金水敏氏をはじめ,さまざまな方に執筆をお願いしている。執筆陣の中に,言語学系の読者にとって馴染みがない異色の存在があるとすれば,それは瀬沼文彰(せぬま・ふみあき)氏だろう。

 瀬沼氏は『キャラ論』(STUDIO CELLO,2007年)やその改訂版『なぜ若い世代は「キャラ」化するのか』(春日文庫,2009年)の著者である。吉本興業でお笑い芸人として活動された経歴を持ち,笑いの観点から若者のコミュニケーションを観察しつつ,キャラを社会学的な方面から追求されている。多くの論者が「若者はグループ内で自分のキャラが他人のキャラとかぶることを忌避する」と異口同音に述べる中で,瀬沼氏は若者を対象とした自身のアンケート調査で「キャラのかぶりは気にならない」という回答が過半数を占めたことなどをまず直視され,独自の考察を展開されている。私が氏に特に興味を持ったのは,こういうわけである。

 2014年6月15日(日),私は瀬沼氏と都内の或る会議室で,こっそりと対談の場をもった。前宣伝は一切なし。オーディエンスはごく身内の10人足らず。なぜこっそりか? だって,もし2人の話が全然かみ合わなかったら,はずかしいではないか。

 伊藤剛氏が「「キャラ」と「キャラクタ」を分ける」と宣言されて以来(『テヅカ・イズ・デッド:ひらかれたマンガ表現論へ』NTT出版,2005年),世にどっとあふれ出たさまざまな「キャラ論」から,私が完全に出遅れていたとは思わない。私が関西言語学会第29回大会でワークショップ「発話キャラクタと会話音声」を企画・実施したのが2004年のことであり(2004年10月30日,於京都外国語大学),2005年には拙著で(『ささやく恋人,りきむレポーター:口の中の文化』,岩波書店),2006年には拙論(「ことばと発話キャラクタ」『文学』7-6,117-129,岩波書店)で,キャラクタに関する自分の論考を部分的ながらまとめてもいる。

 だが,なにしろフィールドが違いすぎた。マンガ論・ポストモダン社会論・若者コミュニケーション論・精神分析・商品開発論などに携わっているキャラ論者たちは当然ながら私の研究を参照などしてくれないし,私の方もコミュニケーション論・言語論にキャラ(クタ)概念を導入するのに忙しく,それらのキャラ論に言及する余裕はとてもなかった。自身の考えを100回の連載を通じて著書にまとめ(『日本語社会 のぞきキャラくり:顔つき・カラダつき・ことばつき』三省堂,2011年),補遺の連載が60回を越えたあたりでようやく,より広い領域に向けて一歩前進する余裕が出てきた。そこで「瀬沼さんとならフィールドが近そうで、お話しできるのでは?」と思って、対談を申し込んだ次第である。

 もしも瀬沼氏が「なに,ワシの『キャラ論』をはじめ、先行するキャラ論に何ら言及しとらんとは,けしからーん!」と激昂されたり,あるいは社会学的には意味を持つものの,私にはさっぱり意味不明の言説をまくし立てられたりしたらどうしようと心配していたが,この心配は杞憂に終わった。瀬沼氏は私の考えを実に柔軟に,しかも鋭く受け入れてくださり,私も氏の考えをより深く学ぶことができた。何よりも,私のような言語・コミュニケーション論的研究と瀬沼氏のような社会学的研究はつながり得るものだという感触を得られたのが大きかった。

 というわけで,キャラ特集号では瀬沼氏にも執筆をお願いしている。

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  中国語版⇒角色大世界――日本
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【筆者プロフィール】

『日本語社会 のぞきキャラくり』定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「状況に基づく日本語話しことばの研究と,日本語教育のための基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)『日本語社会 のぞきキャラくり――顔つき・カラダつき・ことばつき』(三省堂、2011)などがある。
URL:http://web.cla.kobe-u.ac.jp/aboutus/professors/sadanobu-toshiyuki.html

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