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漢字の現在:皇帝が書かせた手書きの『康煕字典』―後編

2017年 5月 15日 月曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第300回 皇帝が書かせた手書きの『康煕字典』―後編

 かくして、乾隆帝の勅令によって書き写して叢書に収められた康煕帝勅撰の漢字字典『康煕字典』を、早稲田の図書館に籠もり、重たい写真版を10冊以上抱えて来て、改めてそういう眼で閲覧してみた。さすがに、小楷の名手が筆を執り、歴代の書写体を交えて記した序文ほどの自由さはなく、本文の楷書は、ある程度明朝体の字体に従おうとしている。しかし、示された画数というものに触れるほどの筆法、さらに字体の差も生じている。もともと金代以来、画数の数え方というものは必ずしも定まっておらず、その基準には怪しいものがあった。この字書の殿版でさえも、そういう箇所が散見される。

 「四庫全書」の大もとである文淵閣版を開いているその時、ふとあるページが目に止まった。講義の前でゆっくりしてはいられない時だったが、目の隅にぼんやりと飛び込んできたのである(図)。面白い用例は、ある段階に至ると、向こうから飛び込んでくる、そんなようなことも起こる。「仏」の異体字「𠏹」の類を必死になって集めていた学部時代の出来事で、そう感じるようになった。

文淵閣版「辵部」

(クリックで拡大表示)

 「辵(ちゃく)部」、すなわち「しんにょう」(しんにゅう)の字が並ぶ丁で、右側の面では、見出し字のしんにょうの点が1つしかない。そして版心に当たる柱の部分を挟んで、左側の面では、しんにょうの点が2つになっているのだ。

 辵部では、ここがターニングポイントとなって、点の数が分かれている。影印に、加筆がなされるケースが時折見られるが、ここではそんな形跡は見当たらない。本文の小さい字では、ウラ面の最初だけ2点で書いたものの、狭いためか一つの点に戻って、それで済まされ続けているようだ。小さい字は略字で書くということは昔から今に至るまで、一部で行われてきた。その左右の面では、筆跡が僅かに異なっているようにも感じられるが、仔細に見れば同じ人の字であろうと考えられる。微かな筆致の違いは、たとえば一人の筆耕の休憩時間の前後によるものだろうか。

 つまり、ちょうどこの1丁(ちょう)すなわち1枚の紙の右左つまりオモテからウラへの変わり目で、点の数をきれいに切り替えたのだろう。これが誰かの指摘によるものか、当人の気まぐれかはわからないが、仮にミスと意識されれば、また校閲者によるチェックによって、はねられれば、当然紙を換えて書き直しとなっていたはずだ。なお、元となったはずの殿版では、もちろん「辶」で一貫している。

 後者は、手書きでは間違いとされることも時折あった。ISO/IECの国際会議に行っていた頃、「辶」と「(辶-丶)」だったかその下が揺れた形だったかを、部首としては区別してともに採用すべきとの提案が中国か韓国辺りからなされ、日本のJISの包摂とは異なる基準に、心中穏やかではなかった。

 1つの点と2つの点では「氵」と「冫」のような違いがありそうだ、別々の由来をもつ字だったのでは、などと述べる学生たちもいる。2つの点を打って、その下の縦線を揺する形は、楷書として良くないという議論を20年ほど前にJISの委員会で耳にしたが、それは早計、即断ではと感じ、それ以来、用例を集めてきた。

 何のことはない、顔真卿など歴代の人々もしばしば書いてきたし、石碑や法帖、宋版などにもいくらでも彫り込まれてきた。「辵」(図版の右端はこの字体を繞(にょう)とする)からの草書的な要素を含む変形として、また点画の構成として違和感は残るとしても、2点を打って下部を折り曲げる筆法は、それなりに書写の伝統を有し、習慣の一つとして認めざるを得ない、と分かってきた。現代人は現代人で、個々に活字体からの類推という別の動機によるものが多いとはいえ、同じ字形が広く保持されている。どちらも同じものとして追認せざるをえない。

 さまざまな教科の試験でいずれかを答案に書いて、誤答扱いされることさえ教育現場では起きてしまっている。これでは子供が浮かばれない。そういう認識を抱いており、「常用漢字表の字体・字形に関する指針」にも盛り込まれる結果となった(ただ、1981年以前の表内字については、点2つで書くことは常用漢字には合致しない)。

 楷書体では「しんにょう」は、一点しんにょうがよいのか、二点しんにょうがよいのかは、しばしば人を熱くさせるテーマであった。私も、成り立ちから初めていろいろと理屈を説いて例を示して記してきた。この1枚の図版は、そういうことはどちらでもよい、という事実を、身を以て示してくれている。画数さえも気にならなくなるだろう。一目でこだわりを解消させる力を持つ、説得的な実例といえるように思えるが、いかがだろうか。

 つまり、国家公務員試験である科挙をはじめとする中国社会の識字者の字形に関しては、手書きに対して最も神経質な王朝となった清代においてさえも、しんにょうの点の数など、「どちらでもよかった」のである。勅撰の叢書『四庫全書』に収められた勅撰の字書『康煕字典』は、それを静かに、しかも雄弁に語ってくれていたのであった。

 

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【筆者プロフィール】

『漢字の現在』 『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)

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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「皇帝が書かせた手書きの『康煕字典』―前編」でした。

この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

漢字の現在:皇帝が書かせた手書きの『康煕字典』―前編

2017年 5月 8日 月曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第299回 皇帝が書かせた手書きの『康煕字典』―前編

 「四庫全書」を調べ直してみようと思った。

 これは、清朝の勅撰の一大叢書であり、世界史の教科書にも登場する。時の乾隆帝が、全国から書籍を取り寄せて、学者たちに選りすぐらせたものである。原本は接収して、提供者には写本を返したと聞く。清朝に都合の悪い内容を検閲したため、禁書に指定して焼いたり、本文の字を別の字に改変したりすることもあった。

 中国の学者の中には、手っ取り早くこれを用いて調べごとを済ませるだけでなく、論考に本文をそこから引用する人までいる。電子版も流布しており、そこには誤入力もあるのだが、とにかく3500点余りの典籍に記された延べ10億文字がすでにデータとして打ち込まれているので、全文検索が可能となり、画像もわりと簡単に入手できるためであろう。さらに、これを包含して余りあるデータベースも、すでに刊行されている。

 文献学を学べば、あるいは文献研究をしている人と話すと、これは写本として政治色を帯びているため、研究用の資料としては使わない方が良いという話を繰り返し聞く。私もそう習ったため、その巨体をどこか軽蔑するような目で、そこにしかないときには仕方ない思いで扱っていた。

 しかし、この叢書は、その性質をよく理解した上で扱うならば、実に多くの未開拓の情報に満ちていることを教えてくれると気づいた。

 その統治のためのテキストの改変などの政治色については、最近、集中的に調べたことをまとめた小著『謎の漢字』に触れた。本を執筆し、刊行するとなると改めて勉強し、情報を整理しなくてはならず、そしてその過程で新しいことも次々と分かる。そこから新たな疑問も次々と派生し、新規の課題にも恵まれる。謎は謎を呼ぶのだ。解決のためには、また図書を読み、足を運んで調べていかなくてはならない。それは、今も続いている。

 「四庫全書」の政策的な面にも面白味があるのだが、公式な書籍としてこれを見たときに、もっと興味深い事実が次々と顔を出すのである。こうした文献も、資料性をふまえたうえで検討をしていかなくてはなるまい。以前、「龍」の伝承古文について、一つの字形が書籍や写本に転記されていく中で、何がどのように、どこまで変化していくのかを追って、『墨』誌に連載したときから、これは楷書でも、と感じ始めていた。そして最近、とみに気になってきた。

 「四庫全書」は、手書きによって書写、編纂された叢書であり、そこから活字にされた聚珍版と呼ばれる書物はごく一部に過ぎない。文淵閣本に対して副本が作られ、7種類も中国各地に配置されたが、清末の数々の騒乱によって半分以上がこの世から失われてしまった。

 いま日本では、文淵閣本、文津閣本、そして編纂過程で作られたダイジェスト版の「四庫全書薈要(かいよう)」の影印版を、図書館で閲覧することができる。ネット上や書籍でも、それらの一部を見ることはできる。膨大な資料に飛び込む環境ならば、実は整っている。

 先日、白川静記念東洋文字文化賞の授賞式のために、立命館大学に伺った。地味な調査研究にも励ましを与えて下さる方々には感謝するばかりである。衣笠キャンパスに向かうバスの車内では、そういうものがないかと探していた用例がたまたま見つかった(図)。

バスの車内で 「つぎ止まります」「次とまります」

「つぎ止まります」「次とまります」

表記の不統一、表示を制作した会社の違いと言えばそれまでだが、どうして「次止まります」「つぎとまります」としないのか。読みやすくしてあげようという配慮が、そこに感じられないだろうか。

 空が広いキャンパスは、高校時代に憧れた時計台のほかに、新設の図書館があり、そのガラス越しの吹き抜けに面して、「四庫全書」の一本が書棚一杯に堂々と配架されていた。中国の温家宝氏から寄贈されたものだそうだ。表彰式のあと、後ろ髪を引かれながら一旦会場を離れ、そこへと向かった。

 見慣れた文淵閣本と比べると、冒頭に付された提要が古く、総編纂官の紀昀(きいん)の直しが入っていないものかと、興味を引かれる。清代ともなると資料がたくさん残されており、これも朱で書き込まれた原稿が残され、刊行されている。私は、学部は中国文学専修だったので懐かしいが、国字を研究するには漢文・中国語と漢字を広く捕捉しておくことが前提となるわけで、細々とだが膨大な漢籍を調べることも続けている。

 これらは、清朝に最盛期をもたらした皇帝である乾隆帝が編纂を命じ、みずから閲覧(御覧)したものである。つまり勅撰であり、さらに小著に記したとおり、漢字の字形にうるさいこの皇帝が、完成後も目を光らせていた本である。当時の科挙を受けたり、合格したりした人たち数千人の筆になる筆跡が、その紙面に残されているわけであり、当時の公的な字体・字形を反映していると見ることができる。

 実は、この叢書には、康煕帝が編ませた『康煕字典』まですっぽりと収められている。類書(百科事典)もそういうことをしてきたが、大部の字書まで取り込むのはさすが国家規模の叢書である。よく旧字体のことを「康煕字典体」のように呼ぶが、それは直接には明朝体のような書体で版本に印刷された字体を指す。「四庫全書」の編纂時には、おそらく殿版つまり内府本の『康煕字典』(1716)を眺めながら、一字一字書写されたのだろう。つまり、清朝の役人やそれに準ずる筆耕たちが毛筆で書いた『康煕字典』の字形、という唯一無二の価値を有するのである。最近まで、その存在や意義をきちんと認識していなかったのだが、やっと小著を執筆する中で、そこに思い至ることができた。(つづく)

 

付記 台湾の故宮博物院図書館には「四庫全書」と「四庫全書薈要」に『康煕字典』があるという言及が谷本玲大氏の「康煕字典DVD-ROM解説・マニュアル」(2007)と、それに基づく「概説康煕字典」(2015)に見られた。それらは、中国での先行研究より、北京の故宮博物院に、殿版に基づく、印刷本と見紛うばかりの出来映えとされる康煕年中内府朱墨精抄本があるとの指摘を引く。康煕帝は、一旦献上された『字典』に納得がいかずに、追補を命じたとされるが、それがどの時点のものか、気になるところである。

 

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『漢字の現在』 『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)

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漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「河津の「滝」(たる)の歴史」でした。

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漢字の現在:河津の「滝」(たる)の歴史

2017年 2月 13日 月曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第298回 河津の「滝」(たる)の歴史

 前回の『豆州志稿』を明治期に活字に組んで刊行した『増訂豆州志稿』巻6-46オにも、似ている記述が確かめられた。ここでは、「大瀑(オホタル)」「初景瀑(シヨケイタル)」「釜瀑(カマタル)」の3つの「瀑」の字にタルという振り仮名が付されている。そして、「方言瀧ヲたるト呼フ蓋(けだし)垂(タ)ルヽ義也」とある。

(画像は一部を切り取ったものです。
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国立国会図書館デジタルコレクション『増訂豆州志稿 巻之6』「瀑布」についての箇所(国立国会図書館ウェブサイトから転載)
国立国会図書館デジタルコレクション
『増訂豆州志稿 巻之6』より
「瀑布」についての箇所の一部
(国立国会図書館ウェブサイトから転載)

 そうすると、「エビ滝」は、明治以降、資料があまりないのだがことによると戦後の命名かもしれない。

 こういう少しの好奇心と比較的簡単な調べさえあればある程度の情報が手に入る時代になった。そういう便利な時代あって、歴史と地理と言語にまつわる事実を、もっと観光に活かしたらよいのにと、もったいなく思う。

 

人間文化研究機構国文学研究資料館『豆州志稿』より248コマめ
「大瀑布」の「瀑布」の字の右側に、「タル」と振り仮名がある。また、「方言ニタキヲタルト云盖シ垂(タルヽ)ノ義也」とある。

人間文化研究機構国文学研究資料館『豆州志稿』より249コマめ
「洞山瀑布」の「瀑布」の字の右側に、「タル」と振り仮名がある。

国立国会図書館デジタルコレクション『増訂豆州志稿 巻之6』(46オは47コマめ)
「大瀑(オホタル)」「初景瀑(シヨケイタル)」「釜瀑(カマタル)」の3つの「瀑」の字にタルという振り仮名が付されている。「方言瀧ヲたるト呼フ蓋垂(タ)ルヽ義也」との記述もある。

 

 路線バスを待って、駅まで向かう。修善寺へと行くバスも出ている。途中のバス停名も、新鮮だ。「冷水(ひやみず)」なんて地名は、聞いた覚えがなかった。看板もあれこれと目に入る。「鈑金」はもとの「板金」とともに日本中で見かけ、地域性のない位相表記、位相文字のようだ。

 「古笹原商店」がある。「古笹原」は名字だろうか。笹原温泉もあるそうなので、地名から来たものだろうか。「美よし」は、旅館、割烹、飲み屋、小料理店にありがちな頭文字を漢字、それ以外を平仮名にするという表記法で、「川ばた」、逆に「いし田」などもある。メモに写しながら、「美」も「よし」と読める(美子など)、「三好」あたりを良い意味の字(佳字)に、そして料理店らしく役割表記的に変えたものか、などと想像してみる。「美美」とも当て字で書けることを前提に、一つを活かして。あるいは一つずらしてこの表記に決めたのだろうか。いや直感的に一瞬のうちに決めたのかもしれない。もしかしたら画数占いで、なんていう決め方も今はありそうだ。

 最初、ひらがなで、「だるだるだんだん橋」を見たときには、意味が読み取れなかった。「滝々段々橋」という表示板を見て、漢字があったのか、と思い、家でパンフレットを整理していたときにきちんと意味もつかめた。あれらの滝が流れる川の名は、一度も見聞きしなかったが、もらった観光パンフレットで確かめたところ、本谷(ほんたに)川だった。「谷」はヤではなくタニだ。その下流は、河津川のようで、カワの重なりが多少気になる。しかし各地に大川川、中川川、小川川などもあり、その英語名はと考えると、この辺りはそういうものと考えることもできそうだ。

 「七滝茶屋」「釜滝茶屋」などの店や「七滝高架橋」、「大滝温泉」「七滝温泉」、「谷津(やつ)温泉」などもあった。帰宅後に、もらったパンフレットを眺め返して気づくことは、予習不足で面倒くさがりの身には多い。今回初めて、伊豆半島の中央部にまで旅行に出かけていたのだった。

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漢字の現在:河津の「滝」(たる)

2017年 2月 6日 月曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第297回 河津の「滝」(たる)

 この地の7つの滝の中でいちばん大きな滝である大滝(おおだる)は、落石があって、今は見られないとのことだった。踊り子の像も、母の古い記憶の通りにあった。川端康成は、伊豆の観光業にもたらした功績も実に大きい。伊豆に宿泊し、また住居を構えた文士たちの遺産があちこちにある。

(画像をクリックすると全体を表示します)
小水力
小水力
猪(けものへんの形が少し気になるが、問題ないだろう)
猪(けものへんの形が少し気になるが、
問題ないだろう)
猪汁
猪汁
天城峠
天城峠

 熱海には、文机に傷を付けては苦しみ、熟字訓や造字などに至る彫琢を一字一句に凝らした尾崎紅葉も足跡を残している。「金色夜叉」を読んだことがない人でも、貫一、お宮の像を見ると名台詞とともに感慨に耽ったものだが、最近、大学生たちには知らないという人が増えてきた。いまは文学史で少し覚える程度なのかもしれない。

 河津七滝は、吊り橋と階段が続き、もう川辺を歩くのは十分だった。「七滝温泉ホテル」を含め、ここでは「滝」ばかり書かれているため、旧字体の「瀧」は「ダル」(タル)という読みには合わないような気がしてきた。

 途中のトイレ近くの説明板に、「小水力発電」とあった。ちょっと考えて「小・水力発電」と解釈できたが、トイレという空間的な文脈のせいで、異分析をしてしまう人もいることだろう。とくに看護師さんあたりは、読み取り間違えが多いのではなかろうか(いや、かえって「尿」という字のほうになじみがあるか)。側には、その発電をする新しい水車があった。小学生は、本物の水車は初めて見たと言う。

 6つの滝を堪能したあと、足休めのために食堂に入る。「わさび」(ワサビ)や「猪」という字がいくつも目に入る。せっかくなので、挑戦してみる。

 ジュビエの大もとか、猪の肉は昔聞いたとおり引き締まっていて固く、家畜化して品種改良された豚よりも野味があった。そこここにたわわになっていて、安く売っている「みかん」は食後のデザートとして一層甘く感じられる。

 店を出ると、「天城峠」の文字が道路標識に見えた。下田まで南下すれば、小地名に「乢」ないし「𡴭」のような地域文字(方言漢字)もあったはずだ。柳田国男は伊豆の地名の「たわ」に「嵶」という中国地方の漢字を当てたこともあった。

 タクシーの運転士さんは、名曲「天城越え」はこの辺りを歌っていると話す。「浄蓮の滝(ここはもうタルではなくタキ)」など、挙げる地名にも力が籠もる。60代のその地元訛りを持つ人は、斜面や崖を意味するママという方言は知らないそうで、ガケというとのこと。伊豆の小地名に使われた方言漢字「墹」は、すでに化石化しているようだ。

 「おおだる」など滝のことを「タル」と言うとは、この地の人たちが決まって語ることだが、富山県の西の端で生まれ育った母は、ここの「エビ滝(だる)」もエビタキとしか読まない。この「エビ」は何でもカタカナ表記になっているが、昔はどうだったのだろう。この地だから「海老」か。もしかしたら「蛯」もあった可能性があるが、いかんせん河津七滝の歴史については、言及されたものが地名資料にも、町のサイト、観光パンフレットの類にも見当たらない。

 

 そこで、久しぶりに江戸期の『豆州志稿』を、手早くWEBで国文学研究資料館のサイトにある大和文華館所蔵写本により見ていく。すると、巻6に「瀑布」の項目がある。その中で、「大瀑布」「洞山瀑布」の2つの瀑布の字の右側に、「タル」と振り仮名が書き込まれていた。そして前者に関しては、果たせるかな「方言ニタキヲタルト云盖(けだ)シ垂(タルヽ)ノ義也」とも記載されていた。

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漢字の現在:河津で出会った個人文字と方言漢字

2017年 1月 30日 月曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第296回 河津で出会った個人文字と方言漢字

 もうすぐ中学生になる次男は、これまでにじっと止まっているポニー、韓国の済州島の馬に乗ってきたので、大人の背丈ほどもある馬に挑戦させる。自分の名前がカタカナの馬名の中に入っている白馬に親しみを覚えていたが、その隣の馬になった。

 怖じ気づいていたが、準備が進むと覚悟を決めて乗馬した。プロの方が横にちゃんと着いてくれているので安心だ。

 何周か回って記念撮影をした後に、切った人参をあげてみる。おねだりの仕方が一頭ごとに違っていて、この時ばかりは馬の人気者になった。家で飼いはじめたジャンガリアンというハムスターと、大きさは違いすぎるが食べ方はよく似ている。人参は、甘いのでおやつかデザートのようなものだそうで、大きな音をたてて噛む。人参好きは兎と同じで、漫画のようによく食べた。

 

 お会計の時に、領収書に内訳を書き込む前に、施設内の書類に何か○付きの文字を書き込んだのが気になった。手早く机のひきだしの中にしまってしまったそれを再度見せてもらう。何か疑念を抱いた客、と勘違いされかねない不審な要望に戸惑いながらも、見せてくれた。

 業界ごとの文字を、趣味というか仕事というか、調べていまして、と話すと、大学かどこかで?と得心してくださったようで、その用紙の写真まで撮らせてくれた。前のページもめくらせてもらった。

 「○に保」は保険の意味、奥さんは○がなく「保」だけしか書かないという。「レンタル」を奥さんは「レ」としか書かない、分かりゃいいから、と笑う。どちらが記入したかがそれで分かりそうだ。この日常の表記が、業界の文字なのか、いや個人文字なのか、興味が尽きない。

 「厩舎」の「厩」はもとは「廏」だったために異体字が多くできたのだが(かつて朝日新聞を調べたときには、ちょうどそのことが記事になったために、7種類ほどが紙面に表れていた)、どれも煩瑣だ。先の表示板では「厂に既」と略されていた。「厂にQ」という位相文字が競馬業界の人々や大学の馬術部員などの間の手書きの場面で広まっているのだが、別れの挨拶をした後で思い出したので、それも伺えば良かったと少し後悔する。

 

 伊豆の山々は、子供も「絶景」という。切り立った崖がそびえるところも壮観だ。

 いよいよ「河津七滝(だる)」の入口に着く。「水垂」という地名だが、それは「ミズタレ」と読む(前々回)。

 30から40分の行程という。下り道とはいえ、階段や吊り橋があるとは聞いたが(知っていたら、老母を連れていくのは断念した)、実際には段数がなかなか多く、遊歩道と呼びうるのどかなところは稀で、年老いた人や大荷物の人は少し大変そうだった。ただ30年程に比べると、山道がかなり整備されているそうだ。

(画像をクリックすると全体を表示します)
蛇滝(へびだる) 蛇滝(へびだる)看板
蛇滝(へびだる)

 

 ここでは、「○○滝」はすべて「○○だる」と読む。地元の人たちに確かめると、この地では、タキをタルと呼ぶ、ときまって答える。ただ、普通名詞の「滝」まで「タル」と呼ぶわけではない。運転士とのやり取りを聞いていた子は、「鯉の滝登り」もここでは「鯉のタル登り」というのか、と言うが、もちろん諺にも及んではいない。

 奈良時代の「垂水(たるみ)」という語は、現在でもときに語形や表記を変えて方言や地名として各地に残っている。関西のテレビ番組の収録に加わったときに、筒井康隆氏が神戸などの垂水は滝の意かとお尋ね下さった。漫画家の江川達也氏も地名にあるとおっしゃっていた。ただ、こういう場面は編集でカットされるのが常だ。

 その「タル」の語が少なくとも江戸時代の頃には、この辺りの方言として使われていて、滝の名となって「滝」という漢字がやがてあてがわれたのであろう。

 「滝」は、中国では固有名詞(音はソウ)のほか、ロウと読めば急流を指すことがあった。そのため、日本でも古くは急流を意味したタキという訓が付与され、和語の語義が急流から崖を下るような瀑布へと変化して、国訓となったものだ。

 穏やかに見える流れもあれば、激しくしぶきを立てる滝もある。川の水の色を変えるきれいな一帯もあった。この流れの中に「鮎」などの魚や「ズガニ」という蟹が住むとは想像しにくいが、それらの文字を何度か目にした。

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【筆者プロフィール】

『漢字の現在』 『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)。

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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「河津で出会った位相文字」でした。

この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

漢字の現在:河津で出会った位相文字

2017年 1月 23日 月曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第295回 河津で出会った位相文字

 旅館の風呂場の前に貼られた紙には、字を書き慣れていると分かる筆跡があった。「○○へ」に「ノノ」が加わることはしばしばある(第54回「サンタさんへ」:「へ」に点々?)参照。文末ではなく文中にあるのは、やや珍しい。赤塚不二夫先生は色紙に、これを使わずに「江」と書いていた(前回)。この貼り紙では、「人」にも「ノノ」が加わっている。1枚にその2字が同居するのは珍しい。女湯の前の(もちろん中ではない)貼り紙でも同様だった。

(画像をクリックすると全体を表示します)
「へ」と「人」にノノ
「へ」と「人」にノノ
慣れた手書きが心地よい。
「必」の筆順は独自のものかもしれない。
「浴」は二水のように見える。

 部屋で聞こえるのは、七滝から続くとみられる川のせせらぎだけと静かで、料理も海の物山の物が程よく、とくに昭和世代は大満足だ。平成生まれは、テレビの局数が少ないという。

 夜に散歩に出ようとしたら、真っ暗闇で危なくて先に進めないので、夜空を見上げてみた。目が慣れてくると、星々の微かな煌めきに満たされていたことに気づく。まるでプラネタリウムのようだ、と感じてしまうのは、都会生まれの悲しい性分である。正月は空気が澄んでいて、車窓からの海の眺めもまた美しかった。

 

 河津で泊まった翌朝、旅館の窓から、伊豆の山並みと清流の間に、馬に乗った人の姿が見えた。近くに馬場があるようだ。事前には、最低限の下調べだけをしておいたが、誰もスマートフォンなど持ってきていないので、後は現地の人の温情と勘だけが便りとなる。

 おかみさんに聞くと、馬に乗らせてもらえるという。子供には良い経験になるので、帰り道に寄ってみた。

 そこに辿り着くまでの何てことのない坂道が老人には厳しいようだった。安くて甘い土産用のみかんなどの荷物を預かる。平地に着くなり、放し飼いされた大きな犬が向かってくる。犬が苦手な私には怖い瞬間だ。

 そこはこぢんまりしたきちんとした乗馬クラブだった。あてのない旅の偶然の事情を話すと、サラブレッドだった馬を見学させてくれた。見ているだけでは物足りなくなって、馬の長い顔を触ったりしだす。途中から馬が怒り始めて、母は手を軽く噛まれた。馬にも挨拶が必要なのだそうだ。

吭搦
吭搦

 厩舎には、説明書きが貼ってある。「せん馬」、これは以前新聞の外字を調べたときに覚えたので分かる。去勢された馬のことで、「騸=馬偏に扇」だ。ほかに、「口偏に亢」という字を使った「吭搦左」というのもある。これは何だろう。1字目は確かのど、のどぶえ、2字目はカラメだが。

 そこで働く同年代くらいの男性に尋ねてみた。少し考えて、のどだったかな、とのこと。3字目に「左」とあるが、もし「二」とあれば、つむじが2つあるということ、と説明をしてくれた。よく見ると、喉もとに確かに旋毛のようなものがあった。

 財団法人日本軽種馬登録協会に「馬の毛色及び特徴記載要領」というものがあったようで、それを引用する公益社団法人日本馬事協会「馬の毛色及び特徴記載要領」(第7版、リンク先はPDF)を、今ネットで見てみると、この2字は「ふえがらみ」と読み、「咽喉及び頸の下縁(頸溝より下)で、頭礎から下、頸の上方約1/3以内にある旋毛」を指すそうだ。この昭和51年2月1日に設定され、平成23年11月1日まで改訂されてきた資料には、一時期テレビ番組などで流行った「鬣」(たてがみ)はもちろん、「鬃」(まえがみ)、「鬐甲」(きこう)という難字まで使われている。

 「膁」は何度も出てくるが、振り仮名がない。漢和辞典によれば、ケンで、家畜の肋骨と腰骨との間の軟らかくへこんだ部分という。改めて馬の図を見ると、より狭い範囲を指しているようにも映る。

 古代の中国人は、さすがによく動物を観察し、さまざまな部位に命名を重ねてきたものだ。ただ、「頬辻(丶は一つ)」(ほほつじ ほほにある旋毛)には、「辻」という国字が使われており、日本的な表現も残っている。ほかに、「唇白」という特徴もあり、そういえば『大漢和辞典』の字訓で、「くちのくろいうま」(「駯=馬偏に朱」)など、そのような長く細かいものがあった。

 今は、チップを埋め込んで個体識別をするようになっているが、こうしたことばで特定する方法が残っているそうだ。そういえば年末に来た女性銀行員は、ノートパソコンに顔をあてがっていて、顔認証なんです、と笑った。

 知らない業界のことばと文字は、際限なくあることを改めて思い知る。馬であっても蛇の道は蛇、正月らしく言うならば餅は餅屋。いくら漢字を研究していると言っても、その道を究めている人には叶うはずがない。それぞれの専門家に、このように事実をうかがえることが嬉しい。

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 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)。

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漢字の現在:伊豆の河津の方言漢字

2017年 1月 16日 月曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第294回 伊豆の河津の方言漢字

 静岡県は伊豆半島の河津(かわづ)に出掛ける。正月は、桜にはまだ早く、意外と寒く訪れる人も少ない。

(画像をクリックすると全体を表示します)
開
開(文字通り、中の鳥居のような部分が
発の下部のように開いており、身を以て
開くことを示している)
水垂
七滝
水垂
露天風呂
露天風呂

 JRは伊東駅までで、そこから先は運転手も車掌も交替し、伊豆急線に入る。車体はどこか古く、トイレの鍵の「開・閉」の字体も面白みがある。

 特急で終点の下田の一つ手前の河津駅で降りる。「かわづ」と「づ」というひらがながそこここにあって目に付く。

 駅前のバス停の表示板では、「水垂(みずたれ)」というバス停の「垂」が横画が1本多い。ありがちな共通誤字だが、他の字から類推を働かせる心理からは、納得できるものである。

 今春は旅行どころではない長男とその母を東京に置いて、私の母と次男とやってきた。予約が遅いものだから、あいている宿が少なく、たまたま予約が取れたそこは、河津にあり、「七滝」と書いてナナダルと読む地となったのは、幸いだった。そこには「七滝」が振り仮名もなくあちらこちらに記されている。当地では、当たり前の読み方なのだ。

 西村京太郎のミステリーには、『伊豆・河津七滝に消えた女』があるそうなので、伊豆の人、旅行好き、地理好きのほか、推理小説ファンは、よく読めるという位相があるのかもしれない。

 バスは西湯ヶ野という停留所で降車する。一つ手前の湯ヶ野行きのチケットでも、料金は同じなので大丈夫とのこと、アバウトな感じがのどかでいい。

 旅館は、昭和の風情が色濃く残る温泉宿で、案内された部屋には、赤塚不二夫先生の直筆の色紙が残されており、きちんと飾ってあった。おかみさんは、幼いころに見た赤塚さんの顔は覚えているという。漫画を書く、学生のような若い人たちと一緒に訪れたそうだ。

 そこには露天風呂があるとのこと、次男と行ってみる。途中のトイレの「殿方」を小学6年生が「とのがた」と読んだ。「殿」は中学で習うことになっている漢字だが、すでに何かで覚えていた。そこに記された「露天風呂」の4字、手書きの略字や異体字には個性が滲み出ていて、味わいがある。この下の「一」が長い「天」は×だとする採点もあったが、昨年の2月に文化庁が出した指針(私は副主査として関わった)が浸透すれば、そうした窮屈な意識から解放される。

 その露天風呂は、川を挟んだ民家の窓からは丸見えのようだが、やはり風情がある。ただ脱衣所が吹きさらしで寒いものは寒い。早々に、室内の温泉に戻る。

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漢字の現在:薄れゆく風呂屋の文字

2016年 4月 18日 月曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第293回 薄れゆく風呂屋の文字

 丸みのある赤い字で「ケロリン」と底に書かれた風呂桶は、この湯屋にも置いてあった。軟らかみのあるこの桶は、50個、100個という単位でなければ買えないそうだ。古くなると、しまってあるそれと取り換えているとのこと。漫画では、床に置く「カポーン」という擬音語が書き込まれる。以前、芝居で使うから1つ貸してほしい、と依頼が来たという。あげようと思っていたら、手に入ったとのことでそのままとなったそうだが、演劇で銭湯のシーンか、昭和の雰囲気を出そうとする演出でもあったのだろう。

 今回、看板に対する取材の必要から、上記(前々回前回)のように女湯にも入れてもらえた。もちろん、開店前でまだ誰もいない。あの幼稚園に通う前後のとき以来だろう。広々としているが、こぢんまりしているようにも感じられた。女湯には富士山の絵がなく、西伊豆の海岸の風景が広がっていた。聞くところによると、富士山の絵はどちらか1つにしかなく、男湯と女湯とで順番に描かれるものだそうだ。まず真っ白に塗りつぶしてから書き直したものだが、いきなり前の絵の上から描くようになったので、だんだんと厚みが出てくる。ベニヤがペンキを吸うのでなかなか乾かず、2日がかりとなって、家を空けられなくなったと嘆かれる。知らないところのものでも、短いスパンでの大きな変化は免れないものだ。

 そして、「身体をよく拭いて」「手拭い、足拭き」と書かれた注意書きがそこにはない。それは、男性たちだけに向けた掲示だと分かった。


左:服の右上をはねずに曲げるところが面白い。
右:手書きされた「質、・(中黒・と黒丸●か)、販」の特徴ある字体・字形が印象的。

 ついでなので、ご主人に入口の料金表に書かれている「大人、中人、小人」という表記について、読み方も尋ねてみた。(私は、)「おとな」「ちゅうにん」「しょうにん」と読んでいる、とのことだった。確かに我が子は一目見て、小学生だから「ちゅうにん」、と言われた。オトナは「だいにん」でもいいんだけど、とのことで、「位相読み」の大らかさがうかがえた。前に行った風呂屋も、「ちゅうにん」と言っていた。なんとなく意味は伝わる、漢字の表意性を利用した文字列が残る。

 1937年の東京の渡船場の看板に「大人三銭(丶は2つ) 小人三銭(同)」など書かれ(銭は金偏を省くものも)、また翌1938年のサーカス小屋の風景にも「大人十銭(字体もこのまま) 小人五銭」と料金が記された写真があった。これは、同僚の方に教えてもらった桑原甲子雄の『私的昭和史』『東京 1934~1993』などに載っていた。ほかに「大人 子供」と書いた表示も写っているが、今の銭湯やテーマパークなどよりも広く用いられていたようだ。桑原氏の写真は、撮った看板を通して時代のことばだけでなく空気や風俗まで分かると評されるが、言語景観そして個々の文字についても多くの事実を教えてくれる。

 そしてこれは、韓国にも伝播し、今ではあちこちの料金表でハングルによってsoinという発音だけが今なお表記されている。日本での、文字によって発音は不明瞭だが意味だけが何となく分かるという状況とは対極にあることがうかがえよう。

 区内で最古の地図に、すでにその風呂屋は載っていたという。その風呂屋を買って建て替えて開業したのが昭和28年(1953)11月頃。その当時の写真があり、銭湯70か80周年の本に提供して載せたという。お話しして下さっているおじいさんは、そのときまだ2、3歳だったそうだ。それより古い写真は、さすがに家にはないという。

 明治、大正、戦前の時代のその浴室内の風景がどうだったのか、そういう写真は日本のどこかには残されているのだろうか。その本がどこかにあるから、時間があるときに見つけたら教える、と言って下さった。しまった、取材に大荷物はいけないと整理したときに、名刺ケースまで置いてきてしまった。電話番号は、○○(娘さんの名)に聞けば分かるでしょ? ネッ?と微笑まれたが、今は学校も人々の交流を促進させられないように世知辛くなっている。浴場を見渡せた番台もまた、すでに改築されてなくなっていた。

 この名湯を継ぐ人もいないそうだ。たとえ下宿であっても、内風呂はとうに普通のこととなった。ここの周りの商店街も、開いている店は2軒だけとなっている。新たに、味のある手書きの広告が掲げられることはない。ちょうど、研究室のコピーの山がずれて、『建築写真文庫66 温泉浴場』が出てきた。しかし、そううまくはいかない。昭和33年に刊行されたその冊子に、その当時の銭湯の内部の写真など、収められていなかった。

 景色は10年も経てば一変するのは世の常だが、やはり変化のスピードが速くなった。過去の漢字政策や文字コード論争の深層など文字にまつわる伝承だって、もう聞く耳をもってくれる人は周りにはほとんどいない。

 風景に溢れていた位相性豊かな手書き文字は、歴史の中へと閉ざされていくようだ。うまいな、下手だな、誤字だ、略字だ、と考えさせてくれたあの昭和の字形の残照を、せめて消えゆく街の銭湯とともに、目に焼き付けておきたい。

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漢字の現在:浴室内の漢字

2016年 4月 8日 金曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第292回 浴室内の漢字

 銭湯のご主人たちから、周りの商店が減ったために広告も減ったと、先の酒屋で耳にした話と同様の話を聞いた。残っている広告看板2枚も、(契約の)期限は過ぎているから捨てて良いはず、もう貼る必要もなく外してもいいが、捨てるに捨てられない、とのことだ。お風呂屋さんらしさは、ケロリンと書かれた風呂桶だけではなく、そういう物にも感じられる。

 昔は、壁一面に広告が並べて貼ってあり、側面にまで続いていたとのことだ。4枚分くらいが入る上下の枠をせっかく作ったから、今、2枚を残してあるそうだ。30年くらい前のものだろうという。

 毛筆か刷毛のような筆記具で器用にレタリングされた電話番号の頭に、3が付いて4桁になっていることから、1991年以降、昭和が終わって間もない時代の作なのだろうということがわかる。

 女湯に貼られた物も同じ2枚だったが、手書きなので、改行位置、字形、さらに字体までが微妙に違う。入浴中は、ファニーと呼ばれた書体に近く見えた(前回)。

 中高生の頃、漫画などでその手書きの味を加えた印刷書体を見つけては、青春を感じてワクワクした写研の書体であり、大好きだった。通信講座でペン習字を習う前には、お手本としてそれを真似して書いていたことさえもあった。近くは、少女向けのアニメのエンディングで歌詞の字幕に使われて流れていたが、パソコン用のものは開発されていないと聞く。

 その2枚は、今でもある店の広告だそうで、これは1軒先の店の、これはそこを曲がって行ったところにある薬局とのことで、改めて見たら1枚は、さっきお礼用の酒を買った店のものだった。だが、先ほど書いたとおり、もう期限はとうに切れているのだ。

 壁に人知れずある扉を押すと入れる、男湯と女湯を跨ぐ奥のほの暗い部屋から、しまってあった古い看板も持ってきてくださった。やはり水に強いプラスチック製のようで、カタカナの点画を切って立体的に貼ったものもあった。書かれているそこに電話をかけても、もう通じなくなっているそうだ。まだ店舗がある質屋の広告は、サイズが大きいため貼れなくなったのだろう。奥から出して下さった耐水性の看板は、裏返してみると何も書かれていなかった。半透明なので、何か書けば裏写りしてしまう。

 その看板広告を商店に募って、作っては風呂屋に持ってくる背景広告社という業者(銭湯専門の広告代理店)が出入りしていたのだが、その会社もまた電話をしても通じなくなったそうだ。どうりで、複数の看板屋がまちまちに手掛けたとは思えぬ一貫性をもった雰囲気を感じさせていたものだった。


この背景広告社の看板は、色から見て、男風呂用だったか。


カタカナは切り出したもの。機械彫刻用JISとは別に、こういう手法もしばしば看板では取られた。「心、し」の特徴ある字体・字形と太めの受話器が印象的。


色から見て、女風呂用か。レタリングの後が生々しい。

 これは、東京近郊の習俗のようだが、他の地ではどうだったのだろう。その業者のプレートも男湯と女湯のぶんがそれぞれ1枚ずつ、裏(つまり富士山の絵の奥の間)の設備と器材の置かれた部屋に、処分せずにきちんと立てかけて残されていた。

 その電話番号は、少なくとも東京都の区部ではない4桁の市外局番から始まっていた。そこが看板を持ってきて、それらを富士山などの絵の下に貼る代わりに、大きな富士山などの風景画を無料で描き直してくれるという、なかなかうまいシステムだったそうだ。富士山の絵に関しては、銭湯の話題としてマスメディアでもよく上る。今は、仕方ないので別の業者に絵を頼んでいるが、なんと8万円もかかってしまったそうだ。

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漢字の現在:銭湯の漢字

2016年 3月 28日 月曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第291回 銭湯の漢字

 家の風呂が古くなったので、少しだけわがままを言って工事を入れた。4日間は内風呂が使えなくなる。一番寒い時期だが仕方がない、次男を連れて完全防寒の格好をして夜に銭湯に通うことにした。子供のころ、この辺りに日曜ごとに来ては、昼間に祖母に耳の裏まで洗ってもらった、あの広々とした銭湯は、引越を経たためさすがに遠くなってしまった。

 初日に行った近所の一軒目は、初めての所だが、雰囲気がすこし薄暗い。定番のケロリンの桶。曇ったガラスに、「一二三」と母が指で書いて漢字を教えてくれた(すでに何となく見覚えはあったような記憶もある)ので、私がピンと来てじゃあ4は「一を縦に4本」だね、と幼い日に間違えて書いた漢字の思い出話を、次男に語ってみた。私が最初に書いた漢字が誤字だったのだ(のちに古字と暗合していたことを知る)。

 次の日は、前に鼠が出て(おそらく駆除業者に投げ込まれたと疑っている)、その1匹を風呂場に追い詰めたために、脱衣所に入れなくなり、やむなく通った、少し離れた銭湯まで行った。ここは小ぎれいで明るく、風情もあって、落ち付く。

 そこの浴場に広がる懐かしい風景を見た。富士山の大きな絵の下に、手書きの看板が2枚並んでいる。子供のころ、別の銭湯でいつも見かけた物に、色や字形が似ている。

(画像はクリックで拡大)


書体は、入浴中は、ファニー体にもっと近く見えたのは、昭和の雰囲気に当てられたせいか、立ちのぼる湯気のせいか、熱い湯につかってのぼせたせいか。銭湯のご主人によれば、広告を見て、酒店に電話しようというような人もいただろうとのこと。
箋の手書きの略字体(常用漢字表にも示すことができたもの)、酒(書写体交じり)、帰(旧字体交じり)、需(略字体)、風(崩し字交じり)、品(兼筆による略字)などに、昭和の趣が感じられる。

 帰ってからそこのHPなどをWEBで見てみたが、看板などはやはり小さくしか写っておらず、肝腎の字はほとんど読めない。裸の男たちが身体を洗い、湯に浸かるなかでは、さすがの私でも写真は撮れない。脱衣場には撮影禁止とはっきりと書かれており、その目的は違うと言っても、やはりためらわれ、当然のことながら自重した。


蔵が1画足りないのも、一点一画手で書いたためのご愛嬌。女湯の看板。

 それらの看板に記された電話番号は3桁ではなく4桁だが、いつごろ、どこの看板店が書いたものだろう。筆の跡が感じられる筆跡で、決して今どきのフォントではない。また浴室内には、「身体」に「からだ」のルビ、「お上がり下さい」という目が回りそうな表記、「手拭、足拭」と「拭」の訓読み2種が同居した、賑やかな1枚の手書き看板もある。

 そのお風呂屋さんの娘さんのお嬢さんが我が子と同級生とのこと。しかも、週末には授業参観があるから、クラスは違えど娘さん即ちお母さんに話ができるかもしれないそうだ。私はあいにく人間ドックの日に当たっていたので、家内に事情を話して撮影の許可をもらえないか、と託しておいたところ、運良く話せて、無事にOKを頂けたそうだ。

 今日は仕事の谷間のオフの日だったので、昼過ぎに電話をしてみた。説明が難しいところだったが、(娘から話は)聞いています、何を撮りたいのか分からないけど、いつでもどうぞ、とおじいさんらしき人がおっしゃってくれた。時間が始まるとお客さんが入ってくるから、とのこと、おことばに甘えて、今から10分後くらいにお邪魔しますと、すぐにデジタルカメラとメモを持って向かった。

 閉じたシャッターが目立つ商店街に、昔からの酒屋がちょうど開いていた。その商店街は、昔は何十軒も軒を連ね、向こうにも店が並んでいたのに、今では2軒しかなくなった、と店主はやけ酒に酔ったかのように嘆く。微醺を含んだようにも見えるその人に、贈り物に適した日本酒を選んでもらった。

 開店前のこぎれいな銭湯で、60代くらいのご夫婦が自動ドアを開けて対応してくれた。旦那さんは、少し前に子供と通ったときに、料金を渡した方だった。文字を撮るっていっても、どこにあるのか、あったかなー、と奥さんが浴室を見渡す。確かに、注意書きはともかく、看板の文字は風景ですらないようだ。でも、閉じた有料施設ながらも、立派な公共の空間であり、これも言語景観といえるのではなかろうか。

 それを銭湯で、遠慮されるお二人に御礼にとお渡しすると、その銘柄にちょうど屋号と同じ漢字が入っており、喜んで頂くことができた。濡れるからと、掃除用のスリッパを貸して下さった。開店前の無人の浴室へと入り込む。

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