著者ごとのアーカイブ

人名用漢字の新字旧字:「渇」と「渴」

2018年 7月 19日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第162回 「渇」と「渴」

新字の「渇」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「渴」は人名用漢字なので、子供の名づけに使えます。新字の「渇」も旧字の「渴」も、出生届に書いてOK。どうして、こんなことになったのでしょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されており、水部に旧字の「渴」が含まれていました。新字の「渇」は含まれていませんでした。

国語審議会は、昭和21年11月5日、当用漢字表を答申しましたが、そこでも旧字の「渴」だけが含まれていました。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、旧字の「渴」は当用漢字になりました。ただし、当用漢字表のまえがきには「字体と音訓の整理については、調査中である」と書かれていました。当用漢字表の字体は、まだ変更される可能性があったのです。

字体の整理をおこなうべく、文部省教科書局国語課は昭和22年7月15日、活字字体整理に関する協議会を発足させました。活字字体整理に関する協議会は、昭和22年10月10日に活字字体整理案を国語審議会に報告しました。この活字字体整理案では、「渴」を「渇」へと整理することが提案されていました。報告を受けた国語審議会では、昭和22年12月から昭和23年5月にかけて、字体整理に関する主査委員会を組織しました。この間、昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、旧字の「渴」が収録されていたので、「渴」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。新字の「渇」は、子供の名づけに使えなくなりました。

昭和24年4月28日に内閣告示された当用漢字字体表では、新字の「渇」が収録されていました。活字字体整理案に従った結果、新字の「渇」が当用漢字となり、旧字の「渴」は当用漢字ではなくなってしまったのです。当用漢字表にある旧字の「渴」と、当用漢字字体表にある新字の「渇」と、どちらが子供の名づけに使えるのかが問題になりましたが、この問題に対し法務府民事局は、旧字の「渴」も新字の「渇」もどちらも子供の名づけに使ってよい、と回答しました(昭和24年6月29日)。つまり、昭和24年の時点で、旧字の「渴」も新字の「渇」も、どちらも出生届に書いてOKとなったのです。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表では、「渇(渴)」となっていました。これに対し、民事行政審議会は、常用漢字表のカッコ書きの旧字を子供の名づけに認めるかどうか、審議を続けていました。昭和56年4月22日の総会で、民事行政審議会は妥協案を選択します。常用漢字表のカッコ書きの旧字355組357字のうち、当用漢字表に収録されていた旧字195字だけを子供の名づけに認める、という妥協案です。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、「渇」は常用漢字になりました。同時に「渴」は人名用漢字になりました。それが現在も続いていて、旧字の「渴」も新字の「渇」も、どちらも子供の名づけに使えるのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

広告の中のタイプライター(36):IBM Selectric

2018年 7月 12日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『Nation's Business』1962年11月号

『Nation’s Business』1962年11月号
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「IBM Selectric」は、IBMが1961年に発売した電動タイプライターです。「IBM Electromatic」以来IBMが採用してきたフロントストライク式ではなく、「IBM Selectric」はタイプ・ボールと呼ばれる金属製の「玉」により、紙の前面に印字をおこなう機構が特徴的です。

「IBM Selectric」のタイプ・ボールは、表面に88個の活字が鋳込まれた金属製の「玉」です。押されたキーに対応して上下左右に回転し、紙の表面に倒れ込むように印字をおこないます。タイプ・ボール上の88個の活字は、22個ずつ4段に分かれており、標準のタイプ・ボールでは、最上段が[#&*$Z@%¢)(]3784z25609と、次の段がXUDCLTNEKHBxudcltnekhbと、その次の段がMVRAO˚.”ISWmvrao!.’iswと、最下段がGF:,?J+PQY_gf;,/j=pqy-と、上から見て時計回りに並んでいました。タイプ・ボールは簡単に着脱可能であり、様々なデザインのフォントや、アルファベット以外のタイプ・ボールも準備されていました。

この結果、「IBM Selectric」では、タイプ・ボールによってキー配列も変わります。ただし、上の広告にもあるように、キートップには、いわゆる標準QWERTY配列が記されています。最上段のキーは]234567890-=と並んでいて、シフト側が[@#$%¢&*()_+です。すなわち「@」が「2」のシフト側にあって、これがIBMのタイプライターを特徴づけていました。また、数字の「1」ではなく「]」が標準で、数字の「1」は小文字の「l」で代用することが想定されていました。次の段はqwertyuiop!と並んでいて、シフト側がQWERTYUIOP˚です。その次の段はasdfghjkl;’と並んでいて、シフト側がASDFGHJKL:”です。最下段はzxcvbnm,./と並んでいて、シフト側がZXCVBNM,.?です。

ただ、最上段左端のキーに対応する活字を「]」と「[」ではなく、「1」と「!」にしたタイプ・ボールの方が、実際には人気が高かったようです。その結果、下の広告にもあるように、最上段左端のキートップに「1」と「!」を併記した「IBM Selectric」も、後には生産されるようになりました。このようなタイプ・ボールでは、2段目右端のキーに対応する活字を「!」と「˚」ではなく、「½」と「¼」にすることも多かったらしく、それらもキートップに併記されています。

『Office Equipment & Methods』1966年10月号

『Office Equipment & Methods』1966年10月号
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【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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人名用漢字の新字旧字:「浅」と「淺」

2018年 7月 5日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第161回 「浅」と「淺」

新字の「浅」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「淺」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。新字の「浅」は出生届に書いてOKですが、旧字の「淺」はダメ。どうしてこんなことになっているのでしょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されていました。標準漢字表の水部には「浅」が含まれていて、その直後に、カッコ書きで「淺」が添えられていました。「浅(淺)」となっていたわけです。簡易字体の「浅」は、旧字の「淺」に代えて一般に使用すべき漢字、ということになっていました。

昭和21年11月5日、国語審議会が答申した当用漢字表では、水部に「浅」が含まれていて、その直後に、カッコ書きで「淺」が添えられていました。「浅(淺)」となっていたのです。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、新字の「浅」は当用漢字になりました。昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、新字の「浅」が収録されていたので、「浅」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。旧字の「淺」は、子供の名づけに使えなくなりました。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表では、やはり「浅(淺)」となっていました。これに対し、民事行政審議会は、常用漢字表のカッコ書きの旧字を子供の名づけに認めるかどうか、審議を続けていました。昭和56年4月22日の総会で、民事行政審議会は妥協案を選択します。常用漢字表のカッコ書きの旧字355組357字のうち、当用漢字表に収録されていた旧字195字だけを子供の名づけに認める、という妥協案です。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、新字の「浅」は常用漢字になりました。しかし、旧字の「淺」は人名用漢字になれませんでした。旧字の「淺」は、常用漢字表のカッコ書きに入ってるけど当用漢字表に収録されてなかったからダメ、となったのです。

平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、常用漢字や人名用漢字の異体字であっても、「常用平易」な漢字であれば人名用漢字として追加する、という方針を打ち出しました。この方針にしたがって人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、平成12年3月に文化庁が書籍385誌に対しておこなった漢字出現頻度数調査、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。旧字の「淺」は、全国50法務局のうち出生届を拒否した管区は無く、JIS第2水準漢字で、漢字出現頻度数調査の結果が19回でした。この結果、旧字の「淺」は「常用平易」とはみなされず、人名用漢字に追加されませんでした。

平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、新字の「浅」と旧字の「淺」を含んでいました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、新字の「浅」に加え、旧字の「淺」も書けるようになりました。これに対し、日本人の子供の出生届には、新字の「浅」はOKですが、旧字の「淺」はダメなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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広告の中のタイプライター(35):Underwood Forum

2018年 6月 28日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『Office Equipment & Methods』1965年3月号

『Office Equipment & Methods』1965年3月号
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「Underwood Forum」は、アンダーウッド社が1961年に発売した電動タイプライターです。この頃、アンダーウッド社は、イタリアのオリベッティ社の傘下に入っており、「Underwood Forum」も、オリベッティ社のピントーリ(Giovanni Pintori)のデザインによるものでした。ただし、「Underwood Forum」の製造はイタリアではなく、アメリカのコネティカット州ハートフォードが生産拠点の中心でした。

「Underwood Forum」は電動タイプライターですが、その印字機構はフロントストライク式で、プラテンの手前に44本の活字棒(type arm)が、扇状に配置されています。キーを押すと、対応する活字棒が電動で跳ね上がってきて、プラテンの前面に印字がおこなわれます。ただし、複数のキーを同時に押しても、活字棒は1本だけしか動かず、ジャミングは避けられるようになっていました。印字やシフト機構だけでなく、キャリッジ・リターンも、改行も、タブ機構も、バックスペースも、全て電動でおこなわれます。キーボードの最上段の上には、タブ機構の設定や解除に関するキーが並んでおり、タブ移動が左右両方向におこなえる、というのが「Underwood Forum」の特長でした。

「Underwood Forum」のキー配列は、「Underwood Golden-Touch Electric」ではなく、「IBM Electric Typewriter Model C」のキー配列をほぼ踏襲していて、44個のキーに86種類の文字が並んでいます。最上段のキーは234567890-=と並んでいて、シフト側が@#$%¢&*()_+です。すなわち、「@」が「2」のシフト側にあって、それ以前のUnderwoodとは異なり、むしろIBMのキー配列となっています。次の段はqwertyuiop½!と並んでいて、シフト側がQWERTYUIOP¼˚です。次の段はasdfghjkl;’と並んでいて、シフト側がASDFGHJKL:”であり、右端には「CARR RET」キーが配置されています。最下段はzxcvbnm,./と並んでいて、シフト側がZXCVBNM,.?です。すなわち、コンマとピリオドが、シフト側にもダブって搭載されているため、44個のキーに86種類の文字となるのです。なお、数字の「1」は小文字の「l」で代用することになっていたようです。

アンダーウッド社は、上の広告の翌年(1966年)にオリベッティ・アンダーウッド社へと社名を変更、生産拠点をペンシルバニア州ハリスバーグへと移します。これと前後して「Underwood Forum」も生産を終了し、アメリカやカナダにおいても、Olivettiブランドを展開していくようになるのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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人名用漢字の新字旧字:「姉」と「姊」

2018年 6月 21日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第160回 「姉」と「姊」

160ane-old.png新字の「姉」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「姊」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。「姉」は出生届に書いてOKですが、「姊」はダメ。どうしてこんなことになったのでしょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、女部に新字の「姉」が収録されていました。その一方、旧字の「姊」は標準漢字表には含まれていませんでした。昭和17年12月4日、文部省は標準漢字表を発表しましたが、そこでも新字の「姉」だけが含まれていて、旧字の「姊」は含まれていませんでした。

昭和21年4月27日、国語審議会に提出された常用漢字表1295字には、女部に新字の「姉」が含まれていて、旧字の「姊」は含まれていませんでした。国語審議会が11月5日に答申した当用漢字表でも、新字の「姉」だけが含まれていました。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、新字の「姉」は当用漢字になりました。昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には新字の「姉」が収録されていたので、「姉」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。旧字の「姊」は、子供の名づけに使えなくなってしまいました。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表1945字には、新字の「姉」が収録されていましたが、旧字の「姊」はカッコ書きにすら入っていませんでした。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、新字の「姉」は常用漢字になりました。その一方で旧字の「姊」は、常用漢字にも人名用漢字にもなれなかったのです。

平成16年4月1日、法務省民事局は『戸籍手続オンラインシステム構築のための標準仕様書』を通達、合わせて戸籍統一文字を発表しました。戸籍統一文字は、電算化戸籍に用いることのできる文字で、当初の時点では、漢字は55255字が準備されていました。この55255字の中に、「姉」と「姊」が含まれていたのです。つまり、コンピュータ化された戸籍の氏名には、「姉」も「姊」も使えるよう、システム上は設計されているのです。けれども法務省は、出生届には新字の「姉」しか許しませんでした。

平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、新字の「姉」と旧字の「姊」を含んでいました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、新字の「姉」に加え、旧字の「姊」も書けるようになりました。これに対し、日本人の子供の出生届には、新字の「姉」はOKですが、旧字の「姊」はダメなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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広告の中のタイプライター(34):Harris Visible Typewriter No.4

2018年 6月 14日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『Popular Mechanics』1914年4月号

『Popular Mechanics』1914年4月号
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「Harris Visible Typewriter No.4」は、ハリス(De Witt Clinton Harris)率いるハリス・タイプライター社が、1912年頃に発売したタイプライターです。販売は、シアーズ・ローバック社(Sears, Roebuck & Company)が独占しておこなっており、全米に渡ってカタログ通信販売がおこなわれていました。

「Harris Visible Typewriter No.4」は、28キーのフロントストライク式タイプライターです。各キーを押すと、対応する活字棒(type arm)が立ち上がって、プラテンの前面に置かれた紙の上にインクリボンごと叩きつけられ、紙の前面に印字がおこなわれます。通常の状態では小文字が印字されますが、「CAP」キー(キーボード下段の左右端)を押すと、タイプバスケットが持ち上がって大文字が印字されるようになります。また、「FIG」キー(中段の左右端)を押すと、タイプバスケットが下がって記号(あるいは数字)が印字されるようになります。キーボード上段のさらに右上の端には「SHIFT LOCK」キーが準備されており、「CAP」キーもしくは「FIG」キーを押しっぱなしにできます。

「Harris Visible Typewriter No.4」のキー配列は、いわゆるQWERTY配列で、各キーに大文字・小文字・記号(あるいは数字)の3種類の文字が配置されています。上段の10個のキーには、大文字のQWERTYUIOPと、小文字のqwertyuiopと、数字の1234567890が、それぞれ配置されており、その右側に「BACK SPACER」キーがあります。中段の9個のキーには、大文字のASDFGHJKLと、小文字のasdfghjklと、記号の@$%^*=/¢#が、それぞれ配置されており、左右の端には「FIG」キーがあります。下段の9個のキーには、大文字側にZXCVBNM&.が、小文字側にzxcvbnm-,が、記号側に()?’”:;_.が、それぞれ配置されており、左右の端には「CAP」キーがあります。ピリオドが重複して収録されているため、28キーで83種類の文字となっています。

この広告の後、ハリス・タイプライター社は、ウィスコンシン州フォンデュラックからイリノイ州シカゴへ本社を移し、社名もレックス・タイプライター社と改めました。レックス・タイプライター社となってからは、シアーズ・ローバック社向けの「Harris Visible Typewriter No.4」を製造しつつ、新たに「Rex Visible Typewriter No.4」を製造販売しはじめたようです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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人名用漢字の新字旧字:「実」と「實」

2018年 6月 7日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第159回 「実」と「實」

新字の「実」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「實」は人名用漢字なので、子供の名づけに使えます。でも、旧字の「實」が子供の名づけに使えるようになるには、長い道のりが必要だったのです。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されていました。標準漢字表の宀部には「実」が含まれていて、その直後に、カッコ書きで「實」が添えられていました。「実(實)」となっていたわけです。簡易字体の「実」は、「實」に代えて一般に使用すべき漢字、ということになっていました。

昭和21年11月5日、国語審議会が答申した当用漢字表でも、宀部に「実」が含まれていて、その直後に、カッコ書きで「實」が添えられていました。「実(實)」となっていたのです。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、新字の「実」は当用漢字になりました。昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、新字の「実」が収録されていたので、「実」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。旧字の「實」は、子供の名づけに使えなくなりました。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表では、やはり「実(實)」となっていました。これに対し、民事行政審議会は、常用漢字表のカッコ書きの旧字を子供の名づけに認めるかどうか、審議を続けていました。昭和56年4月22日の総会で、民事行政審議会は妥協案を選択します。常用漢字表のカッコ書きの旧字355組357字のうち、当用漢字表に収録されていた旧字195字だけを子供の名づけに認める、という妥協案です。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、新字の「実」は常用漢字になりました。しかし、旧字の「實」は人名用漢字になれませんでした。旧字の「實」は、常用漢字表のカッコ書きに入ってるけど当用漢字表に収録されてなかったからダメ、となったのです。

平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、常用漢字や人名用漢字の異体字であっても、「常用平易」な漢字であれば人名用漢字として追加する、という方針を打ち出しました。この方針にしたがって人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、平成12年3月に文化庁が書籍385誌に対しておこなった漢字出現頻度数調査、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。旧字の「實」は、全国50法務局のうち19の管区で出生届を拒否されていて、JIS第2水準漢字で、漢字出現頻度数調査の結果が155回でした。この結果、旧字の「實」は、人名用漢字の追加候補となりました。

平成16年9月8日、法制審議会は人名用漢字の追加候補488字を答申し、9月27日の戸籍法施行規則改正で、これら488字は全て人名用漢字に追加されました。この結果、旧字の「實」は人名用漢字になり、子供の名づけに使えるようになったのです。それが現在も続いていて、新字の「実」も旧字の「實」も、出生届に書いてOKなのです。

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安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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広告の中のタイプライター(33):IBM Electric Typewriter Model A

2018年 5月 31日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『Life』1951年9月10日号

『Life』1951年9月10日号
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「IBM Electric Typewriter Model A」は、IBMが1948年に発売した電動タイプライターです。発売当初は、単に「IBM Electric Typewriter」と呼ばれていたのですが、1954年のモデルチェンジに際し、1948年モデルを「Model A」と呼ぶようになりました。

「IBM Electric Typewriter Model A」のキー配列は、「IBM Electromatic」のキー配列をほぼ踏襲していて、42個のキーに82種類の文字が並んでいます。最上段のキーは234567890-と並んでいて、シフト側が@#$%¢&*()_です。すなわち「@」が「2」のシフト側にあって、これがIBMのタイプライターを特徴づけていました。次の段はqwertyuiop½と並んでいて、シフト側がQWERTYUIOP¼です。次の段はasdfghjkl;’と並んでいて、シフト側がASDFGHJKL:”です。最下段はzxcvbnm,./と並んでいて、シフト側がZXCVBNM,.?です。すなわち、コンマとピリオドが、シフト側にもダブって搭載されているため、42個のキーに82種類の文字となるのです。なお、数字の「1」は小文字の「l」で代用することになっていたようです。

「IBM Electric Typewriter Model A」の印字機構はフロントストライク式で、プラテンの手前に42本の活字棒(type arm)が、扇状に配置されています。キーを押すと、対応する活字棒が電動で跳ね上がってきて、プラテンの前面に印字がおこなわれます。この結果、印字される文字の濃さが全て同じとなるのです。印字やシフト機構だけでなく、キャリッジ・リターンも、改行も、タブ機構も、バックスペースも、全て電動でおこなわれます。右端の「RETURN」キーを押すだけで、キャリッジ・リターンと改行が、完全に電動でおこなわれるのです。

1948年発売の時点では、「IBM Electric Typewriter Model A」の文字幅は全て同一で、たとえば「l」も「W」も同じ文字幅で印字されました。これに対し、1949年には「Executive」モデルが追加されました。「Executive」モデルでは、いわゆるプロポーショナル印字が可能となっており、たとえば「l」は狭く、「W」は広く印字することで、さらに読みやすく美しい印字を目指したのです。上の広告には、実際に「Executive」モデルを使って印字した例が示されています。「finish」という単語では、カーニング(fとiの間を詰める)こそおこなわれていないものの、「i」が狭く印字されていることが、はっきりと読み取れます。

「Executive」モデルの発表とともに、従来のモデルは「Standard」モデルと呼ばれるようになりました。「Executive」モデルでは、プロポーショナル印字と、同一文字幅印字の両方が可能だったのですが、プラテンの横移動幅が変わるだけで、活字が切り替わるわけではありません。活字棒の取り替えも可能だったものの、「Executive」モデルでの同一文字幅印字は、どうしても間延びした感じになってしまうため、伝票作成などの用途には「Standard」モデルが好まれたようです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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人名用漢字の新字旧字:「扣」と「控」

2018年 5月 24日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第158回 「扣」と「控」

旧字の「控」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。新字の「扣」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。旧字の「控」は出生届に書いてOKですが、新字の「扣」はダメ。どうして、こんなことになってしまったのでしょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されていました。標準漢字表の手部には「控」が含まれていて、その直後にカッコ書きで「扣」が添えられていました。「控(扣)」となっていたわけです。簡易字体の「扣」は、「控」の代わりに使っても差し支えない字、ということになっていました。

158hikae-old.png昭和21年4月27日、国語審議会に提出された常用漢字表1295字では、手部に旧字の「控」が含まれていて、新字の「扣」は含まれていませんでした。国語審議会が11月5日に答申した当用漢字表でも、旧字の「控」だけが含まれていました。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、旧字の「控」は当用漢字になりました。ところが、官報に掲載された当用漢字表では、「控」の穴かんむりは、中が「八」の形になっていました。印刷局が官報に使っていた活字が、たまたまそういう字体だったのです。

昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には旧字の「控」が収録されていたので、「控」(中が「八」)は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。新字の「扣」は、子供の名づけに使えなくなってしまいました。

昭和24年4月28日に内閣告示された当用漢字字体表では、旧字の「控」が収録されていましたが、穴かんむりは元に戻っていました。当用漢字表の「控」と、当用漢字字体表の「控」で、微妙な字体差ができてしまったため、どちらが子供の名づけに使えるのかが問題になりましたが、この問題に対し法務府民事局は、どちらも子供の名づけに使ってよい、と回答しました(昭和24年6月29日)。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表1945字には、旧字の「控」が収録されていました。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、旧字の「控」は常用漢字になりました。この際に、当用漢字表の「控」(中が「八」)は、子供の名づけに使えなくなりました。その一方で新字の「扣」は、常用漢字にも人名用漢字にもなれなかったのです。

平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、JIS第1~4水準漢字を全て含んでいました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、旧字の「控」に加えて、新字の「扣」も書けるようになりました。でも、日本人の子供の出生届には、旧字の「控」はOKですが、新字の「扣」はダメなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

広告の中のタイプライター(32):Remington Standard Typewriter No.2

2018年 5月 17日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『Illustrated Phonographic World』1893年11月号

『Illustrated Phonographic World』1893年11月号
(写真はクリックで拡大)

「Remington Standard Typewriter No.2」は、ウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社が1882年に発売したタイプライターです。E・レミントン&サンズ社の「Remington Type-Writer No.2」を継承したもので、発売当初は「Remington Standard Type-Writer No.2」だったのですが、上の広告の時点ではレミントン・スタンダード・タイプライター社が製造をおこなっており、ブランド名もハイフンなしの「Remington Standard Typewriter No.2」になっていました。

「Remington Standard Typewriter No.2」は、いわゆるアップストライク式タイプライターです。プラテンの下に、38本の活字棒(type bar)が円形に配置されていて、キーを押すと、対応する活字棒が跳ね上がってきます。活字棒は、プラテンの下に置かれた紙の下にインクリボンごと叩きつけられ、紙の下側に印字がおこなわれます。打った文字をその場で見ることはできず、プラテンを持ち上げるか、あるいは数行分改行してから、やっと印字結果を見ることができるのです。活字棒の先には、活字が2つずつ埋め込まれていて、プラテンの位置によって、大文字と小文字が打ち分けられます。「Upper Case」キーを押すと、プラテンが機械後方(オペレータから見て奥)へ移動し、その後は大文字や記号が印字されます。「Lower Case」キーを押すと、プラテンが機械前方(オペレータから見て手前)へ移動し、その後は小文字や数字が印字されます。また、キーボードの左上方には、取り外し可能なバネが付いており、このバネによって「Lower Case」キーを不要にできます。このバネを使うと、「Upper Case」キーを離した瞬間、バネの力でプラテンが機械前方に戻ってくるので、「Lower Case」キーを押す必要が無くなるのです。

1882年12月時点の「Remington Standard Type-Writer No.2」のキー配列

「Remington Standard Typewriter No.2」の基本キー配列は、上に示すようなQWERTY配列でした。「Remington Type-Writer No.2」と比べると、「M」が「L」の右横から「N」の右横へと移されており、「C」と「X」が入れ替えられていたのです。なお、数字の「1」は小文字の「l」で、数字の「0」は小文字の「o」で、それぞれ代用することになっていました。

上の広告によれば、1892年の時点でウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社は、「Remington Standard Typewriter No.2」を年間3万台、売り上げていました。多少の誇張は含まれるものの、トップシェアだったことは間違いなく、それは、アメリカじゅうにQWERTY配列を広めていく結果となったのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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