著者ごとのアーカイブ

広告の中のタイプライター(21):Monarch No.2

2017年 12月 7日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『International Studio』1910年7月号

『International Studio』1910年7月号
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「Monarch No.2」は、モナーク・タイプライター社が1905年頃に発売したタイプライターです。フロントストライク式タイプライターを開発すべく、ユニオン・タイプライター社の配下で創立されたモナーク・タイプライター社でしたが、売上においては非常に苦戦しており、この広告の時点では、製造部門をレミントン・タイプライター社と統合せざるを得なくなっていたようです。

「Monarch No.2」は、42キーのフロントストライク式タイプライターで、円弧状に配置された42本の活字棒(type arm)が、ライバルの「Underwood Standard Typewriter No.5」に酷似しています。各キーを押すと、対応する活字棒が立ち上がって、プラテンの前面に置かれた紙の上にインクリボンごと叩きつけられ、紙の前面に印字がおこなわれます。通常の印字は小文字ですが、キーボード最下段の左右端にある「SHIFT KEY」を押した状態では、タイプ・バスケット全体が持ち上がって、大文字が印字されるようになります。また、キーボード最上段の左端には「SHIFT LOCK」キーがあって、タイプ・バスケットを持ち上げたままにすることができます。

「Monarch No.2」のキー配列は、ユニオン・タイプライター社の標準であるQWERTY配列です。キーボードの最上段は、234567890-が小文字側に、“#$%_&’()¾が大文字側に並んでいます。次の段は、qwertyuiop½が小文字側に、QWERTYUIOP¼が大文字側に並んでいます。その次の段は、asdfghjkl;¢が小文字側に、ASDFGHJKL:@が大文字側に並んでいます。最下段は、zxcvbnm,./が小文字側に、ZXCVBNM,.?が大文字側に並んでいます。数字の「1」は、小文字の「l」で代用することが想定されていたようです。最上段の右端には「BACK SPACE」キーがあり、そのさらに右上には「TAB KEY」と「MARGIN RELEASE」キーが配置されていました。

「Monarch No.2」は、赤黒2色のインクリボンに加え、タビュレーション機構や、タイプ・バスケットの上下によるシフト機構など、当時としては画期的なフロントストライク式タイプライターでした。しかしながら、先行する「Underwood Standard Typewriter No.5」のシェアを奪うには至らず、かなり苦戦を強いられていたようです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

人名用漢字の新字旧字:「予」と「豫」

2017年 11月 30日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第146回 「予」と「豫」

新字の「予」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「豫」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。「予」と「豫」は、元々は意味の異なる別字で、「予」が一人称、「豫」が「あらかじめ」だったのですが、なぜか今は新字旧字の関係になっています。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されており、豕部に旧字の「豫」が含まれていました。

昭和21年4月27日、国語審議会に提出された常用漢字表1295字でも、豕部に旧字の「豫」が含まれていて、新字の「予」は含まれていませんでした。この常用漢字表に対し、国語審議会は5月8日の総会で、さらなる検討を要する、と判断しました。それにともない、6月4日、常用漢字に関する主査委員会が発足しました。常用漢字に関する主査委員会は、8月27日の委員会で、常用漢字表の簡易字体について議論をおこないました。文部省教科書局国語課は、「豫」に対する簡易字体として「予」を提案しており、この日の委員会で、新字の「予」の採用が決定されました。国語審議会が11月5日に答申した当用漢字表では、豕部に「予」が含まれていて、その直後にカッコ書きで「豫」が添えられていました。「予(豫)」となっていたのです。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、新字の「予」は当用漢字になりました。

昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、新字の「予」が収録されていたので、「予」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。しかし、旧字の「豫」は、あくまで参考として当用漢字表に添えられたものなので、子供の名づけに使ってはいけない、ということになりました。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表では、やはり「予(豫)」となっていました。これに対し、民事行政審議会は、常用漢字表のカッコ書きの旧字を子供の名づけに認めるかどうか、審議を続けていました。昭和56年4月22日の総会で、民事行政審議会は妥協案を選択します。常用漢字表のカッコ書きの旧字355組357字のうち、当用漢字表に収録されていた旧字195字だけを子供の名づけに認める、という妥協案です。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、新字の「予」は常用漢字になりました。しかし、旧字の「豫」は人名用漢字になれませんでした。旧字の「豫」は、常用漢字表のカッコ書きに入ってるけど当用漢字表に収録されてなかったからダメ、となったのです。

平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、「予」も「豫」も含まれていました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、新字の「予」に加え、旧字の「豫」が書けるようになりました。でも、日本人の子供の出生届には、新字の「予」はOKですが、旧字の「豫」はダメなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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広告の中のタイプライター(20):Munson No.1

2017年 11月 23日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『National Stenographer』1892年3月号

『National Stenographer』1892年3月号
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「Munson No.1」は、シカゴのサイフリード(Samuel John Seifried)とマンソン(Frederick Woodbury Munson)が、1890年に発売したタイプライターです。上の広告にもあるとおり、発売時点での「Munson No.1」は、単に「The “Munson” Type Writer」と呼ばれていましたが、後に「Munson No.2」や「Munson No.3」が発売されたことから、このモデルは「Munson No.1」と呼ばれるようになりました。

「Munson No.1」の特徴は、タイプ・スリーブ(type sleeve)と呼ばれる金属製の活字円筒にあります。タイプ・スリーブには、90個(5+5個×9列)の活字が埋め込まれていて、30個の各キーに活字が3個ずつ対応しています。タイプ・スリーブと紙の間には、インクリボンと金属製スリットがあります。上段の各キーを押すと、タイプ・スリーブが左右に移動して、スリットの穴の位置に、押されたキーに対応する活字が来ます。その瞬間に、紙の背後からハンマーが打ち込まれ、紙の前面に印字がおこなわれるのです。中段のキーの場合は、左右移動に加えて、タイプ・スリーブが上に40度回転することで、穴の位置に対応する活字が来ます。下段のキーの場合は、左右移動に加えて、タイプ・スリーブが下に40度回転することで、穴の位置に対応する活字が来ます。さらに、「CAP.」(大文字)キーと「FIG.」(記号および数字)キーが、タイプ・スリーブをそれぞれ上下に120度回転することで、90個の活字を打ち分けられるようになっているのです。

「Munson No.1」のキーボードは、いわゆるQWERTY配列に近いものの、30個のキーが独特の並びになっています。上段のキーは、小文字側にwertyuiop?が、大文字側にWERTYUIOP?が、数字側に1234567890が並んでいます。中段のキーは、小文字側にasdfghjklが、大文字側にASDFGHJKLが、記号側に$⅛¼½£’_/()が並んでいます。下段のキーは、小文字側にqzxcvbnm,.が、大文字側にQZXCVBNM,.が、記号側に%¢@#*&”:!;が並んでいます。さらに、上段の左端に「FIG.」キーが、中段の左端に「CAP.」キーが配置されています。

「Munson No.1」は、印字位置をプラテンの前面におくことで、打った文字がオペレータに即座に見えることを目指していました。ただし、タイプ・スリーブやスリットがあるために、打った直後の文字は、オペレータが覗き込んでも見えにくく、何文字か打った後で見えてくるというのが現実でした。また、ハンマーを背後から打ち込む、という機構だったために、印字の濃さが紙の厚みに左右される、という問題もあったようです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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人名用漢字の新字旧字:「温」と「溫」

2017年 11月 16日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第145回 「温」と「溫」

新字の「温」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「溫」は人名用漢字なので、子供の名づけに使えます。つまり、新字の「温」も旧字の「溫」も、出生届に書いてOK。どうして、こんなことになったのでしょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されており、水部に新字の「温」が含まれていました。ところが昭和21年4月27日、国語審議会に提出された常用漢字表1295字には、水部に旧字の「溫」が含まれていて、新字の「温」は含まれていませんでした。国語審議会が11月5日に答申した当用漢字表でも、旧字の「溫」だけが含まれていました。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、旧字の「溫」は当用漢字になりました。ただし、当用漢字表のまえがきには「字体と音訓の整理については、調査中である」と書かれていました。当用漢字表の字体は、まだ変更される可能性があったのです。

字体の整理をおこなうべく、文部省教科書局国語課は昭和22年7月15日、活字字体整理に関する協議会を発足させました。活字字体整理に関する協議会は、昭和22年10月10日に活字字体整理案を国語審議会に報告しました。この活字字体整理案では、「溫」を「温」へと整理することが提案されていました。報告を受けた国語審議会では、昭和22年12月から昭和23年5月にかけて、字体整理に関する主査委員会を組織しました。この間、昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、旧字の「溫」が収録されていたので、「溫」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。新字の「温」は、子供の名づけに使えなくなりました。

昭和24年4月28日に内閣告示された当用漢字字体表では、新字の「温」が収録されていました。活字字体整理案に従った結果、新字の「温」が当用漢字となり、旧字の「溫」は当用漢字ではなくなってしまったのです。当用漢字表にある旧字の「溫」と、当用漢字字体表にある新字の「温」と、どちらが子供の名づけに使えるのかが問題になりましたが、この問題に対し法務府民事局は、旧字の「溫」も新字の「温」もどちらも子供の名づけに使ってよい、と回答しました(昭和24年6月29日)。つまり、昭和24年の時点で、旧字の「溫」も新字の「温」も、どちらも出生届に書いてOKとなったのです。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表では、「温(溫)」となっていました。これに対し、民事行政審議会は、常用漢字表のカッコ書きの旧字を子供の名づけに認めるかどうか、審議を続けていました。昭和56年4月22日の総会で、民事行政審議会は妥協案を選択します。常用漢字表のカッコ書きの旧字355組357字のうち、当用漢字表に収録されていた旧字195字だけを子供の名づけに認める、という妥協案です。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、「温」は常用漢字になりました。同時に「溫」は人名用漢字になりました。それが現在も続いていて、旧字の「溫」も新字の「温」も、どちらも子供の名づけに使えるのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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広告の中のタイプライター(19):Smith-Corona Coronet

2017年 11月 9日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『Ebony』1964年6月号

『Ebony』1964年6月号
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「Smith-Corona Coronet」は、SCMが1960年に発売したフロントストライク式の電動タイプライターです。上の広告にある「The quick brown fox」は、「THE QUICK BROWN FOX JUMPS OVER A LAZY DOG.」という文の一部です。タイプライターの教本に、ほぼ必ずと言っていいほど出てくるこの文は、A~Zを全て使うことから、キー配列を覚えるのに使われたり、あるいは、活字欠けやアラインメントのズレを見つけるのに使われたりする文です。ただ、この広告の「The quick brown fox has met his master」という文には、dもgもjもlもpもvもyもzも現れないので、そういう用途には使えないようです。

「Smith-Corona Coronet」のキーボードは、基本的にQWERTY配列ですが、最上段に数字が1234567890-=と並んでいて、そのシフト側に記号が!@#$%¢&*()_+と並んでいます。特に、「@」が「2」のシフト側にあるという点が「IBM Electromatic」の流れを汲んでいて、これが当時の電動タイプライターのキー配列の主流になりつつあったのです。なお「Smith-Corona Coronet」は44キーですが、ピリオドとコンマがシフト側にもダブっており、収録文字数は86種類でした。

「Smith-Corona Coronet」の特徴は、キーボード左端下の「COPY SET」ダイヤルにあります。通常は「1」にセットしておくのですが、数字を大きくすると、プラテンを叩く活字棒(type arm)の力が強くなります。これにより、カーボン紙を挟んだ複数枚の紙に対して、印字の濃さをコントロールできるようになっているのです。「COPY SET」ダイヤルの奥にあるのが「RIB REV」スイッチで、インクリボンの進行方向を逆転させるためのスイッチです。リボンのインクを無駄にしないよう、インクリボンを何往復も使えるようになっているのです。一方、キーボード右端下には「ON/OFF」のダイヤルスイッチがあり、その奥にはインクリボンの赤と黒を切り替えるスイッチがあります。最上段のキーのさらに奥には、「SET」と「CLEAR」の大きなキーがあり、マージン位置の設定と解除を、自由におこなえるようになっていました。

「Smith-Corona Coronet」は、電動タイプライターですが、印字機構はフロントストライク式でした。活字棒がプラテンの前面を叩くことで印字をおこなう、という点は、それ以前の機械式タイプライターと基本的に変わっておらず、印字機構を電動にしただけだったのです。ただし、複数のキーを同時に押しても、活字棒は1本だけしか動かず、ジャミングは避けられるようになっていたようです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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人名用漢字の新字旧字:「褐」と「褐」

2017年 11月 2日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第144回 「褐」と「褐」

新字の「褐」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「褐」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。「褐」は出生届に書いてOKですが、「褐」はダメ。どうして、こんなことになったのでしょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されていました。標準漢字表の衣部には、旧字の「褐」が収録されていましたが、新字の「褐」は収録されていませんでした。昭和17年12月4日、文部省は標準漢字表を発表しましたが、そこでも旧字の「褐」だけが含まれていて、新字の「褐」は含まれていませんでした。

昭和21年11月5日、国語審議会は当用漢字表1850字を、文部大臣に答申しました。この当用漢字表で、国語審議会は、旧字の「褐」を削除してしまいました。当用漢字表は、翌週11月16日に内閣告示されましたが、やはり「褐」も「褐」も収録されていませんでした。昭和23年1月1日、戸籍法が改正され、子供の名づけは当用漢字1850字に制限されました。この時点で、新字の「褐」も旧字の「褐」も、子供の名づけに使えなくなってしまったのです。

昭和52年1月21日、国語審議会は新漢字表試案を発表しました。新漢字表試案は、当用漢字に83字を追加し33字を削除する案で、1900字を収録していました。この追加案83字の中に、新字の「褐」が含まれており、さらに「褐」の康熙字典体として、旧字の「褐」がカッコ書きで添えられていました。つまり、「褐(褐)」となっていたわけです。昭和56年3月23日、国語審議会は常用漢字表1945字を答申しました。この常用漢字表にも、「褐(褐)」が含まれていました。

これに対し、民事行政審議会は、常用漢字表のカッコ書きの旧字を子供の名づけに認めるかどうか、審議を続けていました。昭和56年4月22日の総会で、民事行政審議会は妥協案を選択します。常用漢字表のカッコ書きの旧字355組357字のうち、当用漢字表に収録されていた旧字195字だけを子供の名づけに認める、という妥協案です。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、新字の「褐」は常用漢字になりました。この時点で、新字の「褐」は、子供の名づけに使えるようになりました。しかし、旧字の「褐」は人名用漢字になれませんでした。旧字の「褐」は、常用漢字表のカッコ書きに入ってるけど当用漢字表に収録されてなかったからダメ、となったのです。

30年後の平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、13287字を収録していました。この13287字の中に、新字の「褐」と旧字の「褐」が、両方とも含まれていました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、新字の「褐」に加えて、旧字の「褐」も書けるようになりました。でも、日本人の子供の出生届には、新字の「褐」はOKですが、旧字の「褐」はダメなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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広告の中のタイプライター(18):Wellington No.2

2017年 10月 26日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『Asa Gray Bulletin』1900年2月号

『Asa Gray Bulletin』1900年2月号
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「Wellington No.2」は、ボストンのキダー(Wellington Parker Kidder)が発明したタイプライターで、ニューヨーク州プラッツバーグのウィリアムズ・マニュファクチャリング社が、1896年頃に製造・販売を開始しました。コルビー(Charles Carroll Colby)率いるウィリアムズ・マニュファクチャリング社は、カナダのモントリオールにも生産拠点を持っていたのですが、そちらでは「Empire Typewriter」という名称で販売していたようです。

「Wellington No.2」の最大の特徴は、スラスト・アクションと呼ばれる印字機構にあります。各キーを押すと、対応する活字棒(type bar)が、まっすぐプラテンに向かって飛び出します。プラテンの前面には紙が挟まれており、そのさらに前にはインクリボンがあって、まっすぐに飛び出した活字棒は、紙の前面に印字をおこないます。これがスラスト・アクションという印字機構で、打った瞬間の文字を、オペレータが即座に見ることができるのです。

28本の活字棒には、それぞれ活字が上下に3つずつ埋め込まれていて、プラテン・シフト機構により80種類の文字が印字されます。「Z」の左側にある「Caps」を押すと、プラテンが沈んで、大文字が印字されるようになります。その左の「Figs」を押すと、プラテンがさらに沈んで、数字や記号が印字されるようになります。「Wellington No.2」のキーボードは、基本的にはQWERTY配列ですが、「V」と「B」の間に、逆T字形のスペースキーが入り込んでいます。上段のキーには、小文字側にqwertyuiopが、大文字側にQWERTYUIOPが、記号側に1234567890が、それぞれ配置されています。中段のキーには、小文字側にasdfghjkl,が、大文字側にASDFGHJKL,が、記号側に#$¢”?@-%&,が配置されています。下段のキーには、小文字側にzxcvbnm.が、大文字側にZXCVBNM.が、記号側に()/:’;_.が配置されています。28本の活字棒に、それぞれ3種類の活字が埋め込まれているので、最大84種類の文字を印字可能なのですが、コンマとピリオドがダブっているため、80種類となっているのです。

「Wellington No.2」は、日本では丸善(Z. P. Maruya & Co., Ltd.)が、輸入代理店となっていました。ただ、「Wellington No.2」のスラスト・アクションは故障が多く、かなり頻繁にメンテナンスを必要としたため、丸善ではタイプライター教室を開くとともに、メンテナンス指導もおこなっていたようです。

『學の燈』1900年10月号

『學の燈』1900年10月号
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安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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人名用漢字の新字旧字:「亰」と「京」

2017年 10月 19日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第143回 「亰」と「京」

旧字の「京」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。新字の「亰」は、人名用漢字でも常用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。「京」は出生届に書いてOKですが、「亰」はダメ。なお、「亰」と「京」の新旧には議論があるのですが、ここでは「亰」を新字、「京」を旧字としておきましょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、亠部に旧字の「京」が収録されていました。その一方、新字の「亰」は標準漢字表には含まれていませんでした。昭和17年12月4日、文部省は標準漢字表を発表しましたが、そこでも旧字の「京」だけが含まれていて、新字の「亰」は含まれていませんでした。

昭和21年4月27日、国語審議会に提出された常用漢字表1295字には、亠部に旧字の「京」が含まれていて、新字の「亰」は含まれていませんでした。国語審議会が11月5日に答申した当用漢字表でも、旧字の「京」だけが含まれていました。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、旧字の「京」は当用漢字になりました。昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には旧字の「京」が収録されていたので、「京」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。新字の「亰」は、子供の名づけに使えなくなってしまいました。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表1945字には、旧字の「京」が収録されていましたが、新字の「亰」は含まれていませんでした。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、旧字の「京」は常用漢字になりました。その一方で新字の「亰」は、常用漢字にも人名用漢字にもなれなかったのです。

平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、「常用平易」な漢字であればどんな漢字でも人名用漢字として追加する、という方針を打ち出しました。この方針にしたがって人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、文化庁が表外漢字字体表のためにおこなった漢字出現頻度数調査(平成12年3月)、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。新字の「亰」は、全国50法務局のうち1つの管区で出生届を拒否されていて、JIS X 0213の第2水準漢字で、出現頻度数調査の結果が0回でした。この結果、新字の「亰」は「常用平易」とはみなされず、人名用漢字に追加されませんでした。

その一方で法務省は、平成23年12月26日、入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、JIS第1~4水準漢字を全て含んでいました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、旧字の「京」に加えて、新字の「亰」も書けるようになりました。でも、日本人の子供の出生届には、旧字の「京」はOKですが、新字の「亰」はダメなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

広告の中のタイプライター(17):Daugherty Typewriter

2017年 10月 12日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『Southern Magazine』1895年2月号

『Southern Magazine』1895年2月号
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「Daugherty Typewriter」は、ペンシルバニア州キッタニングのドーアティー(James Denny Daugherty)が、ピッツバーグで1893年頃から生産・販売を開始したタイプライターです。「Daugherty Typewriter」の特徴は、キーボードとプラテンの間に配置された38本のタイプ・アーム(type arm)にあります。タイプ・アームは、それぞれ対応するキーにつながっています。キーを押すと、プラテン側を支点として、タイプ・アームの先(キーボード側)が持ち上がり、プラテンの前面めがけて打ち下ろされます。タイプ・アームがプラテンに到達する直前に、インク・リボンが下からせりあがって来ます。タイプ・アームの先には、活字が2つずつ付いていて、通常の状態では小文字が、プラテンに挟まれた紙の前面に印字されます。キーを離すと、タイプ・アームとインク・リボンは元の位置に戻り、紙の前面に印字された文字が、オペレータから直接見えるようになります。つまり、打った文字がすぐ読めるのです。これが、フロントストライク式という印字機構で、「Daugherty Typewriter」が初めて実用化したものなのです。

「Daugherty Typewriter」のキーボードは、いわゆるQWERTY配列です。キーボードの最上段は、大文字側に“#$%_&’()が、小文字側に23456789-が配置されています。その次の段は、大文字側にQWERTYUIOPが、小文字側にqwertyuiopが配置されています。そのまた次の段は、大文字側にASDFGHJKL:が、小文字側にasdfghjkl;が配置されています。最下段は、大文字側にZXCVBNM?.が、小文字側にzxcvbnm,/が配置されています。「Daugherty Typewriter」では、スペースキーの左右にある「大文字キー」によって、大文字と小文字を打ち分けます。「大文字キー」を押すと、タイプ・アームとキーボード全体が少し手前に傾き、プラテンとの相対的な角度が変わることで、大文字が印字されます。「大文字キー」を離すと小文字が印字されます。プラテンを動かすのではなく、タイプ・アーム全体を傾けるという機構だったために、「Daugherty Typewriter」の「大文字キー」は、押すのが非常に重い、という問題がありました。

この重い「大文字キー」を正常に動作させるために、「Daugherty Typewriter」は、頻繁にメンテナンスをおこなう必要がありました。また、フロントストライク式そのものは良いアイデアだったのですが、結果として、複数のタイプ・アームが印字点でひっかかってしまう(いわゆるジャミング)現象が多発しました。「Daugherty Typewriter」のフロントストライク式は、最初から完成していたわけではなく、まだまだ改良を必要としていたのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

人名用漢字の新字旧字:「和」と「咊」

2017年 10月 5日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第142回 「和」と「咊」

142harmony-old.png新字の「和」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「咊」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。「和」は出生届に書いてOKですが、「咊」はダメ。どうしてこんなことになったのでしょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、口部に新字の「和」が収録されていました。新字の「和」が収録されていたのは、禾部ではなく口部で、その一方、旧字の「咊」は標準漢字表には含まれていませんでした。昭和17年12月4日、文部省は標準漢字表を発表しましたが、そこでも新字の「和」だけが含まれていて、旧字の「咊」は含まれていませんでした。

昭和21年4月27日、国語審議会に提出された常用漢字表1295字には、口部に新字の「和」が含まれていて、旧字の「咊」は含まれていませんでした。国語審議会が11月5日に答申した当用漢字表でも、新字の「和」だけが含まれていました。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、新字の「和」は当用漢字になりました。昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には新字の「和」が収録されていたので、「和」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。旧字の「咊」は、子供の名づけに使えなくなってしまいました。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表1945字には、新字の「和」が収録されていましたが、旧字の「咊」はカッコ書きにすら入っていませんでした。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、新字の「和」は常用漢字になりました。その一方で旧字の「咊」は、常用漢字にも人名用漢字にもなれなかったのです。

平成16年4月1日、法務省民事局は『戸籍手続オンラインシステム構築のための標準仕様書』を通達、合わせて戸籍統一文字を発表しました。戸籍統一文字は、電算化戸籍に用いることのできる文字で、当初の時点では、漢字は55255字が準備されていました。この55255字の中に、「和」と「咊」が含まれていたのです。つまり、コンピュータ化された戸籍の氏名には、「和」も「咊」も使えるよう、システム上は設計されているのです。けれども法務省は、出生届には新字の「和」しか許しませんでした。

平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、新字の「和」と旧字の「咊」を含んでいました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、新字の「和」に加えて、旧字の「咊」も書けるようになりました。でも、日本人の子供の出生届には、新字の「和」はOKですが、旧字の「咊」はダメなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

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